2番・3番ホームは東海道線(琵琶湖線)と湖西線の上り列車が発車するホームのため、特に学生時代に上京区に引っ越してからは、立命館大学びわこ・くさつキャンパスや草津市役所などに向かう際によく利用した。また、入学当時は山科区に住んでいたため、京都市内中心部で用事を済ませた後、自宅に帰る際にも利用していた。もっとも、山科区も京都市に属するものの、通常、京都市内と言えば、いわゆる田の字と呼ばれる四条河原町から烏丸御池のエリアを思い浮かべる。ちょうど4回生のとき、自宅から最寄りの御陵駅から三条京阪までの京津線が廃止となってしまったが、青虫のような風体の路面電車(京阪80系)で市内へと出かけていったのは、今となっては良い思い出である。
京都駅のホームのポストを利用したのは、所用で実家に帰省するためだった。京都で投函しておけば早く着くと考えての判断であった。もちろん、京都駅までにポストがなかったわけではないが、ふと、ホームのポストの風景を想い起こしたため、「あそこから出してみよう」と思ったのである。こと、電子メールだと、かつてグレーのISDN対応なグレーのディジタル公衆電話でモデム接続して送ったことなどを懐かしく思うことはあるが、あまり場所との紐付けされることはないだろう。
わざわざ在来線のホームで郵便物を投函し、新幹線にて浜松まで向かった。浜松駅からは徒歩5分ほどのアクトシティ浜松にある浜松市文化振興財団の事務局に足を運んだ。静岡県磐田市で生まれ育ち、1994年4月に大学に進学したため、1994年10月に開業に迎えたアクトシティに対しては、古くからあるお店に立ち退きが求められ、巨大な建設工事が進められていったという記憶の方が根強い。あれから四半世紀あまり、アクトシティもまた、年齢を重ねていることを実感する。アクトシティでの浜松アーツ&クリエイションのミーティングを終え、実家に立ち寄ると、介護保険を使って玄関先のバリアフリー化をするリフォームが行われていた。
普段なら常に人が行き交うホームも緊急事態宣言ゆえか閑散と
(iPhone XR, 4.25mm<26mm>, f/1.8, 1/120, ISO80)