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2021年2月24日水曜日

共通の尺度で値ぶみができないこと

水曜日と言えば英会話のクラス、と決まっているところであるが、今日は当初からお休みだった。講師の先生が同じ場所で火曜日にも別のクラスを担当しているため、それにあわせてのスケジュールではないか、と想像している。私にとってはイレギュラーな水曜日の朝、立命館大学の次年度ゲストスピーカーの招聘手続きを行った。今年もまた、10時ちょうどでフォームが締め切られるという仕様であった。

「お金で解決できることはお金で解決」というフレーズを最初に聴いたのは何だったか、最早正確に思い出すことができないものの、とりわけ大学で教える仕事をするようになってから、意図的に使うようになったことは確かである。特に同志社でのソーシャル・イノベーションの実践的研究、さらには立命館でのサービス・ラーニングを通じた学びと成長を促す上では、このフレーズが思わぬところで効いてくる。なぜなら、このフレーズは「お金で解決できないことはどのようなものか」さらには「お金で解決できないことは何で解決するのか」という問いへと言い換えることができるためである。お金で解決できないことの一つは信頼関係(信用はある程度回復できると捉えており、ここに信用と信頼との区別をしているものの、ここでは立ち入らない)であり、お金で解決できないことは誠実に自らの非を認めた上で最善の策を探究して実施していく必要があろう。

今日は合計で5つのZoomミーティングがあった。午前中は週末の会議に向けた資料の確認、午後は新潟県小千谷市塩谷集落をフィールドとしたリサーチミーティング、その後に立命館大学サービスラーニングセンターの新入生歓迎用動画作成のためのブレーンストーミング、そして夕食後にデンマークのオールボー大学が主催するPBLに関するミニセミナーが2つ、という具合であった。中でも午前中のZoomでは、参加者どうしの学術的な専門やそれに基づく文化的背景の違い、それらによる言葉の解釈の微妙なずれにより、私が提示した図解に対して全員が納得できるものとはならなかった。議論の中盤を過ぎたあたりで私から図解の案は取り下げを申し出たものの、終了後になって改めてそのときのムードを想い起こしてみると、私がむしろ意固地になって逆ギレしていると映ったのではないか、などと考え込んでしまった。

そういうとき、コロナ禍の前には共に現場へ足を運び、メモを取ることも忘れて、ただその場のあたたかい雰囲気に没入していたフィールドワークやアクションリサーチの仲間たちとの対話は、オンラインであっても「いつかのあの場所」の心地よさへと誘ってくれる。しかも今日のミーティングは、ともに4月から大学院博士前期課程に進学する大阪大学の学部生2名が今年の卒業論文で何を記したかを本人から紹介いただき、それらも含めた書籍を作成するとしたらどのようなものが読まれるか、というお題もあったので、やや、とんちを効かせた対話を楽しめた。その結果、残りの3つのミーティングには午前中のモヤモヤがいささか晴れた状態で臨むことができた。お金で解決できないことは何か、それはCMのフレーズでも有名な「priceless」なこと、すなわち値段がないのではなく共通の尺度で値段をつけられないものであることは確かであり、今日はその本質を5つのオンラインミーティングを重ねることで改めて考える一日となった。
一日の終わりを迎えるまで気持ちの浮き沈みが多かった日の朝に撮った京都・上七軒界隈
(Leica M9-P, 35mm, f/11, 1/90, ISO400)