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2021年2月27日土曜日

コピペと呼ぶか原動力と位置づけるか

父がヤマハ発動機に勤めていたこともあって、YAMAHAの文字に目が即座に反応してしまう。静岡県磐田市の実家を離れ、京都で一人暮らしを始めてからは、自ずとヤマハの環境から離れたこともあって、その感覚がより鋭くなった気もしている。そして、たまに実家に帰ったときには、改めて往年の仕事について父親から訊いたこともある。そのエピソードの一つは同志社大学大学院総合政策科学研究科での「山口ゼミ」1期生が修士論文を提出した後、そのうちの1人と共同執筆した紀要論文の冒頭に収めさせてもらった。

今日もまた、ふとしたところでYAMAHAの文字を見かけた。ホテルの流し台である。既にヤマハはリビング事業から撤退しており、1992年に分社化された「ヤマハリビングテック」が取り扱ってきたプロダクトは2013年から「トクラス」社に継承されている。ちなみにリビング事業は旧社名を「日本楽器製造株式会社」とするヤマハ株式会社(日楽やヤマハと呼ばれていた)で、オートバイなどを製造するヤマハ発動機株式会社(こちらはヤマ発と呼ばれていた)によるものではない。

ヤマハとヤマ発の歴史や企業風土のユニークさは、時折雑誌の記事などでも紐解かれている。例えば、バイク専門誌「培倶人」を出版する枻出版社のBikeJIN WEBでは「ヤマハのモノ造り」と題した特集を読むことができ、その1回目「細部へのこだわりは、創業当初から」では、以前「ブラタモリ」でも一部紹介された「オルガン→プロペラ→バイク」といった流れが紹介され、さらにその後の「ボート→アーチェリー→4輪用エンジン」という展開にも触れられている。また、人材派遣などに取り組む「パーソル テクノロジースタッフ」による記事『「YAMAHAのコピペ」ってどこまで本当なの? ヤマハ本社に聞いてきた』(2016年9月30日)では、ヤマ発のコミュニケーションプラザ(静岡県磐田市)にてヤマハとヤマ発の双方からのインタビューにより、「時計の修理→医療器械の修理→輸入オルガンの修理→オルガン製造→ピアノ製造→高級家具の製作→軍用の航空機の木製プロペラ製造→金属製プロペラ製造→バイク製造」という流れを確認した後で、両社の社長を兼務していた川上源一社長による海外視察の後、まるで「コピペ」のように、既存の技術を新たな発想で流用・応用していった流れを整理している。(ヤマハ(日楽)が「電子オルガン(エレクトーン)→IC開発・製造→オーディオ・電子楽器・パソコン(MSX)→電子機器(音源用電子機器やルーター)」、ヤマ発が「船外機製造→FRP製アーチェリー製造→FRP製船体製造→プール製造→インドネシア駐在員からの相談で水質改善のため浄水器開発→排気ガスに含まれる二酸化炭素吸収のための微細藻類の培養(バイオ事業)」といった展開をまとめている。)リビング事業のみならず、既に撤退した分野もあるものの、地元企業への身びいきながら、ぜひ、今後もさらなる発展を期待したい。

今日は先日から断続的に触れてきたとおり、沖縄の名桜大学が開催校となった国際ボランティア学会の年次大会に参加した。同志社時代に指導をさせていただいた元院生も参加していたので、時折、SNSでメッセージをやりとりしながら、知的な対話を楽しんだ。発表では立命館大学の北出慶子先生と遠山千佳先生と共に、立命館大学研究部の「Withコロナ社会 提案公募研究プログラム-Visionaries for the New Normal-」に採択された実践的研究の成果をまとめた。学術研究の世界でコピペと呼ぶと意味合いが変わってしまうのだが、一つの成果を次なる研究の原動力へと活かしていきたいと発意する一日となった。

「日楽」時代から「M」の真ん中がベースラインについていないのがヤマハのロゴタイプ
(iPhone XR, 4.25 mm<26mm>, f/1.8, 1/60, ISO320)