今日は18時半から、京都テルサにて開催される京都府看護連盟第一支部の勉強会にて「エンゼルメイク」についての話題提供を行うこととなっていた。喉が本調子でないこともあって、人前で話すことにやや憂慮があった。キャンセルができないことはなかったが、むしろしてはいけない理由があった。それは、今回の講演が関西エンゼルメイク研究会の代表である鎌田智広さんとともに行うものであったためだ。
1時間の持ち時間で、まず15分ほど鎌田さんが関西エンゼルメイク研究会の取り組み概要と、エンゼルメイクについての基本的な内容を説明された。その後、15分ほど、一部分だけではあったがエンゼルメイクを取り扱った演劇の公演をビデオにて観賞した。ちょうどエンゼルメイクの手順を説明した部分であり、演劇が最も盛り上がるところが選択されていた。ちなみに、この演劇は10月1日に應典院でも上演されているが、今回上映されたのは京都南病院での公演分であった。
その後、私が「エンゼルメイクの意味・意義」と題して、グループ・ダイナミックスの観点から、エンゼルメイクに取り組むことが看護師と患者と家族の協働による新しい看取りと見送りの方法であるということについて20分ほど講演させていただいた。喉が悪いせいもあって、ゆっくり話さざるをえなかったのが、反対によかったかもしれない。ともかく、質問も多く出され、講演者は両名とも心地よく会場を後にした。その心地よさは2人だけの打ち上げ会場となったお店まで続き、おいしい料理をいただいて、それぞれの帰途についたのであった。
死化粧 最期の看取り(抜粋)
死化粧(エンゼルメイク)とは、亡くなった方の最期の顔を大切なものと考えた上で、その人らしい容貌・装いに整えるケア全般のことです。現在、看取りの作業として捉え直し、その実践が始められています。具体的には、ご家族にとって看取りの一場面となるよう配慮しながら、時間とともに変化してゆくご遺体の特徴を踏まえて、顔の各部を清潔にしたり、失われた造作を整えたり、化粧をしたりなどすることです。亡くなった方の髪を洗い、ファンデーションや口紅を使って、ご家族の心の中にある元気なころの面影を取り戻します。
病院で臨終を迎える人は一九五〇年代の初めには約一割でしたが、現在はおよそ九割となりました。この五十年あまりで、日本人が臨終を迎える場所は自宅から病院へと移ったわけです。それとともに、臨終直後の死化粧を含むご遺体の全身の整えは、ご家族・縁者の手を離れて看護職が受け持つようになり、医療界ではその行為を死後処置と呼んできました。
以前看護師として病院に勤務していたとき、死後処置の中の死化粧(エンゼルメイク)はさまざまな背景により技術も捉え方も検討されておらず、粗末な化粧品を使い、短時間に看護師だけでささっと化粧を済ませて、せめてもの気持ちを表すといった程度の位置づけであることを心苦しく思いました。大事な顔、それもご家族・縁者にとって特別の意味を持つだろう最期の顔にかかわる行為なのにそれでいいのだろうか……と。そう感じたのは、子供のころ、自宅で亡くなった曾祖母を家族・縁者で囲んで「おばあさんは色白が自慢だったね」「化粧しない日も眉だけでは必ず丸くやさしい感じに描いていたね」「まだ少しあたたかいね」などと、あれこれ思い出話をしながら曾祖母の顔を拭き、化粧をして過ごした時間が、悲しいながらも和みのあるよい思い出として記憶に残っていたからかもしれません。
小林(2005) pp.7-8