2019年が始まった。2018年の始まりはデンマークで迎えた。現地時間で2017年12月31日の18時過ぎから、女王さまのテレビスピーチを拝見し、日付が変わる瞬間はユトランド半島の北端にあるオールボーの港湾地区での花火で迎えた。あれから1年、時の流を実感する。
2018年3月29日に帰国して以来、すっかりブログの更新が滞ってしまった。より正確に言えば、日々の記録を綴る習慣が遠のいてしまった。ブログは数日ごとに書き貯めしてアップすることもあり、Twitterはできる限り「その日」を刻むことに注力していた。しかし、忙しさというか、自分のコントロールの及ばない予定が多いことを自らの振る舞いを正当化するかの如く、こまめな更新が滞ってしまった。
転じて、2006年年度から10年間、大阪・天王寺にある浄土宗寺院「大蓮寺」の塔頭、應典院の主幹を務めさせていただいたこともあり、その10年のあいだは、基本的には12月31日から1月1日をお寺で過ごしてきた。1回だけ、実家での年越しをお認めいただいたことがあるものの、除夜の鐘の準備をし、ラジオで紅白歌合戦の進展を耳にしながら、23時45分から鐘が撞き始まることが、一年というリズムを実感できる営みでもあった。もちろん、いま住むまちの近くにあるお寺にお参りすれば、舞台裏の準備の過程までは立ち会うことはないものの、年の変わり目のささやかな緊張感に浸ることはできるだろう。ただ、2018年の台風21号による倒木被害からの復旧のためのボランティア活動で、不注意から左足首を骨折してしまったこともあり、混雑する中に足を運ぼうとは思えないというのが素直な感覚だった。
ちなみに、應典院の本寺、大蓮寺での年越し・年明けでは、23時45分からの除夜の鐘が響く中、0時からは大蓮寺の本堂にて、「修正会」と呼ばれる法要が行われる。「しゅうせいかい」ではなく「しゅしょうえ」と読むのが特徴で、それこそWikipediaなどでは「この法会は、前年を反省して悪を正し、新年の国家安泰、五穀豊穣などを祈願するものである。」と説かれている。ごくごく簡単に示すなら、リセットボタンを押す、という感覚だろう。ということで、安易にながら新年のタイミングをブログ再開のリセッティングポイントにしようと決意し、つれづれなるままに文を綴るところである。
2018年3月29日に帰国して以来、すっかりブログの更新が滞ってしまった。より正確に言えば、日々の記録を綴る習慣が遠のいてしまった。ブログは数日ごとに書き貯めしてアップすることもあり、Twitterはできる限り「その日」を刻むことに注力していた。しかし、忙しさというか、自分のコントロールの及ばない予定が多いことを自らの振る舞いを正当化するかの如く、こまめな更新が滞ってしまった。
転じて、2006年年度から10年間、大阪・天王寺にある浄土宗寺院「大蓮寺」の塔頭、應典院の主幹を務めさせていただいたこともあり、その10年のあいだは、基本的には12月31日から1月1日をお寺で過ごしてきた。1回だけ、実家での年越しをお認めいただいたことがあるものの、除夜の鐘の準備をし、ラジオで紅白歌合戦の進展を耳にしながら、23時45分から鐘が撞き始まることが、一年というリズムを実感できる営みでもあった。もちろん、いま住むまちの近くにあるお寺にお参りすれば、舞台裏の準備の過程までは立ち会うことはないものの、年の変わり目のささやかな緊張感に浸ることはできるだろう。ただ、2018年の台風21号による倒木被害からの復旧のためのボランティア活動で、不注意から左足首を骨折してしまったこともあり、混雑する中に足を運ぼうとは思えないというのが素直な感覚だった。
ちなみに、應典院の本寺、大蓮寺での年越し・年明けでは、23時45分からの除夜の鐘が響く中、0時からは大蓮寺の本堂にて、「修正会」と呼ばれる法要が行われる。「しゅうせいかい」ではなく「しゅしょうえ」と読むのが特徴で、それこそWikipediaなどでは「この法会は、前年を反省して悪を正し、新年の国家安泰、五穀豊穣などを祈願するものである。」と説かれている。ごくごく簡単に示すなら、リセットボタンを押す、という感覚だろう。ということで、安易にながら新年のタイミングをブログ再開のリセッティングポイントにしようと決意し、つれづれなるままに文を綴るところである。