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2014年7月26日土曜日

沿岸部を縦走し力尽きる夜


この夏1回目の東北往訪、2日目は宮古から気仙沼へと移動する一日であった。岩手県から宮城県への126kmの移動である。しかし、単に移動するだけではなく、途中でいくつかのまちを訪れ、東北の「今」を見て回るのだ。そのため、朝8時に宿を出て、国道45号線を南に向かうものの、気仙沼の宿には19時頃に到着した。

朝食は宮古市内、魚菜市場でいただいた。昨日の夜に夏祭りの準備をしている高校生たちに出会ったが、魚菜市場でも同日にお祭りのようで、朝から設営と、楽しみを心待ちにいち早く足を運んだ方々で賑わっていた。市場で朝食をいただいた後に向かったのは、同じ宮古市ながら重茂半島であった。姉吉集落では「此処より下に家を建てるな」の文言で知られる大津浪記念碑を見て、千鶏集落では立命館大学の建築計画研究室(宗本晋作研究室)が建設した仮設集会所「ODENSE」にお邪魔した。

その後は本州最東端の魹ヶ崎がある重茂半島の奥にまで足を伸ばしたので、そのまま半島をぐるっと回る行程とし、牡蠣などの養殖いかだに太陽の光がまばゆく映る山田湾や、人波あふれる吉里吉里の海水浴場などを横目に見ながら、旧大槌町役場へと向かった。何度か足を運んでいる旧大槌町役場も、震災遺構として一部保存が決定されたことに伴い、4月10日から解体に着手がなされ、囲いの様子から拝察するに、玄関を含む正面部分を除いて撤去が進められた状況にあった。町長を含め40人が亡くなった場所で慰霊の祈りを捧げて、車窓から釜石の鵜住居地区など多くの悲劇が生まれた地域を通りながら、大船渡へと向かった。大船渡では仮設の飲食街(大船渡屋台村)で昼食をいただいたのだが、ここはお店どうしで互いに注文が可能という、相互連携の仕組みと仕掛けを置いている点が興味深い。

大船渡での昼食の後、陸前高田の「軌跡の一本松」に保存作業が終了してから初めて間近で見ることができたのだが、その脇の空間に渡されている嵩上げと高台移転のための土砂運搬のベルトコンベア「希望の架け橋」を間近で見た存在感にも圧倒させられた。続いて向かった八木澤商店はあいにく休日だったものの、河野通洋社長と偶然お目にかかることができ、少しだけ意見交換もさせていただいて、気仙沼へと向かった。気仙沼では既に定宿の一つ、「唐桑御殿つなかん」に今回もお世話になるものの、今回は先に「舞根森里海研究所」にお邪魔して、「森は海の恋人」の畠山信さん(お父さまは畠山重篤さんで、同NPOの理事長)と懇談をさせていただいた。夜は「つなかん」での地元食材を堪能する夕食の後、唐桑を愛するラグーンガイドツアーの千葉正樹さんと交流をさせていただいたものの、体力の限界で猛烈な睡魔に勝てず、なんとも失礼な態度となってしまったことを恥ずかしく思う、そんな一日であった。



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