夏の1回目の東北往訪、3日目が最終日である。朝は「唐桑御殿つなかん」で、偶然宿泊日が重なった伊波敏男さんの一団と朝食の際に懇談させていただいた。しかも、7月5日から、料理長として今井竜介さんが働き始めたこともあって、朝食は牡蠣のオムライスという洒落たものを頂戴した。伊波さんたちを大漁旗をモチーフにした「福来旗」でお見送りし、出発までのあいだ、一代さんと竜介さんと、しばし「おじゃっこ」(茶飲み話)で盛り上がった。
気仙沼とのご縁、また「唐桑御殿つなかん」とのご縁は、糸井重里さんの事務所「ほぼ日」の皆さんとつながったことによる。今は立命館アジア太平洋大学の副学長となられた今村正治さんが、立命館災害復興支援室の担当部長でいらっしゃった頃、東京での「へんなミーティング」に招かれたことがきっかけで、その翌月の災害復興支援室による「後方支援スタッフ派遣プログラム」の第19便において気仙沼を行き先の一つに追加することにしたのである。ミーティングが5月16日、学生10名と教職員2名が訪れたのが6月6日から11日のうち9日と10日であるから、今思えば即断即決の物凄いスピード感だ。そして今、まさに「唐桑御殿つなかん」の隣の民地にて、東北ツリーハウス観光協会による「100のツリーハウスをつくろう」というプロジェクトの一つを、立命館が参画して形づくろうという運びになっている。
この1年ほどの関わりであるが、訪れるたびにささやかな変化を感じ、変わらずにあたたかく迎え入れてくださる方々の思いが深まり、物理的な距離に対する精神的な距離はますます近づいている気がする。もちろん、気がするだけであるから、一方的な感情移入を互いの共感であると勘違いしないようにせねばならない。それでも、わずかな時間の談笑の中で、女将の一代さんから「もう、親戚みたいなものだから」と仰っていただいたり、電話ではなんどかやりとりを重ねた料理長から「おもしろい方ですね」と言っていただけるだけで、また次の約束を結び、その日を心待ちにしたくなる。ちなみに竜介さんが入ったことで、「盛屋水産」と「唐桑御殿つなかん」がより一体感を増してきているようで、次に行くときは竜介さんに料理長以外の肩書(○○長)が並んでいるのだろう、などと夢想してしまった。
気仙沼からは南三陸を経由して名取の閖上に向かった。南三陸では防災対策庁舎で手をあわせ、さんさん商店街でENVISIの皆さんによる「きりこボード」の鑑賞と昼食休憩を取った。そして閖上では、いつものとおり長沼俊幸さんから震災当日から「これまで」と仮設住宅の「今」と住宅再建などの「これから」について、1時間半あまり、じっくりご案内をいただいた。今回長沼さんからは、地域の嵩上げが進む中、土地の買い上げの手続きはあっけないくらい簡単に済まされてしまったこと、facebookを通じて活動基盤を発展・拡張させている復興支援プロジェクト「STEP」があること、中学校の遺族会の方に亡くなったお子さんの名前が入ったコカコーラを探して届けておられる方がいること、何より地域の方にはあまり好評が得られていない慰霊碑が8月11日に除幕式を迎えることなどを伺い、3日間の東北滞在を終えるにあたって、また次の機会のための視点を広く、鋭くいただけたように思う。
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