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2013年1月19日土曜日

名詞より動詞で

應典院のコモンズフェスタも折り返し地点を過ぎた。1月10日から始まって24日で終わるため、中日が17日ということになる。阪神・淡路大震災を経て現在の形に再建されたのが應典院であることを思うと、いわゆるセレンディピティ(serendipity:意味ある偶然の一致、の意味)を思うところである。そして今日もまた、東日本大震災の孤児を支えるファミリーホーム「のいえ・プロジェクト」についてのトークなど、<いのち>を思う企画が展開された。

同時並行で各種のプログラムが動くため、決して多くはない應典院のスタッフがそれぞれの場に配置されていくのだが、今日は「グリーフタイム(コモンズフェスタ版)」の担当を担わせていただいた。この「グリーフタイム」は2009年の9月(以前の原稿で2010年と記してしまったものの、それは2010年1月に実施した2009年度のコモンズフェスタの参加プログラムとして位置づけたこともあって、日付が錯綜してしまったため…)に始まったプログラムである。当初は死別体験を経た20代の若者2人が企画者となり、続いて臨床心理士2名が、そして2012年度からはそのうちの1人が場の担い手になり、当初から変わらず奇数月の第4土曜日の午後に開かれている。このように記すと、互いのかなしみを分かち合う場ではないか、と想像が及びそうだが、実は逆で、参加者が個々に行うワークが提供され、1時間ほど自分に向き合うこととなる。

「グリーフ(greif)」とは喪失による悲嘆を意味する英語だ。グリーフタイムは、人やものをなくした方にもたららされる感情的な変化(無力感、怒りなど)、身体的な変化(涙が止まらない、眠い、眠りすぎる、など)、そして人間関係など社会的な変化(人に会いたい、人に会いたくない、過活動になる、など)に対して、何かで気を紛らわさず、悲しんでいる自分に率直に向き合えるよう、かなしみに向き合う「ため」(為と溜)の時間をそっと生み出す機会となっている。今日はコモンズフェスタの特別編ということで、立ち上げメンバーであり、現在は福島県内にてふくしま心のケアセンターの仕事を担っている宮原俊也さんにお越しいただき、グリーフに関するミニレクチャーとリラクゼーションのワークを、また現在の担い手である佐脇亜衣さんによって、新たなワーク(「あなたと私」に向き合うグリーフコラージュ)などが実施された。宮原さんのレクチャーでは、「グリーフの終わりは死まで、すなわち、終わりはない、ということ」や「グリーフは喪失志向と回復志向の二重過程論として捉えられており、悲しみの後で始まる新しい生活も、後にそうして始まった新しい生活を拒否したくなる」こと、さらには「グリーフはとげの出たボールの比喩で語られることがあり、時間の経過とともに、そのとげが丸くなっていくものの、その変化を自覚することで悲しみや思慕が駆り立てられる」といった理論的な観点の整理もなされた。

普段の「グリーフタイム」では、他者と対話する時間を生み出せること、また悲しみにくれている人の中には体験を分かち合うことに抵抗があることから、個々のワークを重んじて全体でのシェアリングをしないものの、今回はあえて、自分の経験を語り合うことに意識が向いたプログラムとなっていた。8人の参加者はそれぞれに「元に戻る」ことはない「あの日」や「あの人」のことを思いながら語ることで、決して「忘れるため」ではなく「物語における存在の置き方が変わる」きっかけが得られていたように思う。阪神・淡路大震災の後、「PTSD(Post-Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)」に注目が集まったが、宮原さんによると「post-traumatic growth(心的外傷後の成長)」という視点もあるという。そういう意味では、「悲しみ」と名詞で捉えられる「grief」だが、むしろ(悲しみを)「悲しむ」と、動詞で捉えることの方が妥当なだろう、と、「感じる」よりも「考える」ことが先行してしまった午後であった。