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2007年2月16日金曜日

新世紀エヴァンゲリオン

 大学時代に「はまった」アニメーションがある。これはアニメーションに限ったことではないが、私は何かに「はまる」と、その世界を自分の語りで再構成したくなる。例えば登場していた台詞の暗記、例えば登場していた人物の物真似、例えば登場していた物品の購入などである。飲み会の席はもとより、多くの場で「スクール★ウォーズ」の台詞を繰り返したり、学校の先生の仕草やことばを真似てみたり、テレビで見たことのある物品を携行している、そうした私を知る人は多いのではないだろうか?

 そんな私が大学時代にはまったアニメーションは「新世紀エヴァンゲリオン」であった。それも4回生の頃だ。既にテレビ放送は終わっており、LD(レーザーディスク)等が発売されていた。そのビデオを、地球温暖化防止京都会議(国連気候変動枠組み条約第三回締約国会議:COP3)のために動いていたNGO「気候フォーラム'97」で共に事務局員として働いていた方に紹介され、一気にはまったのである。

 はまったのには理由がある。というのも、当時の私は、1995年にドイツのボンにて開催されたCOP1にて決定してた「COP3で地球温暖化防止のための議定書を策定する」という当初目的が達成されるよう気候フォーラムで働きつつ、その内容を立命館大学理工学部の卒業論文にまとめ、さらには翌年度から開始する財団法人大学コンソーシアム京都のインターンシップ・プログラム「NPOネットワークシステム」コースの基本的な枠組みの検討にあたっていたためである。なぜそれではまるのか?そこが鍵である。

 はまったの理由は、主人公「碇シンジ」がつぶやく「逃げちゃダメだ」というセリフが、ズシンと音を立てて自分に響いたためである。実は今日はそのことを久しぶりに思い返したのだ。なぜなら、国際ボランティア学会第8回大会の準備を、その「新世紀エヴァンゲリオン」が嫌いだけど見てはまった経験のある方とともに進めたためである。「逃げちゃダメだ」というセリフを無言でつぶやきつつ、しかしその準備作業の労をねぎらうためにお寿司屋さんに行くという暴挙に出て、飲酒の上に満腹のお寿司を食したために、当面この「逃げちゃダメだ」というセリフをつぶやきつつ、仕事の回復運転に当たらねばならなさそうだ。





新世紀エヴァンゲリオン

volume 1 使途、襲来

我々は何を創ろうとしているのか?:連続アニメーション『新世紀 エヴァンゲリオン』が、スタートする前に




4年間逃げ出したまま、ただ死んでいないだけだった自分が、ただひとつ

『逃げちゃダメだ』

の思いから再び始めた作品です。

自分の気分というものをフィルムに定着させてみたい、と感じ、考えた作品です。

それが、無謀で傲慢で困難な行為だとは知っています。

だが、目指したのです。

結果はわかりません。

まだ、自分の中でこの物語は終息していないからです。

シンジ、ミサト、レイがどうなるのか、どこへいくのか、わかりません。

スタッフの思いがどこへいくのか、まだわからないからです。

無責任だとは、感じます。

だがしかし、我々と作品世界のシンクロを目指した以上、当たり前のことなのです。

『それすらも模造である』

というリスクを背負ってでも、今はこの方法論で作るしかないのです。

私たちの『オリジナル』は、その場所にしかないのですから……



(GAINAX, 1995, p.173)



庵野 秀明 (1995) 我々は何を創ろうとしているのか?:連続アニメーション『新世紀 エヴァンゲリオン』が、スタートする前に GAINAX(原作) 新世紀エヴァンゲリオン(1) 角川書店







2007年2月15日木曜日

地域社会に貢献する大学

 最近、本当にいくつかの業務を引き受けすぎている。自覚があるということは相当のことだと思う。なぜそこまでやるのだ、と問われても「ほっとかれへんから」と、インチキ関西弁を使って応えている。阪神・淡路大震災の折に「なぜボランティアをするのか」という多くの人たちの問いに対して早瀬昇さんがそう応えているのだが、この挿話はまた、私自身が震災時も、またその後も人と関わり、地域社会と関わっていくことを説明する論理となっている。

 ちなみに、今日は、現在引き受けている「いくつか」のうち、第9回日本アートマネジメント学会運営委員会が應典院で開催された。私は第9回日本アートマネジメント学会運営委員会事務局長に着任している。既に今、第8回国際ボランティア学会実行委員長と第9回日本NPO学会運営委員とあわせると、3つの学会の委員をさせていただいている。ややくどい物言いになってしまうが「学会」とは「学術会議」のことで、一定の用件で公開された場において、最新の知見を研鑽する機会とする必要があるため、多くの人々の創意工夫のなか、年間1回以上の「研究大会」が実施される。

 いみじくも、最近関わりのある学会の大会は、8回目ないし9回目と、この10年の間に設立されている。そしていずれの学会にも「理論と実践」の両面に重きを置こうという風潮がある。ここに、学問的知見とは、閉じられた世界に完結するものではなく、実践のなかから紡ぎ出され再び実践に還元されてしかるべし、という力学を見て取ることができる。こうして学会の役割も変わってきているのであるから、研究者も、また大学(高等教育機関)の役割も、同時に変化してきていると言ってよい。

 そこで、研究者、また大学に求められるのは、実践の現場において当然とされている習慣や規範に対して注意を払うということだ。大学の常識は世間の非常識、と前職の職場でよく聞いていたので、とりわけ何かに貢献するには、その貢献する先のことがわかっていなければ難しいのではないか、という問いを携えてみることにする。そうすると、自ずと「地域社会に貢献する」には「地域社会のこと」がわかっていないといけないという視点が生まれるし、「会議に貢献」するには「会議のメンバーのこと」がわかっていないといけないということになる。こんなことは常に考えることはないのだが、ちょうど理論と実践の架橋を想定内とする学会の運営委員会において、「会議に対する最大限の貢献をする」という雰囲気(規範)があまり生み出せなかった運営委員長として反省の念を抱いたため、ここにこうした雑記を遺しておきたい。





地域社会に貢献する大学

1 序論(抜粋)




 大学はこれまでも地元地域に対し、経済的、社会的に広範な貢献をしてきたといえるであろう。例えば、職業関連以外の教育、地元企業への研究支援、公開講座、コンサート、博物館や美術館の開放などがそうである。それに対して、現在の現象の特徴はこれらの活動を主要機能である教育や研究と同等であるのみならず、それらと統合された「第三の機能(third role)」として認知するということである。

 地域特有の需要に応えるには明らかに高等教育は新たな資源と新たな指導・経営形態が必要となる。それらにより、大学は地域の顧客が必要とする知識・技術に関するシンクタンク、ならびにそれらの提供者となりうるのである。地域と関わることにより、大学は一部の高等教育政策により生まれつつある「対応性の高い大学」(responsive university)の特性を多くもつことになる。



(OECD, 1999=2005, p.16)







2007年2月14日水曜日

映像コンテンツ産業の政策と経営

 3月10日、特定非営利活動法人大阪アーツアポリア(http://artsaporia.exblog.jp)が企画運営を行うフォーラムにて「聴き手」を務めるため、事前打ち合わせを行うために武田五一設計の「関西電力京都営業所」に訪問してきた。フォーラムのタイトルは「アートで動く、NPOが動く2007」だ。副題にも掲げられているように、「芸術系NPOを支援・育成のための事例紹介と意見交換」の場である。特定非営利活動法人大阪アーツアポリアは應典院寺町倶楽部とともに、本年度より、大阪市・財団法人大阪都市協会による「現代芸術創造事業」を受託している団体である。

 今回私が聴き手としてお話をお伺いするのは、特定非営利活動法人アートポリス大阪協議会(http://www.artpolis-osaka.com)の梅田哲さんである。アートポリス大阪協議会の歴史は1990年にさかのぼる。当時、社団法人大阪青年会議所の感性都市委員会において「アートポリス大阪」構想が発表され、具体的な内容に関する懇談会が大阪と東京に設置、そして懇談会最終報告として「10の提案」が設定されたのである。1994年には現在の名称に変更され、企業人等を中心に、大阪を文化的にも経済的にも展開可能性の高い世界都市にすべく、その後も活動が継続されている。

 なお、今回、大阪アーツアポリアの方がアートポリス大阪協議会の方に事例紹介をお願いしたのは、「名前が似ているから」ということも背景の一つにあったという。同じ特定非営利活動法人(NPO法人)で、少々名前が似ているゆえ、何度か間違えて問い合わせがやってきたとのことだ。それで調べたところ、興味深い活動をしているということがあって、いつかお招きしよう、と考えていたという。それで、今回のフォーラムの趣旨を検討するなかで、最適なゲストのお一人ということになり、さらには共に現代芸術創造事業を展開している應典院寺町倶楽部の事務局長である私が聴き手を務めては、ということで今回の運びとなった。

 ちなみに、私が聴き手を務めることになったのも、意味ある偶然の一致であるような気がした。というのも、私は前職(財団法人大学コンソーシアム京都)にて、経済産業省によるコンテンツ産業活性化関係の事業に従事していたことがあるためである。應典院でも映画関係の事業に取り組んできているが、私が常々不思議に思っているのは、特に映画においては「製作・配給・上映」という三層構造と「観賞」が大きく切り離されているという点がある。そんな関心も寄せつつも、当日はあまりしゃしゃり出ることなく、本来の目的である「聴き手」の立場を全うしたい。





映像コンテンツ産業の政策と経営:行政・NPO・企業の協働型創造システム

第3章 映画・映像コンテンツ産業育成支援(抜粋)




いうまでもなく、アートポリス大阪協議会の活動1つで大阪の映画・映像産業が活性化されるわけではない。加えて、市民が風待ちの受身の姿勢を保ち現状に安住しているようでは、社会が変わる者ではない。成熟化社会を迎えたこの時代に、生活に潤いを与え、社会に刺激を与える芸術・文化に対して、市民は何を自覚し、自ら何に寄与できるのか。筆者はアートポリス活動を通じ、自ら活動することに臆病であった市民と共感することで、市民の持つポテンシャルが世界に向けて開花できるものと確信している。



(梅田, 2006, p.86)



梅田 哲(2006) 映画・映像コンテンツ産業育成支援 山崎・立岡(編) 映像コンテンツ産業の政策と経験 中央経済社 76-89.









2007年2月13日火曜日

世界の中心で、愛をさけぶ

 自他共に認めるながら族だ。テレビは言うに及ばずマンガを見ながら食事、ラジオを見ながら勉強、最近は音楽を聴きながら通勤、などなど「ながら」で形容される習慣を挙げていけばきりがなく、何より博士論文も「ながら」で書いたことは、同時期に同じく「ながら」で執筆していた仲間によく知られた話だ。いつのことか忘れたが、「ながら」で何かをすることに対して集中力があるのか、ないのか、誰かと話し込んだ経験がある。「ながら」でも何かができるということは、結果として集中力があるといういうことだ、と私は主張していた気がする。

 そんな私が今日は「DVDを見ながら作業をする」という暴挙に出た。さすがに、DVDを見ながら仕事をするのか、と思われそうだが、「ながら」ができる背景には集中力がある、という前提を持っている私である。つまり「集中力を高める」ためにはどんな「ながら」の素材がいいのか、その時々の作業に合わせてその素材を慎重に選んでいるつもりである。それなのに、なぜDVD、という疑念ははやり払拭できそうにない。

 ちなみにここで言うDVDとはDVD-Videoのことで、具体的には「世界の中心で愛をさけぶ」の映画版を見ながら作業をした。この映画はベストセラーとなった同名の小説をもとにしたものであるが、忠実に映画化したわけではない。とりわけ、主人公の大人になってからの物語に力が入れられていること、さらにはそのことによって原作には登場しない「律子」という人物が物語の鍵を握るという点に特徴がある。「限定」ということばに弱い私は、以前この映画の「限定BOX」を購入しており、それがたまたま机のそばにあったこと、また特典ディスクを見ていなかったこと、自分自身の甘酸っぱい高校時代を思い出して懐かしむことができること、それに加えて映像もキレイでBGMならぬBGVとして使えそうなこと、などから、「かけっぱなし」で作業を進めた。

 結局、作業ははかどったと思う。既に知っている物語だから、その世界にのめり込みすぎることはない。だからこそ、「何となくそっち」に気をやりつつ、本来なすべきことに大方の集中力が向けられた、そんな風に考えている。ただ、こうした改めて「ながら」と集中力について考えてみると、ながら族において集中力は「ある」か「ないか」の問いは妥当ではなく、それは散漫か否かが問われている問題なのだ、と、勝手に論点をすり替えたくなる、そんなながら族の私だ。



世界の中心で、愛をさけぶ




亜紀:ねぇ、サクの誕生日は11月3日でしょ。

朔太郎:そうだよ。

亜紀:私の誕生日が10月28日だから、サクがこの世に生まれてから私がいなくなったことは1秒だってなかったんだよ。私がいなくなっても、サクの世界は有り続けるわ。

朔太郎:何弱気になってんだよ。しっかりしろよ。

亜紀:サクに怒られるとは思わなかった。

朔太郎:ウルセェ。

(1:44:24〜1:46:00)




重蔵:天国ってのは生き残った人間が発明したもんだ。そこにあの人がいる。いつかまたきっと会える。そう思いてぇんだ。

(1:18:24〜1:18:50)















2007年2月12日月曜日

文化の解釈学

 修士論文の審査をさせていただくと、自分の研究姿勢を見つめ直す機会にも出会える。特に、その研究の新規さや斬新さを見つめていきたいという思いも重なって、審査すべき論文を的確に読み解こうという衝動に駆られる。そうして、絶妙な質問を選び抜き、発表の後にことばを重ねる。その後のやりとりを冷静に評価すれば、学位を授与するに相応しいかは、自ずと明らかになる。

 修士論文の公聴会は「公が聴く」という字を充てることからも明らかなように、公が聴いて、その内容の如何が判断される。ちょうど、NPOに対して「公益」が問われるのと同じ構造かもしれない。実際、特定非営利活動法人は、申請後、2ヶ月間の縦覧期間を経て、認証を受ける法人形態である。つまり、2ヶ月間、公の声が聴かれる環境が提供されているのだ。

 2日連続で開催された公聴会の際、私のゼミを受講していた方から、審査と審査の合間に質問を受けた。内容は、現場の記述の仕方についてであった。というのも、来年、ご自身がその場に立つことを想定して、公聴会の内容を聴いていたのだが、どうも自分が思う研究とは違うように思えてならないのだ、という不安に駆られたためだいう。とりわけ、フィールドワークの方法論についても講義で触れてきたのもあって、こうした不安が先に立って研究が進まなくなってはいかん、と、コーヒーを飲みながら話を深めることにした。

 フィールドワークに関するいくつかの書物を見ると、よく「厚い記述」ということばが紹介されている。これをうまく伝えるために、今回用いた比喩は「ワイドショーのレポーター」と「刑事事件の起訴状」の比較である。ちょうど、映画「それでもボクはやってない」を見たばかりということもあって、それなりにうまく表現できたと思っている。つまり、研究の現場のリアリティを表現するには「淡々と、しかし精密に」すなわちその場の空気を緊迫感を持って伝えていくことが大切なのだ、緊迫感を持って伝えさせていただいたつもりだ。





文化の解釈学 <1>

第1章 厚い記述:文化の解釈学的理論をめざして




 文化が公的なものであるのは意味が公的だからである。まばたきが何であるかを、あるいは、身体的に、いかにまばたきをするかを知らずにはまばたき(またはまばたきのまね)はできないし、また羊を盗むこととは何かを、また実際に羊を盗むにはどうするかを知らないのでは、羊盗み(あるいはそのまね)をすることはできない。しかしこの真実から、まばたきの仕方を知ることはまばたきをすることであり、羊の盗み方を知ることは羊を盗むことだという結論を引きだすのは、厚い記述を薄い記述と受け取り、まばたきをまぶたを閉じることと同一視したり、羊盗みと牧場から羊を追い出すことと同一視することと同じような混乱をきたすことになる。(pp.20-21)



 われわれが記録する(あるいは記録しようと試みる)ものは、生の会話そのものではないので、事情はいっそう微妙である。しかも、きわめて周辺の、あるいは特殊な意味での参加を除けば、われわれは研究対象の社会の中で活動する人間ではない。このために、その会話に直接加わることはなく、ただその会話のごく一部を、われわれのインフォーマントを通じて理解することができるに過ぎない。これはみかけほど致命的ではない。というのは、事実クレタ人はすべて嘘つきであるとはかぎらないし、何かを理解するためにあらゆることを知る必要もないからである。だが、これは、発見した事実の概念的操作として、つまり単なる現実の理論的再構成として人類学的分析を見ることを、むしろ不十分なものに思わせる。意味の対称的結晶が存在する物理的複合性の中から浄化した意味の対称的結晶を明らかにし、その存在を、自己発生的な秩序原理とか、人間精神の普遍的属性とか、または広大な、先験的(アプリオリ)な世界観に帰するようなことは、もともと存在しない科学が科学をよそおうことであり、見出すことができない現実を想定することにほかならない。文化の分析は、意味を推定すること、その推定を評価すること、より優れた推定から説明的な結論を導き出すことであり(あるいは、そうあるべきであり)、普遍の意味の世界を見出すことでも、その形のない風景を描きだすことでもないのである。(pp.34-35)



 民族学的記述には三つの特色があると思われる。まずそれは解釈を行なうということである。次に解釈する対象は社会的対話の流れである。さらに解釈はそういう対話が消滅してしわないうちにその「言われたこと」を救出しようとすることであり、それが読めるようにすることである。(p.35)



 文化理論は厚い記述の与える直接の資料と切り離せないために、その内側の論理によってそれを形成する自由はむしろ限られている。それが到達しようとする一般性は、その微妙な特殊性の中から生まれてくるのであって、大がかりな抽象化に基づくものではない。(p.43)



 主要な理論的貢献は、特定の研究にあるだけではない−−これはたいていどんな学問においてもそうである−−。またそれをこういう研究から抽象し、「文化理論」といえるようなものにまとめることは大変難しい。理論構成はそれが行なう解釈に密着しているために、解釈を離れるとあまり意味がなくなるか、興味も失われてしまう。これは、理論が一般性がないからではなく(一般性がなければ理論的とはいえない)、理論の適用ということを離れては、それはただの常識か、さもなければ空虚なものに思われるからである。民族誌的解釈のある試みに関して作られた一連の理論的接近(アプローチ)を取りあげ、それを別の民族誌的解釈に活用してみることができる。こうしてそれをいっそう正確に、いっそう広い適用に発展させるのである。このように研究は概念的に発展するものである。しかし「文化解釈の一般理論」を書くことはできない。あるいは書けるかも知れないが、それはほとんど役に立たない。というのは、理論構成の基本的課題は、抽象的規則性を取りだすことだけではなく、厚い記述を可能にすることであり、いくつもの事例を通じて一般化することでなく、事例の中で一般化することなのである。(p.44)



 事例の中で一般化することは、普通、医学や深層心理学では臨床推理と呼ばれている。この臨床推理は、一連の(推定上)意味するものから出発して、それを理解できる枠の中においてみようとするのである。測定は理論的予測に即して行なわれるが、症状は(それが捉えられる場合でも)理論的特性にてらして調べる−−つまり診断される。文化の研究では意味するものは症状や症候群ではなく、象徴的行為や象徴的行為群といったものであり、その目的は治療ではなく社会的対話の分析である。しかし理論が、ものごとの隠れた意味を掘りだすために用いられる方法は同じである。(p.45)



ギアーツ(1973=1987)

Geertz, C. 1973 The Interpretation of Cultures : Selected Essays, Basic Books.

吉田 禎吾・柳川 啓一・中牧 弘允・板橋 作美(訳) 1987 文化の解釈学[1]  岩波現代選書3-56.
 











2007年2月11日日曜日

成功するプレゼンテーション

 大学院の教員ということもあって、修士論文の審査は必ずやってくる年中行事の一つである。5年の任期であるから、あと4回、この経験をするのであろう。逆に言うと、この土日は、私にとって初めて、修士論文の審査をする機会なのである。自分自身が修士論文を執筆したのはやや遠い昔のこととなっているが、当時の自分からすればまさか今ごろ逆の立場となっているなどとは思っていなかった。

 修士論文は、博士論文もまた同様に、「公聴会」という場でもって、その内容を発表しなければならない。「公」ということばからも明らかなように、誰もがその場に来ても構わない、という前提があるものの、実際は同級生や後輩が傍聴の中心だ。一方で公聴会それ自体は指導教員(主査)と、2名の審査者(副査)による口頭試問の場でもある。よって、副査として指定された場合には、事前に精読して、一定のコメントとともにいくつかの質問を投げかける必要がある。

 最近は機材の普及もあって、公聴会でもまた、Microsoft社のPowerPointというソフトを用いて、液晶プロジェクターにて画面に投影されたものが発表資料として用いられることが多い。しかし、ここに発表の「罠」があるように思えてならないので、ここで記しておきたい。それは、「公聴会」は、研究発表の場であって、資料説明の場ではない、ということだ。具体的に言うと、「PowerPointをご覧下さい」や「画面のとおりです」という説明では具体的な内容を発表したことにはならないし、「技術不足で表現できませんでした」と言って事実や結果の抽象化に対する関心と実践をおろそかにしているような発表に対しては、学術的知見を紡ぎ出すという研究者の姿勢を疑わざると得ない。

 もちろん、これは公聴会に限ったことではないが、パソコンという道具を使いこなすことができないのであれば、他の道具を使うか、あるいは道具の使いこなしのために精一杯の努力をなすべきだ。昔話になるが、私の修士論文はPowerPointが一般的ではなかった(蛇足だが、私は当時から熱血Macユーザーだったが、Aldus Persuasionというソフトのほうが学術界では優勢だった)上に、液晶プロジェクターも高価であったため、PowerPointで作成したスライドをOHPシートに印刷して、それを用いながら発表をした。そんな昔話を思い出したのは、多くの発表がPowerPointというソフトに引きずられて、肝心の研究発表という前提が崩れてしまっているように思えたのだ。以前、卒業論文の発表を行った後に読んだ書物「NGO運営の基礎知識」にも紹介されていたことであるが、人前で発表を行う上では、PowerPointなどの道具を活用するという伝え方も大事であるものの、やはり重要なのは内容であって、それ以上に伝えたいことが伝わるように「聞き手」に配慮するという人柄であると、強く主張しておきたい。





成功するプレゼンテーション

第一章 プレゼンテーションの基本

二 プレゼンテーションの原則





 「プレゼンテーションを上手にやるにはどうしたらいいでしょうか」と質問をすると、ほとんどの人が「何といっても内容です」と答えます。確かに内容がなければ話になりません。

 さらに「同じ目的で、同じ原稿や資料を用意し、あなたと私とプレゼンテーションを始めた場合、どちらがうまくできるでしょうか」と質問すると、ほとんどの人は「もちろん先生の方がはるかに上手にできます、プレゼンテーションの先生ですから」といいます。ということは、内容が問題ではないということです。同じ内容であっても、上手にできる人もいれば、下手にやってしまう人もいる。したがって、内容以外の要素が重要な決め手になると考えられます。

 では、何が必要なのでしょうか。一つは、「人前で話す技術」つまりデリバリー(伝達)の技術、伝え方の技術です。例えば、上手に視覚化し、メリハリをつけ、説得力ある話し方をする技術が必要となります。

 でも、どんなにいい内容、よい技術を身につけても、お客さんに嫌われてしまっては何にもなりません。クライアントもしくはプレゼンテーションを受ける側から、「なんだ、あいつは。あんなやつの話を二時間も聞くのか」と嫌われてしまっては受け入れてもらうことはできません。したがって、もう一つ、パーソナリティー(人柄)も重要な要素になります。

 つまり、プレゼンテーションにおいては、

  (1)人柄(Personality)

  (2)内容(Program)

  (3)伝え方(Presentation skill)

の三つの「P」が必要になるわけです。



箱田(1991) pp.22-23

(文中の「括弧付き数字」は、原点では「マル囲み装飾数字」だが、引用の際に変更した)







2007年2月10日土曜日

生活防災のすすめ

 インドネシアのジョクジャカルタに出張することになった。京都府によるジョクジャカルタ特別区との「テキスタイル技術協力事業」の推進について、現地を訪問し、調査報告をして欲しい、というものである。当初は2月の予定であったが、先方、王室の都合で延期となっていた。中止やも、という話も出たが、結果として日程変更がなされることとなった。

 10月から、月1回程度集まっているのだが、そこでは西陣織と王室バティックなどのコラボレーションの有り様について語り合っている。研究会という形態を取っており、帯ときものを中心に、ジュエリーやバッグ、アクセサリー等をプロデュースして発信する専門商社の社長さんが委員長で、私は副委員長をさせていただいている。その他、織屋さん、百貨店のバイヤーの方、ウェブ制作等のコンサルティング会社の方、インドネシアからの留学生、そして京都府の職員の方々という構成である。こうした動きに関わらせていただくことになったのも、同志社大学で仕事をさせていただくことになったためである。産官学地域連携に取り組む「リエゾンオフィス」の方からお声掛けをいただいて、プロジェクトに参加させていただくことになった。

 とりわけ、私に課された役割は、国際的な技術交流を行っていく上で、「防災」や「生活者の視点」についてどのように盛り込んでいくべきか、天の邪鬼な視点を持ち込むことだと認識している。というのも、インドネシアは津波の被害に逢っているためである。今回、京都府が積極的に取り組んでいる技術交流は、20年間にわたる友好協定を維持、発展させていく具体策であるのと同時に、より実践的で実効的な復興への支援という目的も重ねられている。ただ、研究会の回を重ねるごとに、「キャッチコピー」や「チラシのデザイン」をする役割も担うこともあり、嫌な思いはしていないまでも、やや便利遣いモードになっていると言えよう。

 今日は10月から数えて5回目の研究会で、3月に開催予定の「試作品展示会」の企画検討が行われた。目玉は、インドネシアの地域資源とも言える「香木」を手がかりにした、お香とバティック織等のコラボレーションだ。匂い袋などが彩りを添えることになるだろう。ちなみに私がこうした取り組みに持ち込んだ「ネタ」は、「防災」と「減災」ということばに見る理論的観点と、展示会にちなんで名付けたプロジェクト名称「てこらぼ」であるので、興味のある方には3月21日から22日、新風館3階のトランスジャンルでの企画に足を運んでご確認いただければ、と思う。





<生活防災>のすすめ:防災心理学研究ノート

1 <生活防災のすすめ>

3.<生活防災>とは何か(抜粋)




 防災が、生活全体の中に他の諸領域とともに混融しているのだとすれば、防災(あるいは、その中の特定の側面)だけを抽出し、その最適化を図ることは現実的ではない。生活まるごとにおける防災、言い換えれば、他の諸領域と引き離さない防災をこそ追求すべきである。本書では、以下、こうした防災のことを、<生活防災>と呼ぶことにしよう。

 実は、<生活防災>は、部分的にではあるが、何人かの先駆者たちによってすでに実践に移され一定の成果を生み出しつつある。そのきっかけとなったのが、空前の都市型災害となった阪神・淡路大震災(1995年)である。この未曾有の大震災によって、<最適化防災>(のみ)に依存することの危険性がはっきりと露呈したのである。すなわち、地震予知、建造物の耐震化、ライフラインの整備、情報伝達システムの強化−どれも非常に大切なことではあるが、いずれも単体としては明らかに力不足であった。そして、より重要な事実として、多くの人が、たとえ将来、それぞれの側面が単体として<最適化>されたとしてもけっして十分ではないだろうという直感を得た。むしろ、震災の重要な教訓として得られたのは「コミュニティの重要性」、「助け合いの必要性」、「普段の意識、準備の大切さ」といった、ある意味でとらえどころのない茫洋とした事項群であった。これらこそ、生活全体の中に浸透・混融した防災、すなわち、<生活防災>が目指すところにほかならない。



矢守(2005) pp.3-5





2007年2月9日金曜日

アーツ・マネジメント

 「大阪でアーツカウンシルをつくる会」にコアメンバーとして関わっている。大阪市の文化政策をよりよいものにしよう、という市民側の動きである。アーツカウンシルというのは自治体が設置するものであるから、われわれがいくら「つくりたい」と思っても、われわれだけでつくることはできない。だからこそ、アーツカウンシルが「できる」ために、「つくる会」ができた。

 アーツカウンシルは、アーツ・マネジメントを実践する上で欠かせない存在である。放送大学のテキスト「アーツ・マネジメント」によれば、アーツ・マネジメントとは、「ジャンルが複数にわたる」芸術そのものに対して、「家元制度的な日本型マネジメントと異なる」かたちの「合理的でより民主的と見なされている欧米型の管理」をしていくこととされている。ちなみに放送大学は多くの人々の高等教育への修学機会を広く提供することを目的としているのだから、テキストもまた、比較的平明に書かれているという特徴がある。英語名「University of Air」から紐解く字義的な意味(空気が所有する大学)も壮大であるが、その実践は着実なものであると言えよう。

 アーツカウンシルによって支援される対象となるアーティストならびにその作品や活動そのものから見てみれば、別に支援などいらない、と思われるかもしれない。しかし、地域の社会的、文化的な発展を考えれば、自治体はアーツを支援する必要がある。アーティストの自発的な意欲、アーティスト組織の内発的な努力に依存するだけでは、創作活動の拠点は常に流動的となってしまうためである。創作活動の拠点が流動的となる、ということは、常に「お客さん」を迎えつづけなければならない、ということになるのだが、お客さんを招き入れる上での戦略や戦術、またお客さんに対する基本的な考え方がなければ、お客さんもまた、居心地が悪く、早々にその場を去ってしまうことになろう。

 今回、「つくる会」で議論をしているのは、アーティスト支援組織が、自治体の政策とうまく共鳴し、地域の魅力を高めていくことが狙いである。だからこそ「大阪で」ということばが付与されている。大阪の文化として吉本、阪神、たこ焼、この3つが前に出てくることが多いものの、それだけが大阪の文化ではない。芸術や美術と言うと少し距離が出てきそうだがアートというと少し身近になりそうなこと、例えば詩や映像やダンスや演劇や映画、そうした媒体が生活にもたらす彩りや潤いを実感してもらいたい、少なくとも私はそうした願い携えて、この活動に関わっている。

 本日、21時過ぎから5人で行った「つくる会」の打合せは、突き出しに「揚げパスタ」が出てくる、ちょっと小粋なバーで行った。それぞれ共通の宿題をやってくることになっていたために、その「答え合わせ」から始めた。思いが共鳴しあうのか、驚異的なスピードで打合せは終了した。次の日程調整も、お店を出た後の立ち話で決まった。このフットワークの軽さが、うまく「大阪」に、つまり大阪府、大阪市にも伝播していくといいのだが…。





アーツ・マネジメント

2 アーツ・マネジメント史(抜粋)




 近代的アート制度は、アーティスト・アーティスト組織、彼らを援助する人々・組織・制度からなる。後者は、さらに直接的にサポートする人々とからなる。直接的に援助をするのは、個人的なパトロンやアーツカウンシル(文化評議会)や芸術NPOなどの組織であり、間接的にサポートするのは、批評家や芸術機関などの評価者、そして、美術・音楽・演劇などを鑑賞する鑑賞者などである。アートは、自由な自己表現に基づく産物であり、本質的に、近代的な資本主義経済−−勤勉な競争原理に基づく価値創出活動−−とも、なじみにくい性質を持つ。しかしその一方で、社会が成熟していくにつれて、人々が求めるものが、自己表現であり、自己実現であり、その究極の活動の一つが芸術活動でもある。近代社会の発展につれて、この一見矛盾する二つのプロセスが、一つの社会の中で同時に進行してきたのである。その結果、アーティストの数が大幅に増え、そのアートを観賞する人々の数も増大した。しかも、その一方で、アーティストやアーティスト集団を支える人々とその組織や制度が機能分化し、発展してきたのである。また、アーティストと鑑賞者を媒介する組織や制度も洗練・細分化してきた。



川崎・佐々木・河島(2002) p.22

《川崎 賢一 2002 アーツマネジメント史 川崎・佐々木・河島(2002)  pp.21-31》







2007年2月8日木曜日

京都発NPO最前線

 「朝食会とか、パワーランチとか、好きやもんな。」朝、9時半過ぎ、京都駅の地下街で擦れ違った元同僚のことばはそう言った。まだ、服飾店等のシャッターは空いていない地下街を、彼は銀行の振り込み確認に出かけているところだ、という。一方で私は、きょうとNPOセンターの事務局長であり常務理事(時々、ここに綴っている友人であり同志のひとり)と朝食会の店を探していた。

 朝食会やパワーランチなど、食事を取りながら会合をすることをまわりに提案するようになったのは、2002年の米国研修以降だ。2002年の10月、ほぼ1ヶ月間を、私は東京のNPOサポートセンターを通じ、アメリカ合衆国国務省の招聘で、International Visitor ProgramのMulti Regional Projectの日本代表として、NPOマネジメントに関して学ばせていただいた。8日から31日のハロウィンまで、ワシントンD.C.に始まってクリーブランド(オハイオ州)、ダラス(テキサス州)、シアトル(カリフォルニア州)、そしてニューヨーク(ニューヨーク州)と5都市を、17ヶ国から参加した19人とともに周遊した。そこで学んだ習慣が朝食会であり、パワーランチであった。

 言うまでもなく、すべての会議が朝食会とパワーランチで占められるわけではない。感覚的には、聴くことだけではなく話すことをも重視するときに、朝食会やパワーランチという形態が採られていたような気がした。だからこそ、誰かから聴くことだけを目的にしない会議の場合は、食事を取りながら行うことを提案するようにしている。もちろん、「ながら」族となることを嫌がる人もいることは承知をしているので、相手を見て提案することを忘れてはならない。

 きょうとNPOセンターの常務理事との朝食会は、ホテルグランヴィア京都がを常としている。しかし、今日は遅めのスタートとなったために、別の場所を探さざるを得なかったのだ。ともあれ、お互い忙しい身で、あえて朝食会をしているのは「思いついたらその後に動くことができる」上、「夜に同じ時間を掛けるよりも圧倒的に低コストである」という点も見逃せない。何より、素敵な料理とともに雰囲気を変えて議論をすることで、日常の繁忙さを客観的に見つめなおすことができること、友人であり同志が言う、この「優雅な時間」の心地よさに、月1回程度、浸っている。





京都発NPO最前線:自立と共生の街へ

ボランティアに愛はいらない(抜粋)




 ボランティアは社会的な活動なのです。愛とか善意とかいう精神主義的な言葉では特徴づけない方がいいのです。「愛は地球を救う」というキャンペーンのテレビ番組がありますが、あれも要するに「お金は地球を救う」ということに他ならないのです。「同情するなら金をくれ」という身も蓋もない真実がそこにあります。もちろん、愛情もお金も必要でしょうが、愛情こもったお金というのはややうさん臭いと思いませんか。自由に使えないのですから。

 ボランティア活動はつながりという言葉でとらえることのできる関係を表現しています。手紙や電話と一緒で、情報発信すればするほど受け取る情報量が多くなります。孤独にある人は発信量が少ないので、受け取る情報量も少なく、悪循環に陥るのです。

 つまり、自己開示です。悩みを相談し、プライバシーを打ち明け、救いを求めれば求めるほどアドバイスは多く入ります。自分の弱さを見せるということですね。弱くなった分だけ他人からエネルギーを注いでもらうことができるのです。もちろん、弱くなるには勇気がいります。弱くなることで結びつくという人間関係の作用があります。他人に依存する力とも言い換えることができます。依存することで自立するのです。弱くなることで強くなるのです。ボランティアされるにも力量が求められるということです。



きょうとNPOセンター・京都新聞社会福祉事業団(編)(2000) p.211

《中村 正 2000 ボランティアのすすめ:ボランティアとNPO きょうとNPOセンター・京都新聞社会福祉事業団(編) pp.183-221》







2007年2月7日水曜日

パブリック・アクセスを学ぶ人のために

 「京都三条ラジオカフェ(FM 79.7MHz)」というコミュニティFMの番組審議委員をさせていただいている。コミュニティFMというと、自治体がお金を出して放送している放送局、と思われがちなのだが、この放送局は違う。放送局の免許を有しているのは「特定非営利活動法人京都コミュニティ放送」という組織だ。そう、この放送局は全国で初めてのNPO立FM局なのである。

 全ての放送局は「電波法」の制約を受ける。したがって、NPOがやっていようが、自治体が出資した放送局であろうが、番組審議会なる第三者機関を設けなければならない。上京区に居を構える私は、きょうとNPOセンターの立場からこのFM局の設立に携わったことも重なって、開局間もなく、番組審議委員に就かせていただいた。概ね月1回程度、審議会を行い、そしてその内容を「番組審議会レポート」なる番組として放送することで、「公共の(空間を飛ぶ)電波」を流している側の責任を果たす、という原理原則に立っての取り組みである。

 ちょうど、テレビ局による事実の「捏造」や「歪曲」が問題となっているが、そこにスポンサーが無関係ではない。NPO立の放送局である「京都三条ラジオカフェ」は、広告主という意味でのスポンサーによって支えられるという考えを持たず、多くの人が「協力」しあって、市民のメディアを共有するという立場を取っている。コンセプトは「お小遣いで番組ができる」放送局である。京都市内中心部しか聴取範囲ではないものの、500円あれば、1分間、自分のメッセージが電波に乗って飛んでいくのだ。

 通常、FMラジオはマスメディアとされているものの、こうした市民メディアとしてのFM局は、伝える側と伝えられる側、さらにはそれらを支える側やそもそも環境をつくる側、それぞれの関係構築が絶妙である必要がある。私はこのことについて、「listener(リスナー:聴く側)」重視を謳った放送局側の論理から脱却し、「listenee(リスニー:聴かれる側)」の自覚と責任に基づいた良識ある放送の実現である、と述べたことがある。別の言い方をすれば「伝える」こと(行為)よりも「伝わる」こと(成果)、また「伝えている」こと(内容)こそが大切だ、ということだ。そんなことを思いながら、「歩いて暮らせるまち」と謳っている三条通を抜けていくと、アイドリングストップをしているオートバイに出会ったのだが、ここにも、何気ないメッセージの発信があるように思え、市民の立場で物事に取り組む意味を見つめ直した一日であった。





パブリック・アクセスを学ぶ人のために

日本NPO初の放送局運営(抜粋)




 一九九二年にはじまったコミュニティFMの制度では、資本金や施設をもたないNPOによる運営に前例がない。法人としてのNPOを認証する特定非営利活動促進法は、阪神淡路大震災を契機に誕生した法律である。(中略)

 京都コミュニティ放送では運営はNPO(京都コミュニティ放送)、営業は株式会社(京都三条ラジオカフェ)の二本立てにしているのでやっていけそうだと、きょうとNPOセンター理事でもある中村正理事長は放送免許交付に期待を寄せる。また財政基盤をつくるため「公共空間としての放送局を支えませんか」と会員やサポーターを募集し、最低五、〇〇〇万円程度をめざして資金募集をしている。心配される放送設備だが次世代企業のベンチャーオフィスが集積し、技術的なバックボーンのある京都リサーチパークの応援を得る。ラジオカフェから電話回線でそこに音声を送り、電波を出す(後略)。



津田・平塚(編)(2002) p.309

《松浦 さと子 2002 パブリック・アクセスにおけるNPOの役割 津田 正夫・平塚 千尋(編)pp.291-312》







<新版>





2007年2月6日火曜日

モバイル書斎の遊戯術

 知る人ぞ知るモノフェチである。何かを尋ねられれば型番で応えることも少なくない。ちなみにモノフェチとコレクターは違う、という主張を持っている。私はコレクターではなくモノフェチであって、「ただ集める」のではなく「納得のいくモノを使う」という立場を貫いているつもりだ。

 そんななかで今日届いた「Bluetooth」機器はいただけなかった。Bluetoothとは最近、特に普及し始めた無線通信技術であり、赤外線のように通信距離や遮蔽物の制約を受けにくい上に、通信速度が比較的早く、消費電力も低い部類に入ることから、モバイル機器で導入されつつある。私のMacも、携帯電話も、また通信用に所持しているPHSも、いずれもBluetoothに対応している。そうした中で新たに導入したのが「iPod」をBluetoothで聞くことができるようになる機材と、その機材のレシーバーとなる上に携帯電話のハンズフリーをも実現するという機材のセットであった。

 何がいただけなかったかと言うと、「音質が悪い」のである。というのも、私が今使っているヘッドホンは、昨年得度して僧侶になった折、友人であり同志から贈られた「BOSE」社の「Quiet Comfort 2」という逸品である。そのため、「ウソがウソと出てしまう」のだ。明らかにBluetoothを介さないほうが音がよいのだ。この失敗に至った要因は商品選びの際の「スペック偏重」以外の何者でもなく、そのために実物を触って試すことなく購入してしまったインターネットショッピングの落とし穴にはまってしまったのである。

 (理)工学部で学んでいた頃、ものづくりとは「美・用・強」を満たさねばならないと教わった。美しく、人に用いられ、そして強い、という3原則である。これに習って言えば、ただ単に機能満載では用いられない。何より「美しさ」をもっと追求すればよかったと、今一度型番に目をやりつつ、新たなモノ探しの旅に出るのであった。



モバイル書斎の遊戯術

鞄の中から『QV-10』と『リブレット』が消えた日(抜粋)




 ところがまた問題発生。撮った画像を外へ出しようがないことに気づいたのだ。画像転送のためには専用のソフトが必要だし、しかもウィンドウズ・マシンしか転送先に選べない(マックも忘れるなよな)。そこでIBMの『ThinkPad530CS』があることを思い出し、転送ソフトを買いましたです。ところが、げーっ、だ。『ThinkPad530CS』は256色マシンゆえ、『カラーザウルス』のデジタル写真を転送すると減色してしまうんだって。赤外線通信もうまくいかず、あれこれやっているうちにIBMマシンの「ウィンドウズ95」が死んでしまった。

「デジタル携帯電話」経由で自分宛にデジタル写真をインターネット・メールとして送信することも考えたが、気が遠くなるほど通信料がかかるので断念。『リブレット20』用に買ってあった2万8800bpsのカードモデムを使っての有線送信を試みたが、今度は『カラーザウルス』お嬢ちゃん、モデムカードを全然認識せず。脳味噌ドロドロだわ。

 それでも懲りず『カラーザウルス』で使えると風の便りで聞いたモデムカードを買ったのだが、これまたインターネット接続できず! 私はこうしてこの1か月、怪しいキャッチバーで「ミニスカートを脱ぐなら3万円」「ブラジャーとるなら6万円」「パンティーとるなら10万円よ」……と、じゃかすかじゃかすか財布の中身を吸い上げられるような状態を続けているのであります。



山根(1999)p.79 <初出:DIME/1996.12.19>







2007年2月5日月曜日

字のない葉書

 文字通り、再会とは再び会うことである。得意の「和英辞典的思考法」に基づけば「reunion」ということばもまた、文字通りの意味を表す。ことばとは不思議だ。もちろん、meet(see) again、という表現もあるように、同じことを伝えようと思っても他のことばもあるし、場合によっては同じことばで複数の意味を持つこともある。

 今日は複数の意味の再会が果たされた日であった。一つは、大学時代の友人との再会であった。新潟に暮らす友人が、お寺に尋ねてきてくれた。別用で関西に来てくれたためであったが、懐かしさに花を咲かせながら、将来に実らせたい果実に思いを馳せる機会となった。

 また、夕方に迫る午後に出かけたアート系のワークショップでは、思わず多くの「用事がある人たち」にお会いした。ワークショップの内容は、貸切の路面電車のなかで即興で演奏を行うという現代音楽の取り組みであった。多様な切り口で楽しむことができるそうした場に集まって来られる方々もまた多様である。思わぬところで「そうそう、今度のあれですが…」と、簡単なすりあわせが出来た。

 これは今日の出来事ではないが、先日届いたアメリカからのメールも、思わぬ再会の場となった。返信をするなかで思い出したのは、以前、小学校の教科書に載っていたエッセイであった。時間と空間を置いても、ふと思い出すことができるそうした心地よさ、それこそが生きている実感ではないか、などと、いい意味での感傷的な思いにふけった自分を実感した。年度末に近づきつつも、あと11ヵ月遺った今年、どれだけの、そしてどんな再会に巡り会えるか、楽しみである。



眠る盃

字のない葉書(抜粋)




 終戦の年の四月、小学校一年の末の妹が甲府に学童疎開をすることになった。すでに前の年の秋、同じ小学校に通っていた上の妹は疎開をしていたが、下の妹はあまりに幼なく不憫だというので、両親が手離さなかったのである。ところが三月十日の東京大空襲で、家こそ焼け残ったものの命からがらの目に逢い、このまま一家全滅するよりは、と心を決めたらしい。

 妹の出発が決まると、暗幕を垂らした暗い電灯の下で、母は当時貴重品になっていたキャラコで肌着を縫って名札をつけ、父はおびただしい葉書に几帳面な筆で自分宛の宛名を書いた。

「元気な日にはマルを書いて、毎日一枚づつポストに入れなさい」

 と言ってきかせた。妹は、まだ字が書けなかった。

 宛名だけ書かれた嵩高な葉書の束をリュックサックに入れ、雑炊用のドンブリを抱えて、妹は遠足にでもゆくようにはしゃいで出掛けて行った。

 一週間ほどで、初めての葉書が着いた。紙いっぱいはみ出すほどの、威勢のいい赤鉛筆の大マルである。付添っていった人のはなしでは、地元婦人会が赤飯やボタ餅を振舞って歓迎して下さったとかで、南瓜の茎まで食べていた東京に較べれば大マルに違いなかった。

 ところが、次の日からマルは急激に小さくなっていった。情ない黒鉛筆の小マルはついにバツに変った。その頃、少し離れた所に疎開していた上の妹が、下の妹に逢いに行った。

 下の妹は、校舎の壁に寄りかかって梅干の種子をしゃぶっていたが、妹の姿を見ると種子をペッと吐き出して泣いたそうな。

 間もなくバツの葉書もこなくなった。三月目に母が迎えに行った時、百日咳を患っていた妹は、虱だらけの頭で三畳の布団部屋に寝かされていたという。



向田(1979) p.43:<初出:家庭画報/1976.7>



<単行本>





<文庫版>





2007年2月4日日曜日

まんがゼミナール

 節分の今日、同志社大学にて「缶詰」となっていた。たまりにたまった、もろもろの作業を処理するためである。とりわけ、大阪ガスのエネルギー・文化研究所(CEL)(http://www.osakagas.co.jp/cel/)の委託研究、そして24日から25日の国際ボランティア学会第8回大会について、まとまった時間を取る必要があった。そもそも、インターネットがつながらないところで仕事をすれば、嫌でも「創造」に時間を費やすことになるのだが、調べものも入るために、大学の研究室に身を置くことにした。

 お昼は学食で取ることにした。節分にあわせて「恵方巻」を売っていた。バレンタインデーにはチョコレート、という風習と同じようなものだ、と、関西発祥の文化をバカにしていたこともあったが、やはりこうやって選択肢の一つとして毎年目に触れるようになると、自ずと手が伸びてしまう。今年の恵方は北北西と記されていたものの、切れていない太巻寿司として、普通に(つまり、息継ぎもせず無酸素運動で一気に食べ上げることはせずに)食させていただいた。

 昼食は現在大阪ガスCELの研究のチームに入ってもらっている京都大学の大学院生と共にした。午前に研究室にやってきて、夜まで一緒に「缶詰」をしている。一人ではだれてしまいそうなところを「相互監視下」に置こう、という具合である。したがって私は目下修士論文に追われている彼から、隣から「これって、どうなんでしょう?」と問われる。そこで、いくつかの資料を使いながら「こうちゃうか?」と、事実を整理する新しい発想を投げかける役目を負った。

 研究室には比較的多くの書物があるが、今日、最も役に立ったのは「藤子・F・不二雄」先生のまんが入門講座の書物であった。実に、論文執筆に、またフィールドワークのまとめに、合点がいく「知恵」が盛り込まれていたためだ。とりわけ、「話作りの名人になるためには!?」(pp.98-102)に示された、(1)誇張して考える方法<「オーバーオーバー」(ドラえもん13巻)>、(2)逆転してみる方法<ドラえもんでは「あべこべクリーム」(ドラえもん1巻・大長編5巻)>、(3)比喩(たとえ。ほかにたとえること)を使ってみる方法<「魔界大冒険」の美夜子さん(大長編5巻)>、(4)願望をアイディアに生かす方法<「ジャイアンシチュー(味のもとのもと)」(ドラえもん13巻)>、(5)批判精神をアイディアに生かす方法<「どくさいスイッチ」(ドラえもん15巻)>、などは、まさにガーゲンが「生成力ある理論」と綴っている内容に重なるものだ。そんな書物を薦めた後、「これって、文献リストに挙げるべきですか」と問われた質問に「洒落のわかる人ならね」と曖昧な返事をしてしまい、とんだゼミナールとなってしまった。





藤子不二雄(F)まんがゼミナール

第6章 シナリオを作ろう(物語発想法) (抜粋)




 「まんが」を「映画」にたとえれば、きみはまずシナリオライターであり、次に監督でもあるのです。シナリオにしたがって登場人物を決める。この役にはこの男、この役にはこの女……、というように、主役から端役にいたるまで、きみが配役(キャスティングといいます)するわけです。さて、この俳優(キャスト)たちが、どんな名演技を見せてくれるかは、すべてきみの腕ひとつにかかっているのです。

 それでは、いったい名演技とはなんでしょうか。一言でいえば、役の性格や感情を、いかにもそれらしく、態度で表現するということなのです。

 たとえば、幸せな人をかくことにしましょう。いくらセリフで「ボカァ幸せだなあ」といわせてみても、その喜びの度合は、なかなか伝わるものではありません。十円玉を拾ったくらいなら、かすかにほほえむ程度でも、百円、千円と、その額が上がっていけば、笑顔プラス上半身のアクション、さらにバンザイしてとび上がるほどの表現になってくるはずです。百万円ともなれば、うれしなみだやらヨダレやら、なんともだらしのないことになってしまうかもしれません。もっとも、人によっては、フンとマユ一つ動かさずに、おもむろに、ポケットにつっこむやつがいるかもしれません。こうして、性格描写の問題もからめて、シナリオをどう読みとり、どう演技させるか(演技プランといいます)の判断をするのは、シナリオライターでもあり監督でもある、きみの役目ということになります。

 正確な感情表現をするためには、ふだんからの観察が大事です。どんな気持ちの時、自分は(または他人は)どんなしぐさをするかを考えてみましょう。反対に、どんなしぐさは、どんな気分を表しているのかを考えるのも一案です。



藤子(1988) pp.94-95





2007年2月3日土曜日

事例で読む現代集合住宅のデザイン

 来客の多い一日だった。朝は釈徹宗先生とお連れ合い、そして「Hideyuki Fund」(http://www014.upp.so-net.ne.jp/hideyuki/)の岡本純子さんが来られた。その後、台湾から寺院と建築関係の視察団、27名が應典院を見学された。続いてお昼を過ぎて、大阪府立現代美術センターの「第4回アートカレイドスコープ」の公募作家が、プロデューサーである北川フラムさんと、センターの職員の方々と共に打合せに来られた。

 それぞれに、有意義なお話をさせていただき、自分自身の社会の向き合い方に対して考えさせられた。朝一番のお話では、特に高齢の末期ガンの患者さんに対するホスピス活動と、小児の場合とでは、スピリチュアルケアはどう違うのか、または同じなのか、「いのち」の尊さについて深く考える機会となった。台湾の視察団の皆さんとのあいだでは、文化の違いを超えて、「なるほど」と感じていただく説明をどこまでなすべきか、逆に台湾における仏教の「今」をきちんと学んでおかねば、という衝動に駆られた。そして午後の打合せでは、作家と、作家が生み出す作品と、その環境を支援するスタッフの役割について、作品制作を受け入れる側のスタッフワークも含めて、よりよい形を模索していかねば、という決意を固めた。

 そんななか、無生物のお客、具体的には「新しい電話機」がやってきた。やや、招かざる客とは言えないが、招きたくないという思いもある。それは「Windows mobile」というOSで動作するものであるからだ。いみじくも先般、Apple社から「iPhone」なる携帯電話が発表されたことも重なって、根っからのMacユーザーとしては「やや招きたくない客」と感じてしまう。

 パソコンのソフトにも、建築設計を意味する「アーキテクチャ(Architecture)」ということばが充てられる。私がWindows(あるいはMicrosoft)が嫌いなのは、このソフトの建築設計が実に美しくないのである。住み心地の悪い家には誰も住みたくはないはずだが、長年住んでいると住みごたえが出てくることもある。しかし、もともとの設計が悪いところに住み続けるのは「住み応え」ではなく「住み堪え」だ。実はそれでも、これまで使ってきたモトローラ社のM1000よりも数段に利便性は高そうなことはわかってきたので、これから生活のリズムとインテリアコーディネート等々で納得のいく住まいの実現に取り組んでいくことにしよう。



事例で読む現代集合住宅のデザイン

古くて新しいテーマ「生活から建築を考える」(抜粋)





 言うまでもなく、「生活から建築を考える」には古いも新しいもない。常に設計計画の基本にある理念の一つである。しかし、今日、この理念をもう一度訴えなければならない状況がみられる。その理由は、生活を軽んじているということではない。そうではなく、一見、生活を重視しているようでいて、「生活から建築を考える」という本質から離れた状況が目立つからである。



日本建築学会住宅小委員会(編)(2004) p.109







2007年2月2日金曜日

大阪学

 映画「それでもボクはやってない」を見に行ってきた。難波に出来た「TOHOシネマズ」で、である。たまたま1日ということもあって、物凄い人であった。昨年の映画興行収入は、1985年以来、21年ぶりに外国映画を上回ったというニュースもあるように、映画産業の盛り上がりは、「コンテンツビジネスブーム」との相乗効果で、活気づいていると言えよう。

 今回の映画は、「Shall we ダンス?」などで知られる周防正之監督の最新作だ。先般、「発掘!あるある大事典2」の放送休止(打ち切り発表直前)の折、「スタメン」なる番組が番組時間を繰り上げて放映された。その際にゲストで出演された監督の話も興味深かった。そもそも、実際にあった痴漢冤罪事件を映画にしよう、と取材を重ねたところ、思わぬところに興味が惹かれていったという。

 監督の興味は、痴漢冤罪の背景にある刑事事件の問題点であったという。検事の取り調べに至るまでの調書への「誘導」、また検事における起訴への思い、さらには裁判官と「国家」との関係、などなど、枚挙にいとまがない。さらに監督の関心は、裁判の「傍聴マニア」にも向けられていた。有罪率99.9%とも言われる裏側を垣間見た気がする。

 そんななか、周防監督による「リアリティ」の追求には驚かされた。キャスト、カメラワークはもとより、冤罪という「犯罪被害者への着目による被害者」への取材を重ねてきたなかで明らかになった構造的暴力を明らかにした構成力は極めて秀逸だ。言うまでもなく、痴漢は犯罪である。そのことをつとに考えさせられたのは、実は周防監督の映画よりもずっと以前、関西圏のなかでも大阪のみに掲出された「チカン、アカン」と記されたポスターであったりする。



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大阪学

文庫のためのやや長い目のあとがき(抜粋)



 九五年のことだが、阪神淡路大震災のテレビ・ニュースを見ていた。震源地の北淡町長が、「さア、こんな時は冗談を言うて大笑いせなあかん」と言うている。家が全壊したおばさんがマイクの前で、「家はないけど、元気はありまっせ」と話している。傾いたビルのオーナーが、「これは自信過剰やったわ」と地震と自信をからませて洒落をとばしている。仮設住宅の抽選に外れたおじさんがマイクを突きつけられて、「地震に当たって仮設に当たらん」と口走る。避難所に見舞いに来た村山首相に、おばさんが「来るだけやったらあかんでエ」と浴びせる。こんな光景は、ほかではあまり見られないだろう。この復興は当初考えていたよりも早いだろうと、私はテレビの前で思った。



大谷(1997) pp.216-217



<文庫版>





<ハードカバー(上記あとがきは掲載なし)>





2007年2月1日木曜日

芸術創造拠点と自治体文化政策

 大阪に「アーツカウンシル」をつくろう、という動きに関わっている。具体的には、先般1月11日に提出された「大阪市の創造都市戦略における芸術文化の果たす役割の再考を願う嘆願書」の発起人として参加した。最終的に22団体、68名、計90組が名乗りを上げた「嘆願書」は、「芸術文化評議会」という名称で、アーツカウンシルの設立を提案する。ここで「アーツカウンシル」とは、「行政からはある程度の距離を保ち芸術文化表現の独立性を保ちつつ、官民恊働で施策を検討・実施していく機関」(同、嘆願書より)とされている。

 「アーツカウンシル」の設立を呼びかけた嘆願書は、佐々木雅幸さん(大阪市立大学社会人大学院創造都市研究科教授)、平田オリザさん(大阪大学コミュケーションデザイン・センター特任教授)、原久子さん(大阪電気通信大学教授)の3名によって市長に手渡された。そもそも、なぜこうした嘆願書が提出されるに至ったかというと、現在大阪市は「経営企画室」が窓口となって「創造都市戦略」と題した市政改革方針の策定を進めているためである。最近「パブリックコメント」なる制度が各方面で投入されているため、この「創造都市戦略」も「大阪市電子申請」というウェブページから意見を伝えることができた。が、それでは伝えきれないと思いがある、ということで、私の知り合いたちが草案をつくり、結果として「嘆願書」としての提出に至るのであった。

 今年度より大阪の文化政策に関わってきているが、この間、いくつか感じること、思うこと、考えることがある。率直に、しかしやや抽象的に、「配慮の過不足」があると表現をしておこう。とりわけ「過」な部分は自治体内に、一方で「不足」は現場に、という方向がありそうだ。もちろん、大阪市の「現代芸術創造事業」を受託しているので、自治体文化政策に直接触れている身としては、最大限に現場の意向を汲み取っていただき、事業の執行や予算の獲得にあたっていただいていることも触れておかねばなるまい。

 魅力的な都市というのは、人々が集い、そこにそれぞれの思いが弾け、多くの人の息づかいが都市の躍動感となって昇華しているのではないか。少なくとも應典院のキャッチコピー、「人が、集まる」「いのち、弾ける」「呼吸する、お寺」というのは、地域資源としてお寺が果たす役割を自戒していることを伝えることばであると言えよう。そうしたお寺で働いているのもあって、本日、「嘆願書」提出の報告会と、嘆願書の提出名義である「大阪市の『創造都市戦略』における芸術文化の果たす役割の再考を願う市民の会」の解散式、そして「大阪にアーツカウンシルをつくる会」の設立に向けた意見交換に参加してきた。何より、こうした動きをつくっていこう、という人たちとの話が、もっとも創造的な場である、と、最終の京阪電車の特急列車に乗りながら思うのであった。





芸術創造拠点と自治体文化政策:京都芸術センターの試み

第1章 芸術創造と自治体の役割(抜粋)




 「文化」は、受け継がれる文化としての「生活文化」と、芸術・学術・技術の文化や非日常文化、未来を切り開く文化(社会を創る文化)であるところの「創出文化」に分かれていて、芸術は「創出文化」領域のなかのほんの一部を占めるものに過ぎない。筆者は「日常的な生活文化」の先端部分として「非日常的な芸術文化」があると考えている。どちらも大切なものだが、「生活文化」と「創出文化」(芸術)は、政策を論議するうえで、混同してはならない。

 筆者が本論で題材とする「文化政策」とは、狭義の芸術政策のことである。生活文化の隆盛、発展はもとより期待するところだが、自治体が公金を投入して政策を展開する以上、マーケットが形成された生活文化よりも、市場が形成されていない芸術への支援が大切であると考えているからだ。

 人々の会話や行政職員のなかでも、芸術と文化が混乱しているケースが多々みられる。今後は、「芸術文化」と呼ぶ場合は非日常文化である芸術を強調し、「文化芸術」もしくは「芸術・文化」と呼ぶ場合は「文化と芸術と」と並列して考え、日常文化+非日常文化の総称として理解していいのではないか。

 しかし、芸術文化と生活文化を分断することを主張している訳ではない。芸術文化と日常文化が互いに作用しあうべきである、と考えている。



松本(2006) pp.14-15