お昼は学食で取ることにした。節分にあわせて「恵方巻」を売っていた。バレンタインデーにはチョコレート、という風習と同じようなものだ、と、関西発祥の文化をバカにしていたこともあったが、やはりこうやって選択肢の一つとして毎年目に触れるようになると、自ずと手が伸びてしまう。今年の恵方は北北西と記されていたものの、切れていない太巻寿司として、普通に(つまり、息継ぎもせず無酸素運動で一気に食べ上げることはせずに)食させていただいた。
昼食は現在大阪ガスCELの研究のチームに入ってもらっている京都大学の大学院生と共にした。午前に研究室にやってきて、夜まで一緒に「缶詰」をしている。一人ではだれてしまいそうなところを「相互監視下」に置こう、という具合である。したがって私は目下修士論文に追われている彼から、隣から「これって、どうなんでしょう?」と問われる。そこで、いくつかの資料を使いながら「こうちゃうか?」と、事実を整理する新しい発想を投げかける役目を負った。
研究室には比較的多くの書物があるが、今日、最も役に立ったのは「藤子・F・不二雄」先生のまんが入門講座の書物であった。実に、論文執筆に、またフィールドワークのまとめに、合点がいく「知恵」が盛り込まれていたためだ。とりわけ、「話作りの名人になるためには!?」(pp.98-102)に示された、(1)誇張して考える方法<「オーバーオーバー」(ドラえもん13巻)>、(2)逆転してみる方法<ドラえもんでは「あべこべクリーム」(ドラえもん1巻・大長編5巻)>、(3)比喩(たとえ。ほかにたとえること)を使ってみる方法<「魔界大冒険」の美夜子さん(大長編5巻)>、(4)願望をアイディアに生かす方法<「ジャイアンシチュー(味のもとのもと)」(ドラえもん13巻)>、(5)批判精神をアイディアに生かす方法<「どくさいスイッチ」(ドラえもん15巻)>、などは、まさにガーゲンが「生成力ある理論」と綴っている内容に重なるものだ。そんな書物を薦めた後、「これって、文献リストに挙げるべきですか」と問われた質問に「洒落のわかる人ならね」と曖昧な返事をしてしまい、とんだゼミナールとなってしまった。
藤子不二雄(F)まんがゼミナール
第6章 シナリオを作ろう(物語発想法) (抜粋)
第6章 シナリオを作ろう(物語発想法) (抜粋)
「まんが」を「映画」にたとえれば、きみはまずシナリオライターであり、次に監督でもあるのです。シナリオにしたがって登場人物を決める。この役にはこの男、この役にはこの女……、というように、主役から端役にいたるまで、きみが配役(キャスティングといいます)するわけです。さて、この俳優(キャスト)たちが、どんな名演技を見せてくれるかは、すべてきみの腕ひとつにかかっているのです。
それでは、いったい名演技とはなんでしょうか。一言でいえば、役の性格や感情を、いかにもそれらしく、態度で表現するということなのです。
たとえば、幸せな人をかくことにしましょう。いくらセリフで「ボカァ幸せだなあ」といわせてみても、その喜びの度合は、なかなか伝わるものではありません。十円玉を拾ったくらいなら、かすかにほほえむ程度でも、百円、千円と、その額が上がっていけば、笑顔プラス上半身のアクション、さらにバンザイしてとび上がるほどの表現になってくるはずです。百万円ともなれば、うれしなみだやらヨダレやら、なんともだらしのないことになってしまうかもしれません。もっとも、人によっては、フンとマユ一つ動かさずに、おもむろに、ポケットにつっこむやつがいるかもしれません。こうして、性格描写の問題もからめて、シナリオをどう読みとり、どう演技させるか(演技プランといいます)の判断をするのは、シナリオライターでもあり監督でもある、きみの役目ということになります。
正確な感情表現をするためには、ふだんからの観察が大事です。どんな気持ちの時、自分は(または他人は)どんなしぐさをするかを考えてみましょう。反対に、どんなしぐさは、どんな気分を表しているのかを考えるのも一案です。
藤子(1988) pp.94-95
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