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2007年2月9日金曜日

アーツ・マネジメント

 「大阪でアーツカウンシルをつくる会」にコアメンバーとして関わっている。大阪市の文化政策をよりよいものにしよう、という市民側の動きである。アーツカウンシルというのは自治体が設置するものであるから、われわれがいくら「つくりたい」と思っても、われわれだけでつくることはできない。だからこそ、アーツカウンシルが「できる」ために、「つくる会」ができた。

 アーツカウンシルは、アーツ・マネジメントを実践する上で欠かせない存在である。放送大学のテキスト「アーツ・マネジメント」によれば、アーツ・マネジメントとは、「ジャンルが複数にわたる」芸術そのものに対して、「家元制度的な日本型マネジメントと異なる」かたちの「合理的でより民主的と見なされている欧米型の管理」をしていくこととされている。ちなみに放送大学は多くの人々の高等教育への修学機会を広く提供することを目的としているのだから、テキストもまた、比較的平明に書かれているという特徴がある。英語名「University of Air」から紐解く字義的な意味(空気が所有する大学)も壮大であるが、その実践は着実なものであると言えよう。

 アーツカウンシルによって支援される対象となるアーティストならびにその作品や活動そのものから見てみれば、別に支援などいらない、と思われるかもしれない。しかし、地域の社会的、文化的な発展を考えれば、自治体はアーツを支援する必要がある。アーティストの自発的な意欲、アーティスト組織の内発的な努力に依存するだけでは、創作活動の拠点は常に流動的となってしまうためである。創作活動の拠点が流動的となる、ということは、常に「お客さん」を迎えつづけなければならない、ということになるのだが、お客さんを招き入れる上での戦略や戦術、またお客さんに対する基本的な考え方がなければ、お客さんもまた、居心地が悪く、早々にその場を去ってしまうことになろう。

 今回、「つくる会」で議論をしているのは、アーティスト支援組織が、自治体の政策とうまく共鳴し、地域の魅力を高めていくことが狙いである。だからこそ「大阪で」ということばが付与されている。大阪の文化として吉本、阪神、たこ焼、この3つが前に出てくることが多いものの、それだけが大阪の文化ではない。芸術や美術と言うと少し距離が出てきそうだがアートというと少し身近になりそうなこと、例えば詩や映像やダンスや演劇や映画、そうした媒体が生活にもたらす彩りや潤いを実感してもらいたい、少なくとも私はそうした願い携えて、この活動に関わっている。

 本日、21時過ぎから5人で行った「つくる会」の打合せは、突き出しに「揚げパスタ」が出てくる、ちょっと小粋なバーで行った。それぞれ共通の宿題をやってくることになっていたために、その「答え合わせ」から始めた。思いが共鳴しあうのか、驚異的なスピードで打合せは終了した。次の日程調整も、お店を出た後の立ち話で決まった。このフットワークの軽さが、うまく「大阪」に、つまり大阪府、大阪市にも伝播していくといいのだが…。





アーツ・マネジメント

2 アーツ・マネジメント史(抜粋)




 近代的アート制度は、アーティスト・アーティスト組織、彼らを援助する人々・組織・制度からなる。後者は、さらに直接的にサポートする人々とからなる。直接的に援助をするのは、個人的なパトロンやアーツカウンシル(文化評議会)や芸術NPOなどの組織であり、間接的にサポートするのは、批評家や芸術機関などの評価者、そして、美術・音楽・演劇などを鑑賞する鑑賞者などである。アートは、自由な自己表現に基づく産物であり、本質的に、近代的な資本主義経済−−勤勉な競争原理に基づく価値創出活動−−とも、なじみにくい性質を持つ。しかしその一方で、社会が成熟していくにつれて、人々が求めるものが、自己表現であり、自己実現であり、その究極の活動の一つが芸術活動でもある。近代社会の発展につれて、この一見矛盾する二つのプロセスが、一つの社会の中で同時に進行してきたのである。その結果、アーティストの数が大幅に増え、そのアートを観賞する人々の数も増大した。しかも、その一方で、アーティストやアーティスト集団を支える人々とその組織や制度が機能分化し、発展してきたのである。また、アーティストと鑑賞者を媒介する組織や制度も洗練・細分化してきた。



川崎・佐々木・河島(2002) p.22

《川崎 賢一 2002 アーツマネジメント史 川崎・佐々木・河島(2002)  pp.21-31》







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