修士論文は、博士論文もまた同様に、「公聴会」という場でもって、その内容を発表しなければならない。「公」ということばからも明らかなように、誰もがその場に来ても構わない、という前提があるものの、実際は同級生や後輩が傍聴の中心だ。一方で公聴会それ自体は指導教員(主査)と、2名の審査者(副査)による口頭試問の場でもある。よって、副査として指定された場合には、事前に精読して、一定のコメントとともにいくつかの質問を投げかける必要がある。
最近は機材の普及もあって、公聴会でもまた、Microsoft社のPowerPointというソフトを用いて、液晶プロジェクターにて画面に投影されたものが発表資料として用いられることが多い。しかし、ここに発表の「罠」があるように思えてならないので、ここで記しておきたい。それは、「公聴会」は、研究発表の場であって、資料説明の場ではない、ということだ。具体的に言うと、「PowerPointをご覧下さい」や「画面のとおりです」という説明では具体的な内容を発表したことにはならないし、「技術不足で表現できませんでした」と言って事実や結果の抽象化に対する関心と実践をおろそかにしているような発表に対しては、学術的知見を紡ぎ出すという研究者の姿勢を疑わざると得ない。
もちろん、これは公聴会に限ったことではないが、パソコンという道具を使いこなすことができないのであれば、他の道具を使うか、あるいは道具の使いこなしのために精一杯の努力をなすべきだ。昔話になるが、私の修士論文はPowerPointが一般的ではなかった(蛇足だが、私は当時から熱血Macユーザーだったが、Aldus Persuasionというソフトのほうが学術界では優勢だった)上に、液晶プロジェクターも高価であったため、PowerPointで作成したスライドをOHPシートに印刷して、それを用いながら発表をした。そんな昔話を思い出したのは、多くの発表がPowerPointというソフトに引きずられて、肝心の研究発表という前提が崩れてしまっているように思えたのだ。以前、卒業論文の発表を行った後に読んだ書物「NGO運営の基礎知識」にも紹介されていたことであるが、人前で発表を行う上では、PowerPointなどの道具を活用するという伝え方も大事であるものの、やはり重要なのは内容であって、それ以上に伝えたいことが伝わるように「聞き手」に配慮するという人柄であると、強く主張しておきたい。
成功するプレゼンテーション
第一章 プレゼンテーションの基本
二 プレゼンテーションの原則
第一章 プレゼンテーションの基本
二 プレゼンテーションの原則
「プレゼンテーションを上手にやるにはどうしたらいいでしょうか」と質問をすると、ほとんどの人が「何といっても内容です」と答えます。確かに内容がなければ話になりません。
さらに「同じ目的で、同じ原稿や資料を用意し、あなたと私とプレゼンテーションを始めた場合、どちらがうまくできるでしょうか」と質問すると、ほとんどの人は「もちろん先生の方がはるかに上手にできます、プレゼンテーションの先生ですから」といいます。ということは、内容が問題ではないということです。同じ内容であっても、上手にできる人もいれば、下手にやってしまう人もいる。したがって、内容以外の要素が重要な決め手になると考えられます。
では、何が必要なのでしょうか。一つは、「人前で話す技術」つまりデリバリー(伝達)の技術、伝え方の技術です。例えば、上手に視覚化し、メリハリをつけ、説得力ある話し方をする技術が必要となります。
でも、どんなにいい内容、よい技術を身につけても、お客さんに嫌われてしまっては何にもなりません。クライアントもしくはプレゼンテーションを受ける側から、「なんだ、あいつは。あんなやつの話を二時間も聞くのか」と嫌われてしまっては受け入れてもらうことはできません。したがって、もう一つ、パーソナリティー(人柄)も重要な要素になります。
つまり、プレゼンテーションにおいては、
(1)人柄(Personality)
(2)内容(Program)
(3)伝え方(Presentation skill)
の三つの「P」が必要になるわけです。
箱田(1991) pp.22-23
(文中の「括弧付き数字」は、原点では「マル囲み装飾数字」だが、引用の際に変更した)
(文中の「括弧付き数字」は、原点では「マル囲み装飾数字」だが、引用の際に変更した)
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