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2013年9月2日月曜日

フィクションによるリアリティの喚起


NHKによる朝の「連続テレビ小説」『あまちゃん』の世界の話で、2011年3月11日を迎えた。2008年の夏からの物語が、23週目の133話目で迎えた「その日」である。普段は「週あま」あるいは「録あま」な私も、先週土曜日の終わり方が気になり、「早あま」をした。ちなみに「早あま」とはBSプレミアムで7時半から始まる放送を見ること、「週あま」は同じくBSプレミアムで土曜日の朝9時半から一気見すること、「録あま」とは文字通り録画して観ることで、その他にも総合テレビでの8時からの本放送を観る「本あま」や12時35分からの「昼あま」、さらにはBSプレミアムでの23時からの「夜あま」という呼び名もある。

『あまちゃん』については、かねてより宮藤官九郎さんの脚本、大友友英さんらによる音楽、そして井上剛さらんらによる演出、それぞれに高評が寄せられているが、今日の放送は、震災を扱う作品の中でも、伝説に残るものの1つになると確信した。それは、「地震」の後の世界に生き、実際に「震災」の只中を生きている私たちに、とてつもないリアリティを呼び起こすものとなっていたためである。実際の映像(例えば、NHKの鉾井喬カメラマンが捉えた名取川河口付近から遡上する津波のニュース映像など)は用いられず、津波の映像が流れていると思われるテレビを食い入るように見ている人々、そして(架空の)北三陸観光協会に設置されていたジオラマでの表現(被害状況の再現)などにより、「あの日」が伝えられた。テレビだが静止画を多用し、音楽といよりも音を大事にした構成がなされることで、冒頭に流れる軽快な番組テーマから覚える印象が際立つため、それが小さな救いをもたらしているような気もした。

ちなみに大友さんと井上さんという組み合わせは、後に映画化された『その街のこども』にも見られる。こちらの作品は2010年1月17日の23時から、当日の朝に催された「東遊園地」での追悼のつどいの様子も盛り込まれ、阪神・淡路大震災から15年を迎える前日とその日の様子を、関西に暮らした経験のある2人の役者(森山未來さん、佐藤江梨子さん)を中心に描いたドラマである。『その街のこども』では、冒頭の「時報」の音(ちなみに、5時46分ちょうどを迎える「ポーン」の音が鳴らない、というものだが、実際の地震は5時46分52秒に起きている)が、当時への思いを駆り立てる演出として、私の涙を誘った。今回は、ジオラマに重なる、青いガラスかアクリルが、津波被害への記憶をわしづかみにした。

転じて、リアルな素材よりも、フィクション(つまり、ドラマ)の世界にリアリティを感じるというという構図は、「フィールドノーツ」よりも「エスノグラフィー」が重要とされる、フィールドワーク(この文脈においてアクションリサーチと置き換える方がよいだろう)にも通じるはずだ。例えば、テープ起こしによる「トランスクリプト」はリアルな語りを文字化したものだが、それを適切に編集(つまり、加筆・修正)することによってリアリティが高まるという具合である。その昔、名古屋の「レスキューストックヤード」によってまとめられた『いのちを守る智恵:減災に挑む30 の風景』の意義について、ハナムラチカヒロさんとお話した際に、「知恵を伝承する上では、フィクションとノンフィクションが巧妙に混ざり合う」と伺ったことをよく憶えている。はてさて、ノンフィクションとフィクションに対する、リアルとリアリティの違い、これを考える題材を、15分で2011年3月11日の14時46分前後から20時8分まで進められた今日の『あまちゃん』は提供した。

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