かねてより興味を寄せていた「中村ブレイス」さんにお伺いすることができた。京都市による「ソーシャルビジネス支援事業」の一環で位置づけられたスタディーツアーに参加したためである。このツアーは、先般、立命館大学の講義「地域参加学習入門」に、京都市役所から商業振興課の仲筋裕則係長をお招きした折に学生たちに紹介くださったものなのだが、他ならぬ私が最も関心を示した。なぜなら遡ること1998年、私がTwitterなどのアカウント名に用いている「NPOスクール」と名付けられたプロジェクトにて、その総合コーディネーターを務めた中村正先生が、ボランティア活動は人を幸せにできるのか、といった問いを投げかけた折の議論の題材として、中村ブレイスによる人工乳房づくりの話をされたためである。ちょうど、ビートたけしさんのエッセイ「ボランティア亡国論」とあいまって、今でこそ浸透した「ビジネスを通じた支援」のあり方に迫る端緒として、強烈な印象を憶えたのであった。
よって、朝から貸切バスにて島根県は大田市、大森を目指した。この事業は事務局がASTEM(京都高度技術研究所)を務めているということもあり、大学コンソーシアム京都の在職中にお世話になった方と再会する機会にもなった。ただ、京都から島根は遠く、朝7時半に京都駅八条口を出たバスは、何度かの休憩を経て、14時頃に中村ブレイスに到着となった。道中では、中村ブレイスが紹介された「カンブリア宮殿」(2008年8月11日放送)と、中村ブレイスの創立30周年記念として制作された映画『アイ・ラブ・ピース』が流され、いい予習の時間となった。
中村ブレイス、転じて中村俊郎社長の軌跡は、2011年に上梓された『コンビニのない町の義肢メーカーに届く感謝の手紙:誰かのために働くということ』(日本文芸社、2011年)に詳しい。今日は、そのご著書をはじめ、多くのお土産をいただきつつ、明治36年に建てられた旧松江銀行の本店を移築・改装した「なかむら館」にて、社長からじっくりお話を伺った。ご自身の地元(石見銀山を擁する大森のまち)への思いは文字や写真から伺い知ることができるであろうが、実際、現場にお伺いしてこそわかるのは「人との出会い」を通じて「いただいた希望のことば」をもとに、「皆さんから期待をされること」を大切にされていることである。製品づくりでは「一人の人が喜ぶベストを尽くす」厳しい指導者として若手を育て、そしてまちづくりでは「育ててくれたまちが夢もないまちにならないように」と一銭も公費をもらわらずにリノベーション等を進めてこられた。
「ブレイス(brace)」とは「支える」という意味だ。40年前の創業時、叔父の要望に応えて造ったコルセットに満足してもらえたからこそ広がりが生まれたことが原体験となっている中村社長にとって、採算ベースに乗せるためにデータから迫るのではなく、自分にしかできないことをして喜ばれることしてきた生き方・働き方は、結果として「欲がないと思われるかもしれないが、欲はある」という表現に収斂されるのだろう(要するに、経済的な欲ではなく、社会的・文化的な欲がある、という意味だと理解している)。中村ブレイスの社是は「Think」である。社員の方々(特に、寺岡さん、大森さん)との触れあいと、中村社長にご招待いただくかたちとなった夜の懇親会などを通じて、人の喜びを導き出すために考え抜くことが、支え、支えられる関係、そして押しつけではない支え合う関係をもたらすのだと、ささやかな興奮と共に眠りにつくこととなった。
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