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2013年9月16日月曜日

ASAPで

台風18号は、日本列島の各地に大きな爪跡を残した。とりわけ、今、住まいを置いている関西、そして京都にも甚大な被害をもたらした。その全容は時が経つにつれて明らかとなっていくことであろう。にしても、早朝に家へと吹き付けた強風と、激しさを増していく豪雨の音は、並の力ではないことを強烈に実感させられるものであった。

京都市内では晴れ間さえ見えてきた午後、久しぶりに安斎育郎先生と面会する機会を得た。安斎先生とは、私が学部生の頃、世界大学生平和サミットや、その後の社会活動で大変お世話になった。時を経て今、災害復興支援室に関わる教員として、立命館大学国際平和ミュージアムの名誉館長で、国際関係学部の名誉教授、そして放射線防護学を専門とする研究者にお目にかかるというのは、何とも感慨ひとしおである。そう、今日は、この間、安斎先生らが取り組んで来られた福島への支援活動の広がりをいかにもたらすか、という案件で、立命館大学国際平和ミュージアムの担当でもあり、立命館災害復興支援室にも設立当初から関わる社会連携部の次長と共に、「安斎科学・平和事務所」にお邪魔したのである。

安斎先生と言えば、澱みのないおしゃべりはもとより、そこに時としてマジックを織り交ぜることでの意表を突いた展開、さらには克明なデータに基づく説得力ある論理構成を敬愛してやまない。今日もまた、事務所にお伺いするなり、まずは東京電力福島第一原子力発電所の廃炉への政府予測の見通しの甘さ、続いて廃炉への労働力を確保の困難さと「原発労働」における六重・七重に及ぶ「搾取構造」の根深さ、そしてメルトスルーした状態での汚染水漏れの深刻さ、さらには今このときも地元に帰ることが保証されぬまま仮設での暮らしを余儀なくされている15万人の方々の切実さ、それらの解説をいただいた。それに続き、安斎先生から、放射能汚染の中で暮らしている200万人の福島県民をいかに支えるかについて考え、取り組んできたことについて説明をいただいた。中でも、ポニー工業が開発した「ホットスポットファインダ−」を用いて、2013年5月から、福島市内の保育園などに対して、園児・保育者・保護者に対する放射線量率分布の測定に取り組んで来られた結果と提言(例えば、室内でのみ保育を重ね続けていると、結果として「転ぶ」という経験を持たず、ちょっとした転倒など些細な怪我で頻繁に骨折してしまう、といったことなど)は、原子力に関する「スペシャリスト」ならぬ「ジェネラリスト」(安斎育郎『原発と環境』復刻版のまえがき、iiページより)でいらっしゃることを、ありありと感じる実践であった。

安斎先生によれば、放射線による被害は、医学的影響(これは身体的影響と遺伝的影響に分かれ、さらにそれぞれに対して確定的影響と確率的影響とに細分化されるという)、いのちを落としたり寿命を縮めたりする心理的影響、そして風評被害といった社会的影響の3つがもたらされるという。安斎先生は中でも測定結果をもとに、どうすれば地域に溶け込んで暮らしていくことができるかの解説や講演や個別指導を行いつつ、再除染が必要とされる場所を明らかにする活動を行って来られた。今回は、その取り組みを継続、発展させていくためには、どのような手立てがあるのかを探ると共に、汚染してしまった以上、どのようにして低レベル放射線のある状態に向き合っていくのか(例えば、研究機関の整備、技術者の養成、博物館の設置、海洋生物や気圏動物の監視)、また風力や太陽光などによる発電の拠点化など、多岐にわたる意見交換を行わせていただいた。ちなみに安斎科学・平和事務所の英語名称「Anzai Science & Peace Office」は略称が「ASAP」であり、ここにもas soon as possibleとの掛詞という洒落を垣間見るのだが、はからずも今、できる限り早く、しかしあせらずに、この問題に取り組んでいく着実なチームづくりが求められて

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