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2021年3月17日水曜日

都の民

水曜日、朝は大阪での英会話のクラスに出席した。今日のテーマはミャンマーの軍事クーデターで、仏教国での軍事政権の影響と動向について、第二次世界大戦中における鈴木敬司・陸軍少将による「南機関」の話まで遡り、意見交換がなされた。また、ロヒンギャのみならず、国境沿いで生活を送る少数民族の存在をはじめ、民主化運動を経てなお残っていた社会問題についても改めて認識することができた。若い国の若者たちによる国づくりを何らかの形で支えられれば、と痛切に感じる1時間半となった。

このところ京阪の淀屋橋駅ばかり使ってきたが、今日はあえて渡辺橋駅を利用することにした。お目当ては現在発行されている第136号が最終号となる「月刊島民」を目にして手にすることだった。2008年、中之島線の開業をきっかけに創刊され、水都大阪の象徴の1つである中之島界隈の魅力を掘り下げる冊子として、実に読み応えがあるものだった。あれから12年、企画・編集・発行にあたって留め金のような役割を果たしてきた「140B」が入居していたダイビルは建替となってしまったものの、大大阪の痕跡を辿ることができる風景は各所に遺されていると共に、それらを大切にする市民らによる継続的・発展的な取り組みが重ねられており、その一翼を「月刊島民」が担った部分もあろう。

京阪中之島線が開業した2008年には天満橋界隈に住んでいたこともあって、若干の感慨に浸りつつ、午後にはZoomミーティングに自宅から参加した。立命館大学「2020年度(第4回)・2021年度(第1回)基本担当者会議」と呼ばれる会議であった。これは2008年に導入された「基本担当者制度」の効果的な運用のために実施されるものであり、各キャンパスで開講する同一科目について、シラバス・講義内容の標準化、授業進捗状況の把握、成績評価基準・方法の調整などが行われる。2020年度はコロナ禍により、そうした部分が一層重要となったこともあって、多くの参加者のもとで、よりよい教育実践のための授業改善の手がかりを探る機会となった。

Zoomミーティングの終了後、引き続き打合せが持たれた。新年度早々に締切となる民間財団の助成事業に応募するためのブレーンストーミングであった。準備期間は短いものの、長い時間をかけて蓄積してきた知見がある。「月刊島民」が丁寧にまちの歴史と文化を紡いできたことを想い起こしながら、応募用紙の空欄に向き合い、ストーリーを練り始めた。

PDF版で目を通すこともできるものの手にとって目を通すことに格別の意味があるかと
<Nikon D40, Micro 40mm, f/4, 1/60, 40 mm>



2021年3月16日火曜日

チャームにブルーム

朝は今年度最終の立命館大学の倫理倫理審査委員会だった。2018年度から委員をさせていただいており、来年度もまたお役目をいただいているものの、今年度で退任される方々も何人かおられた。そもそも、私が委員に就いたのも、どなたかが退任されたゆえのことであり、コンプライアンスが多方面で指摘される中、研究者の権利として与えられているもの(つまり、審査を受けることは義務ではない)がきちんと行使いただけるよう、お役に立てればと思っている。その一方で立命館では大学院の指導担当ではない私にとって、一連の審査において丁寧な確認が必要とされるということもあり、立命館の研究水準に触れることができる貴重な機会であると共に、自分自身の研究手法を見つめ直す機会にもなっている。

午後は大阪大学によるシンポジウムを聴講した。文部科学省委託事業「人文学・社会科学を軸とした学術知共創プロジェクト」 キックオフ・シンポジウム、という大きな看板が掲げられたものであり、「命に向き合う知のつながり―未来を構想する大学」というタイトルのものであった。中でも第1部「人文学・社会科学の可能性」での鷲田清一先生の講演「学問と社会 再論」がお目当てだった。鷲田先生は私が3年間の在籍をした直後に大阪大学の総長に就かれ、約2年前に京都市立芸術大学の理事長・学長を退任された後は大学を離れられたということもあって、「再論」という言葉が埋め込まれたのだろうと想像しつつ申し込んだものである。

2020年の7月18日、法然院で開催された第14回善気山文化塾の講演「使うこと、繕うこと」にて、久しぶりに鷲田先生の語りに触れたものの、その後、朝日新聞の「折々のことば」を休載されたこともあって、お身体を崩されたのかと案じていた。しかし、今日はZoom越しではあったものの、その独特の論理展開を楽しませていただいた。少なくとも私が最も興味が向いた点は、哲学者・カントによる「知性の公共使用」の観点を引き合いに出し、文部科学省による競争的資金獲得を煽動するかのごとくの政策動向は、結果として大学を社会に対して閉じた拠点化を推し進めることとなると共に、知性を自らの教育・研究の環境改善のために用いるという知性の私的使用に他ならず、学術研究の原点に立ち返る必要がある、と断言されたことである。この学術研究の原点とは、社会に関与せずに批評的な距離を保つことと、社会の抱え込んだ問題解決に責任を負うという、相反する2つのベクトルの中でこれから歩むべき道筋や方向性を個人・集団が見つけること、と示された。(ちなみに、そうした振る舞いに対して、オリエンテートとマッピングという語を当てたことを付記しておく。)

鷲田先生の講演は、現役世代に対して、伸びやかさとチャーミングさを忘れないで、とメッセージで締めくくられた。そして、学問と社会との関係構築では、大学からのアクションに対して市民からのリアクションを受け止める必要があるということ、すなわち大学は市民の学ぶ権利を支えることが重要、と言葉を重ねられた。こうした議論を支える理論として、ドゥルーズの「批評と臨床」を挙げ、クリティークとクリニックのバランスを取ることが、共犯関係に陥らないための重要な手がかりとなること、それゆえに特に人文学では問題解決策としてのソリューションよりも問題発見の過程において問いを立てることを大切にすべし、と示された。シンポジウムの終了は18時で、夕食はおなじみの街の中華料理のテイクアウトにしたので、改めてオーダーした品を取りにいく道すがら、やわらかい言葉ながら複雑に入り組んだ文脈のもとでの1時間の「鷲田節」を改めて味わい直してみた。

千本今出川の桜で人形浄瑠璃の義経千本桜を感覚的に想い起こしてしまうのでした
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/40, ISO640)



2021年3月15日月曜日

前に向かって動く

英語が得意なわけではないが、好きだ。とりわけ、語義から意味を探ることが楽しい。それは漢字であっても、またその他の日本語でも同じようなことができる部分もある。ただ、漢字において部首であったり、日本語以外でも語源を辿るといったこと以上に、英語の場合は(その他ヨーロッパの言語も似た傾向にあるとも言えるだろうが)接頭語と語根と接尾語とを分割して捉えてみたときに、意味の体系に触れられるのが興味深い。

今日は午前中に立命館大学共通教育推進機構および教養教育センターの次年度の運営に関する打合せがあった。「何学部の先生ですか?」と問われることが多いものの、私の所属はこの「共通教育推進機構」なのである。英語で言えばInstitute for General Educationで、Liberal Arts Centerの担当、ということになる。立命館大学では各学部の英語名にCollegeを付しているために、それぞれの専門に基づいて学位を出すことができる機関であることが明確だが、機構の英語名にInstituteが充てられているのは、学内の実践的・実験的な取組を企画・開発・導入・展開・評価を行い制度化を図る研究所のような役割を果たすことが期待されていることの現れであろう。

その後、立命館大学衣笠キャンパスへと向かい、正門前のバス停に、2020年度の教養C群科目「ソーシャル・コラボレーション演習」受講生によるバス停の装飾活動の立ち会いを行った。2この科目は2012年の教養教育改革で設置された科目である。当初は立命館大学の地域連携活動に、2019年度からはそうした地域連携活動を評価いただいたことで、京都府立堂本印象美術館と取り組みを重ねてきた。そして今日は、2020年度の活動の一つ、美術館のプロモーションの一環として、京都市交通局の許可のもと、美術館のスタッフと受講生らの手によって、期間限定にてQRコードつきのポスターが掲出された。

バス停のポスター掲示が美術館のプロモーションとして位置づけられている理由は、ポスターのQRコードをスキャンした後に表示される画面を美術館の受付で提示すると、特製のバッジがプレゼントされる、という仕掛けとなっているためである。文字通り、pro(前に向かった)motion(動き)を誘発するものとなっている。この立ち会いの後、立命館大学びわこ・くさつキャンパスに向かい、新年度から本格展開をしたいプロジェクトの打合せを行った。私もまた、前に向かって動いていく新年度としたい。

(iPhone 12 mini, 1.55mm< 35mm equivalent: 14mm>, f/2.4, 1/905, ISO25)

2021年3月14日日曜日

理由は無理解からの反抗

中学から高校にかけて、ジェームズ・ディーンの魅力に引きつけられていた。リーバイスのCMの影響が大きい。また、Boonという雑誌の影響もあって、雑誌内で取り上げられていたストリートカジュアルと、それにまつわる雑学の紹介を通じて、夭折のスターの伝説を知ったことも下支えとなった。インターネットやWikipediaのない時代のゆえんである。

中でも映画『理由なき反抗』で、超絶のかっこよさに触れた。さすがに作品内で着用されていた赤は差し控えたものの、クリーム色のスイングトップに501を履いていた。その後、ジェームズ・ディーンがリーバイスを履いていたのはごく稀のことで、通常はLeeを履いていたということ、Levi's Bookという、ショップ(確か、エンゼルという名前ではなかったか…)で配られていた冊子で知った。加えて、ポルシェ(550スパイダー)に乗ることはできないだろうから、せめて格好だけでも真似てみようと、高校時代はリーゼントスタイルとし、その姿は卒業アルバムに残されることになった。

映画『理由なき反抗』では、親たちから見れば反抗する理由が理解できないものの、こどもたちからすれば理解してもらえないことが反抗の理由である、といった場面が重ねられていく。レンタルビデオ(VHS)で鑑賞した際には、食い入るように見たことをよく覚えている。その後、字幕が煩わしいと思い、つてを辿って英語版のビデオ(VHS)を購入してもらい、何度も何度もその振る舞いを研究した。ただ、HanesのTシャツはアメリカのような機械乾燥でなければすぐに襟首がクタクタになってしまうためにBVDに、コンバース(ジャックパーセル)は靴底がペラペラなのが気になってNIKEのAIRに、リーゼントは匂いが気になる上にシャンプーが面倒くさくなり使用を止めるなど、機能を優先していくことによって真似事は収まっていった。

やがて大人になっていく中で、理由なき反抗のように一見すれば思われる行為にどのような理由を見出すことができるか、ということを思うようになった。そんなことを想い起こしたのが、今日、町内会長から届いた「総会議案書」に対する修正要請の項目である。コロナ禍だからこそ、単に前例を踏襲しないように、ということと、統一感がないところを統一しようと試みた点に対して、ことごとく、修正への要請が重ねられた。はてさて、これを理由なき反抗と見るか、理由ある修正案への対抗と見るか、少なくとも22日に開催予定の総会前役員会を実施する理由であることは間違いない。

総会の案内状は西暦並記なのに議案書内は西暦を削除という指示に合点がいかない
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/60, ISO250)



2021年3月13日土曜日

"What can I do for you?"

初めての海外旅行は、大学4回生になる春休みである。サンフランシスコのベイエリアに一人旅に出かけた。きっかけは、1996年に中村正先生から、ご自身の論文「学びのコミュニティづくり」(大学創造第5号, 1996, 5-22)を紹介いただいたことであった。論文では、UCバークレーに客員研究員として滞在した際の経験が紹介されていた。文字と写真で記された風景を実際に見てみたい、と思い立っての旅であった。

あれから24年、今日は在学中に世界を旅した学生の話題提供を聞く機会を得た。午前中にシティズンシップ共育企画のZoom企画に参加し、かかりつけ医の診察を受けた後、立命館大学文学部4回生の岩本心さんが話題提供を行う大阪府茨木市の環境政策課の事業「エコカフェ」に参加したためである。新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、YouTube Liveでの配信ということになったものの、2020年11月に茨木市市民活動センターによる講座「SDGsって何?」にお招きいただいた関係で、スタッフの一員という位置づけのもと、会場での聴講にお声かけをいただいたのである。岩本さんについては、立命館大学の学生紹介コーナー「+Rな人」で「人生で“本当の幸せ”と向き合う場を~世界一貧しい元大統領が教えてくれたこと~」と丁寧に紹介されているとおり、ウルグアイのムヒカ元大統領のもとを訪れるという行動力の持ち主である。

24年前の私も、比較的行動力が高い方であったと思われる。しかし、このときの渡航でオークランドにオフィスを構えていた日本太平洋資料ネットワーク(JPRN)に訪問した際、その後の人生の糧となった出来事を経験した。というのも、中村先生を通じて、JPRNのこと、またJPRNが発行していた情報誌「GAIN」の内容、それぞれに感銘を受けていたため、いわゆるアポ無しでの訪問をしたためであった。設立者の柏木宏さんは不在で、後にJUCEEを立ち上げる今田克司さんが偶然にもおられたので対応いただいた。

挨拶に続き、しばらく言葉を交わした後にJPRNのオフィスで今田さんに言われたのは、「What can I do for you?」だった。要は「情報が欲しい」なら日本からでもインターネットで検索すれば膨大な量が手に入れることができるし、このオフィスにある本を見たいなら見ればいい、何か質問があるなら質問をして欲しい、ということだった。私は単に「まちを見たい」「雰囲気に浸りたい」「風を感じたい」という、極めて漠然とした、また自己完結した思いのもとで足を運んだために、向き合う相手に求めることがなかった、という具合だ。あれから24年、なかなか誰かに「助けて」と頼むことが難しいということを踏まえつつ、「助かった」と思えるような人間関係を紡ぐことができるよう、仮に曖昧で漠然とした思いを持っている人にも寛容であろうと肝に銘じているつもりである。

長らく続いた「エコ"カフェ"」事業は一旦終了でのようで続きは「エコ"バー"」かも…
(iPhone 12 mini, 1.55mm< 35mm equivalent: 14mm>, f/2.4, 1/60, ISO320)

2021年3月12日金曜日

伝えることを承ること

1年ぶりの東北の旅、あの日から3,654日目は福島県広野町で始まった。9時半から、1年ぶりに「みんなの交流館 ならはCANvas」へお邪魔し、おなじみの皆さんと再会を懐かしむと共に、10年を振り返る企画を鑑賞させていただいた。中でも2月13日から3月14日まで開催の写真展「楢葉町の震災の記憶を、これからにつなぐプロジェクト」では、私自身も提供させていただいたものが多数利用をいただいていて、その他の方々が発災前も含めて写して残した思い出との相乗効果で、住民の皆さん、また外部支援者、それぞれにこれまでを振り返る機会がもたらされていればうれしい。何より、この写真企画は、昨年の1月17日、阪神・淡路大震災から25年に関連づけて楢葉町で行われた企画に参加させていただいた後、昨晩も夕食をいただいた広野町のお店で、一般社団法人ならはみらいのスタッフの皆さんと懇談する中で出たアイデアが具体化されたものでもあり、感慨深いものがあった。

「みんなの交流館 ならはCANvas」の後は双葉町に開設された「東日本大震災・原子力災害伝承館」に向かった。途中、昨晩の追悼企画を主催された「とみおかプラス」のオフィスにお伺いすると、「富岡は負けん!」を書かれた平山勉さんがおられたので、少しお話をさせていただいた。そしてレンタカーで国道6号線を北へと走っていったのだが、楢葉町では役場の近くに3月25日の聖火リレーに向けた準備が始められ、富岡町では産業団地の整備が進み、大熊町では熊地区の家屋の解体が着手され始め、という具合に、それぞれの町にこれまでの日常とは違う風景がもたらされていた。そして、2020年9月20日に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」に到着した。

「東日本大震災・原子力災害伝承館」の管理・運営は公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構である。それが影響しているのか、例えば同じく福島県の博物館施設である「福島県立博物館」、自治体による「伝承館」と名付た施設でも建物そのものが震災遺構(宮城県立気仙沼向洋高校旧校舎)である「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」、さらには広域的に災害資料を収集し展示方法に工夫を重ねている「リアス・アーク美術館」、これらは折に触れ再訪し、忘れ去ることなどできないことを丁寧に想い起こしていくことの大切さに気づかせてくれる場所である。これはある種のイノベーションのジレンマなのかもしれないが、新たな手法で何かをしようとする意図が先立っているのか、誰が、誰に、何を伝承するのか、基本的な立ち位置が曖昧で、結果として伝承館として伝え、受け継ぐものが不明確になっているのではないか、と感じた。例えば、東京電力廃炉資料館は東京電力が事故を謝罪し、原因を説明し、教訓を整理する、といった枠組みが前提となっているのとは対称的である。

そうしたささやかな違和感に加えて、ループで上映されている数多くの映像資料と、その映像資料に含まれた音声の重なり合わせ、さらには来館者への親切心で細かく案内を重ねるアテンダントスタッフの方の声などにより、どっと疲れを覚える中で「東日本大震災・原子力災害伝承館」を後にし、3月20日にグランドオープンを控えた「道の駅なみえ」(2020年8月1日プレオープン)でやや遅めのランチをいただいた。ここでは立命館アジア太平洋大学(APU)出身の東山晴菜駅長にお目にかかり、最終目的地の「せんだいメディアテーク」へと車を走らせた。「せんだいメディアテーク」では甲斐賢治さんに久々の再会の後、この時期に毎年恒例となった「星空と路(2021)」の展示を鑑賞させていただいた。一人ひとりが他者に、中には遠い未来に向けて、その他まずは自分自身に向けて、その際には過去の自分とも対話して、丁寧に記憶や記録を遺しておられるプロジェクトばかりで、改めて10年という月日の重みを感じつつ、亡くなった方々への哀悼の意を改めて表すると共に、そのご遺族や知り合いの方々の悲しみに寄り添えるよう愚鈍ながらに探究と実践を続けていきたいと発意し、1泊2日、582kmの旅を終えた。

昨日までは無かったものが目の前に現れるとドキっとします
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/6494, ISO32)


2021年3月11日木曜日

この先10年も

あの日、私は大阪大学豊中キャンパスにいた。科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業 (RISTEX:社会技術研究開発)に採択された平田オリザさんを代表者とする「犯罪からの子どもの安全」のプロジェクト「演劇ワークショップをコアとした地域防犯ネットワークの構築」の2011年度の成果発表会に出席のためであった。ちょうど、私がタウンミーティングと称した、政策形成のための対話集会のあり方について話題提供をした際、東北地方太平洋地震が発生した。後に「東日本大震災」と呼ばれ、また特定非常災害に指定された大規模・広域。複合型の災害として、多くの被害と日常生活の問い直しを各地にもたらした。

当日のTwitterの投稿内容が今でも参照できる。2011年3月11日は41の投稿が行われている。タイムスタンプが、あの日の自分の行動に消印を押している。地震発生から約2時間後に、3/13朝5時のNHK教育テレビ(Eテレ)の「こころの時代」で放送される予定だった、大蓮寺・應典院の秋田光彦住職を取り上げた番組情報をリツイートしている。その時は、よもや3日以上にわたって報道特別番組の体制になるとは想像がつかなかった。少なくとも私の投稿の潮目が変わったのは、18:11、阪急梅田駅(当時)の改札を出た後に、JR大阪駅とのあいだの路上で配布されていた号外を目にして以降である。

あれから10年、今日は朝に自宅を出て、仙台空港から福島県の会津(福島県立博物館での企画展「震災遺産を考える ―次の10年へつなぐために―」鑑賞)・浜通り(とみおかプラス「富あかり2021」へと訪れた。仙台空港でレンタカーを借り受け、南西へと車を走らせ始めると、カーラジオ(Date fm:エフエム仙台)から渡辺美里さんの「10 years」(後にスタジオ収録された2021Verが3月11日付でYouTubeに公開されていることを知った)が流れてきた。中学生の頃、この「10 years」と映画「Back to the Future」をモチーフに「10年後の同窓会」といったミニ演劇の脚本を書いたことがある。最近では「黒歴史」という言葉もあるが、恥ずかしさが前に立つ点では通じるところがあり、また、何らかの機会で、あの脚本において未来を想像しうるものになっていたか、訊ねてみたい。

現在(2021年3月11日)、復興庁によって「東日本大震災における震災関連死の死者数)都道府県別・時期別)」が公開されているが、2016年3月11日以降は微減を続け、この1年半は災害によって直接亡くなった方の人数に対して0という数値が続いている。これは、私の推察だが、「いつまでも関連づけられることの方が辛い」という心理も働いているのではなかろうか。あれから10年も、この先10年も、細くとも長く、丁寧な関係構築に努めていきたい。

10年目の14:46は県博の企画展の展示室内で(帽子を取る警備員さん・今村正治さんらと)
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/50, ISO320)


2021年3月10日水曜日

曲がった掲示が嫌い

曲がった掲示が嫌いである。今日はそのことを、3月20日から京都市交通局のバスダイヤ改正にあたって、パネル内の運行系統別の時刻表の水平、垂直が揃っていない状況を目にして改めて実感した。背景には大阪・天王寺の浄土宗應典院に身を置いたとき、住職からお寺の緊張感を保つことの大切さを常々指摘いただいたことがある。曲がった事が嫌いな性格、というわけではないところがややこしい。

掲示の際には水平垂直を整えるだけでなく、期限が過ぎたものを放置しておかない、ということも、應典院にて口酸っぱく指摘された事柄である。掲示とは告知なのであるから、終わったものを放置しておくことは、伝える側としての責任感が欠如している、という観点からの指摘であった。今年度、町内会の役員をしたことで京都市の市政協力委員となり、それによって京都市広報板の掲示担当も担わせていただいた。改めて、伝える側の立場に立つ機会を得て、伝える側と伝えられる側の双方の視点を見つめ直すことができた気がしている。

そんな中、今日は水曜日ということで、英会話のクラスに出かけた。テーマは気候変動と気象災害だった。NASAの研究チームメンバーを中心にした4名によるThe New York Timesの記事「How We Can Better Predict Weather Catastrophes」(3/1のInternational Editionの紙面版では"How to Better Predict Weather Catastrophes") を読み解いていくこととなり、バイデン政権へのアドボカシーの側面として受け止めつつ、最低でも10年以上の平均値と極値を扱う気候問題と、その時々で局地的に起こる気象問題とを区別して扱う必要があることについて語り合った。議論は日常生活を変えるか、新たな製品・政策を通じた社会システムの変革か、という振れ幅となるものの、結果としてミクロとマクロ、両面からのアプローチが重要、というところで落ち着いた。

ミクロとマクロという視点は、虫の目と鳥の目という対比としても扱うことができる。その両方のまなざしを持つことができる複眼的思考を大事にしようと、童謡「とんぼのめがね」を引き合いに出つつ語っておられたのが、大学コンソーシアム京都のインターンシップ・プログラムのNPOコース(愛称:NPOスクール)の総合コーディネーターを務めていた中村正先生で、1998年度と1999年度とコーディネーターの一人を務めさせていただく中で多くの示唆を得た。阪神・淡路大震災での私自身のボランティア体験の言語化をする機会と習慣を得たためである。そんななか、明日で東日本大震災から10年、夜には渥美公秀先生もパネリストの一人となった弘前大学のシンポジウム「東日本大震災から復興を考える~チーム北リアスの10年~」をZoomで聴講した。

少し気に掛けることによって大いに心地よくなるのにともどかしく思うのは気にしすぎか…
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/213, ISO32)



2021年3月9日火曜日

直前の前例の上書き保存

町内会の総会に向けた準備を進めている。今日も現会長から、書類作成のための情報が届いた。パソコン、ワープロ、またファックスやスマートフォンもお使いでいらっしゃらないので、副会長の一人として事務仕事をお手伝いしようと買って出たためである。既に職業としては選択肢から消滅したと思われる「タイピスト」という役割が必要とされた背景を理解しつつ、手元で多くの書類が出来上がってしまうために印刷屋さんも大変だろうと想像している。

町内会に限らず、輪番制の組織によくある話として、直前の年度の書類のみが参照されるという点があるのではなかろうか。要は2年以上前の取り組みは、あまり参考にされないのではないか、ということである。もちろん、細かい方は数年来の動きを振り返って、その後の見通しを立てるかたもおられるものの、大抵はバトンを受け取った際の内容を上書き保存していく、という具合だろう。無論、安定的な組織であれば、その伝統が継承されて盤石な運営がなされるものの、不安定な要素がある場合には「蟻の一穴」のように手が及ばない程の被害がもたらされてしまうこともあるかもしれない。

もちろん、その逆も起こりうる。合理化、あるいは改革ということを進めようと思って、前例にこだわらない、という姿勢を貫くと、ルールや前例を重視する人たちとのあいだで軋轢が生まれる。しかも、勘が頼りにされる場合、転じて「好き/嫌い」の感覚が重視される場合、それが「良い/悪い」の判断基準とされてしまうこともある。この点は強靱なリーダーシップの危うさへの懸念と言ってもよいかもしれない。それゆえ、リーダーシップに対するフォロワーシップ、すなわちメンバーシップのあり方が重要となる。

今日はそうしたデスクワークに加えて、午前中には新入生の向けの動画の作成、午後には大阪大学・関西学院大学の皆さんとZoomでの研究会参加と続いた。それぞれに、目的が共有されている場なので、話は早い。だからこそ、場合によっては役割分担の結果で生み出されるものが、悪い意味で想像とは異なるものが仕上がってしまう可能性に対して自覚的にならないといけない。ちょうど、伝言ゲームにおいて、ある場面での微妙なニュアンスの解釈の違いで、最終的な結果が大きく異なってしまうように、自分が理解できたことを過信せず、しかし解釈の違いを楽しめる余裕も持ちたいものである。


コロナ禍ゆえのイレギュラーな対応があった年度ゆえ単純な上書き保存では済まない(はず)
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/100, ISO100)



2021年3月8日月曜日

必要・普通

新型コロナウイルス感染症の拡大以降、不要・不急という事を目や耳にすることが多くなった。感染拡大を防ぐためには各種の活動を抑えることが必要となるものの、人々の行動に制限を課すとなればその代償を用意する必要がある。そこで、自粛を要請という、論理的には矛盾する言葉の組み合わせが発明されたのだろう。これにより、制限を課さぬままに結果として制限がもたらされるような呼びかけがなされた。

不要の対義語が必要であることは明確であるものの、不急の対義語は何かは解釈が揺れる。急がないということは、何もしないというわけではない。電車の比喩を用いるなら、急行列車に対しては普通列車となるから、不要で不急でないものとは、必要で普通なもの、となろう。よって、最近の(例えば、作家の平野啓一郎さんは2006年にブログで「普通に美味しい」という表現を日本語の乱れの一つと指摘している)言い回しを用いるなら「普通に必要」なものはOK、と捉えることができる。

今日は10時と14時40分のZoomミーティングの合間に鍼灸院に行ってきた。2018年の秋に左足首を複雑骨折した私にとっては普通に必要なものである。ただ、午前中に参加したミーティングの際、終了後には鍼灸院に行くことに触れたところ、どうも不要・不急のものとして受け止められたようで、心外だった。転じて、誰にとって何が必要とされ、普通の生活において重要とされているのか、他者への想像力は大事にせねば、と思い直すことにした。

お世話になっている鍼灸院は四条烏丸界隈のため、お手洗いを借りにCOCON KARASUMAに立ち寄ると、国際女性デーにちなんで例年行われている少なくとも2019年の時点で「毎年この時期に」とされている)ミモザのプレゼント企画がなされていた。イタリアでは春の訪れを告げる花であるミモザを男性から女性に感謝の思いを寄せてプレゼントする、ということにちなんでいるという。もちろん、ミモザの日だけ感謝すればいい、ということではなく、日頃からの感謝を改めて形にする日ということだろう。何が不要で何が不急か、という区別することよりも、何が重要で何が普通になされるべきか、丁寧な選択と行動を重ねていきたいものである。

ミモザを贈ろうと思ったときに花を飾る場所を家につくっていないことに気づいたミモザの日
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/60, ISO125)

2021年3月7日日曜日

覆面と化粧と素顔と

久々に夫婦そろってオフな1日ということで、ドライブに出かけた。行き先は大阪とした。かつて5年ほど住んでいたまちでもある。静岡と京都に比べれば短い期間だったこともあり、ホームと言うにははばかられるものの、アウェイとも言い切れない不思議な感覚を抱くまちである。

まずは馴染みのカレー屋さんに向かった。かつての住まいの徒歩圏内で、馬蹄形の長テーブルにカウンター席だけのお店で、朴訥なマスターが接客をするお店である。土日や祝日などにはお連れ合いと思われる方がオーダーを取り、コップの水が進んでいるとすかさず入れてくださった。ただ、引っ越し後にも何度かお邪魔しているものの、このところ、お目にかかれてはいない。

その後、これまた行きつけのパン屋さんに向かった。こちらもまた、人気のお店で、コロナ禍ということもあり5人までの入店制限がかけられていた。数分で入店はできたものの、身体にカレーの匂いをまとっていたのかも、という懸念さえ吹き飛んでしまうほど、昔を懐かしみながら、数食分の商品を選んだ。続いて、少し気分転換に博物館などに足を運ぼうか、と思ったものの、中之島の国立国際美術館は展示入替中、海遊館は時間指定券の発券をしている程で、またの機会にしよう、ということで京都に戻ることにした。

帰り道、Zoomのウェビナーを聴きながら、高速道路の追い越し車線を小気味よく走っていると、横に覆面パトカーを見た気がした。無線のアンテナがある運転席と助手席に2名乗車している黒のクラウンであったので、通行車線に戻って品の良い運転を続けることにしたものの、どうやら思い過ごしだったようである。常々思うのは、覆面パトカーというのは言わば素顔パトカーで、例えばタクシーやガス会社といった警察以外の業務車両に模したものへと偽装しているものを言うのではないか、と思うことがある。とはいえ、そうした変装パトカーが走っていたら、それはそれで紛らわしく、しかし別の意味でわかりやすいところであり、果たして、どうすれば犯罪抑止に効果がもたらされるかを想像したところ、結局は今のような素顔に薄化粧(無線や赤色灯などを架装)な状態がよいのだろう、と思い直している。

「大阪っぽい」と感じる風景を多々目にして懐かしみつつ楽しみました
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/4132, ISO32)



2021年3月6日土曜日

住民の互助があっての市政への協力

2020年度、町内会の副会長を担う機会を得た。正確に言うとブロック長として副会長の立場に就いた。というのも、今、住まいを置いている町は、東西南北の4ブロックに分けられており、私は南ブロックの長となったためである。そして、東西南北の4ブロックが持ち回り(2020年度は西、2021年は南、つまり東西南北の順で回っている)で全体の長を定めており、対外的には全体の長が町会長、それ以外のブロック長が副会長として位置づけられている。

当然のことながら、町内会は同じ町内に住む人の自由意思のもと自発的に加入し、相互扶助のもとでよりよい自治を実現するための活動が展開される。ところが、京都市はこうした住民自治の原則に対して、行政の制度として「市政協力委員」という制度を導入している。ブロック長はこの市政協力委員として京都市に届け出られることになる。それゆえ、ブロック長には「市民しんぶん」の配布や掲示板へのポスター掲示などを特別公務員の立場で遂行する責任が課される。

町内会のブロック長のもとに月2回送られてくる市民しんぶんをはじめ、各種配布・回覧物は、ブロック内に置かれた組長さんを通じて、回覧板により町内会の加入者のお宅へと回されていく。今年度はコロナ禍ということもあって、私は南ブロックにおいては、各種配布・回覧物は市民しんぶんの配布のタイミングに集約させていただくこと、つまり月2回を基本とすることをブロック内でお認めをいただくことにした。何より、今年度は各種の事業が中止あるいは実施方法の見直し(例えば、ご長寿を願う「お千度」参りは町会長の代表参拝として、お赤飯とお神酒を75歳以上の方にお配りしてきた御祝いの品はQUOカードに変更、など)は来年度以降も一定、必要と思われるが、ブロックごとの会長・副会長の輪番も、ブロック内さらには組内での役割分担も、1年単位で交替が前提とされている。もちろん、重任による独善的な運営が避けられること、強制的に町内の行事に関心が向けられること、といった点を評価する人もいるだおるが、私はこれでは自治の力量は高まらず、行政からの依頼事項の負担感だけが残ることを改めて痛感する1年となった。

ということで、そんな役割もまもなく終了である。来年度は私が住むブロックから町会長が輩出されるということで、できるだけ合理的な運営ができるように工夫した素材を活用いただければと願っている。そんな思いも重ねつつ、今日は来月に控えている町内会の総会議案書の作成にあたった。合理化を極める中で、改めて住民自治の本質が見出されていくことを願いつつ、立場が変わっても、1会員として継続的に関心を向けていきたい。

町内会長による手書きの下案をタイプしながら改めて鳥取県智頭町の自治システムを想起
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/59, ISO125)



2021年3月5日金曜日

生きた区切り

1週間ぶりにオフィスに向かった。多くはオンラインで完結しているが、時折届く郵便物に大事なものが含まれていることがあり、うっかり見逃すことのないよう気に留めなければならない。また、ペーパーワークの中でも経費精算の一部は原本の提出が必要となる。それゆえ、今日は郵便物の確認と領収書の原本を携え、立命館大学衣笠キャンパスへと足を運んだ。

衣笠キャンパス正門に京都府立堂本印象美術館があることはよく知られているだろうが、その東隣に堂本印象先生がアトリエを置いた邸宅があることはあまり知られていないだろう。そして、その邸宅は現在、学校法人立命館が所有し、管理・運営していることはほとんど知られていないのではなかろうか。大規模改修を経て2018年度から運用が始まることを知った私は、2018年度から授業の一環としてこの旧・堂本邸を活用してきている。その旧・堂本邸に、12月中旬から仮囲いがされていたのが気になっていたのだが、囲いが外されると高塀をやめて生け垣とされており、開かれた印象がもたらされていた。

衣笠キャンパスで書類を提出した後、せっかくキャンパスに来たので、ということで、今年度で退職される方にご挨拶をさせていただいた。私が学部生の頃に事務室におられた方なので、恐らく今の私と同じ年齢の頃にお出会いした方である。わりと気難しい印象を持たれる方と推察をするものの、どちらかという私は苦手意識はなく、一つずつ丁寧に説明すればその背景の事柄を理解して淡々と進めていただけるという印象を抱いており、記念写真も撮らせていただいてオフィスを後にした。その後は行きつけの喫茶店でランチをし、自宅から2つのZoomミーティングに参加した。

来週の今日は東北にいる。東日本大震災から10年、そっと現地に足を運び、あの日からの10年を見つめ直すつもりである。今、立命館災害復興支援室では「災害に見舞われた地域に心を寄せてー「つむぐ思い出」フォト投稿の募集」がなされ、2012年度の「その日」(つまり2013年3月11日)から始めた「いのちのつどい」の2020年度分の告知も始まったが、これまである程度は定点で観察し続けてきたいくつかの場所に身を置くことにしたい。悲しみを慈しむ、そのためには何ができたか、だけではなく、何ができなかったか、ということにもまた誠実でありたい、そんな思いを携えての旅となるだろう。

かつての高塀から頭を覗かせていた部分との境界がわかる現在の生け垣
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/121, ISO 32)

2021年3月4日木曜日

記念の樹

朝から新幹線で浜松へと向かった。「令和2年度浜松市創造都市推進事業補助金報告会」への参加のためである。オンラインでも実施可能であると考えられたものの、関西の緊急事態宣言が解除されたこともあり、三密回避のもとで一堂に会して集中審議を行う方がよいかろう、という判断のもとでの出席だった。議題は3つで、採択団体の実施状況の共有、来年度の見通しの確認、そして再来年度以降の制度のあり方についての意見交換、であった。

私からはアドバイザーを務めた4つの採択提案と、取り下げになった1団体が直面することなった事態を紹介する中で、この補助金の目的である浜松での「創造都市」の推進とは何を意味するのか(既に要綱等には記載されているために)改めて明確に示すこと、あるいは提案する側が定義する創造都市とはどういうもので、その維持・発展のために何をしようとしているのかが明らかとなるフォーマットを整えてはどうか、と示した。その上で、間接経費制度の導入を踏まえた事務局とアドバイザーによるバックオフィス機能を制度に盛り込んではどうか、と提案した。また、そもそもこの1年、採択事業の実施者だけでなく、事務局もアドバイザーもコロナ禍への対応を積極的に図ってきたところであるので、果たして何ができたか、運営面の総括をしてはどうか、とも示した。その上で、過年度の(そして前身として位置づけられる「みんなのはままつ創造プロジェクト」を含む)採択団体交流を通じて構築するサポーター制度も実現可能であり、自ずと市民活動団体・アーティスト・企業という3つの枠で括ることよりも、むしろ協働事業により新たなチャレンジを展開しようとする人も出てくるのではないか、と投げかけた。

令和3年(2021年)分は例年どおりの展開で、4月から相談と応募受付、5月に書類審査、6月に面接審査となり、7月以降は審査員からアドバイザーへとモードチェンジをしてくことだろう。以前なら、面接審査の折にお隣の磐田市に帰省し、父や母と少々のお酒を飲み交わすこともあったが、新型コロナウイルス感染症が収束していき終息まで辿り着くには、相当の月日がかかるだろう。先日、実家の母から言われたことは、緊急事態宣言が発令された地域からの往訪者がいる場合に通院に支障が出る可能性があるので避けて欲しい、ということだった。それもあって、今日は緊急事態宣言が明けたということを1つの根拠として、三密を確保して1時間ほど実家に立ち寄ることにした。

以前は2軒並んだ家の脇にある路地を抜けて玄関に辿り着くという立地だったものの、手前2軒が引っ越しをされたこともあって、通りから我が家を見ることができる。少し雲が出ていたものの、青空の下で玄関脇の白木蓮が満開に近い状態だった。ガーデニング(のようなもの)が趣味の1つである母によると、この樹は私の誕生記念に植樹しようと(恐らく父が)提案したものだという。そして、松食い虫の被害にあったところには、今年に入ってから小さなミカンの樹を植えたそうで、それはこのところ相次いで入退院を繰り返している父に「実がなったら食べよう」というメッセージを込めたものであると知り、そうした会話を共にする時間を可能な限り大事にしようと思う帰省となった。

白木蓮の花言葉は「高潔な心」だそうでスターダストレビューの「木蓮の涙」も想像
(Leica M9-P, 35mm, f/11, 1/1000, ISO 400)


2021年3月3日水曜日

役員のポジショントークへの身構え

水曜朝の英会話のクラス、今日のテーマは「米国による終わらない戦争」についてであった。先週は当初から開講日となっていなかったので2週間ぶりの講座だったためか、はたまた社会正義という点から自ずと熱が入ったのか、先生のみならず受講生の皆さんも積極的に発言が重ねられた。お題となったニューヨークタイムズの記事はタイトル「America’s Other Forever War」では直接的には表現されていないものの、米国の制裁法で定められた「二次制裁(secondary sanctions)」が積極的に取り扱われており、国内法ながら米国人・米国企業以外に対しても独裁国家との関わりに罰金を科すこと、その道徳的な問題を指摘するものであった。著者のPeter Beinart先生(ニューヨーク市立大学)は「二次制裁」は「包囲網」(siege、兵糧攻めと翻訳も可能である)とも言えるものであり、市民の自由の悪化、権力者の権力の強化がもたらされる、と具体例を挙げながら警鐘を鳴らす。

英語の後は自宅に戻り、昨年は対面で開催(今年はZoomでのオンライン開催)された日本ライフル射撃協会による「アスリートパスウェイの戦略的支援事業」評価会議に学識経験者として出席した。私が起用されたのは、事業対象者となる若年競技者の育成環境について社会心理学の中でもグループ・ダイナミックスを専門とするゆえに考察をして欲しいという側面よりも、むしろ学生時代にライフル射撃を始めてその後は継続していない競技経験者であることが重視されたため、と捉えている。ライフル射撃というスポーツは銃刀法の制約により競技人口の裾野拡大が難しいものの、しかし日本ライフル射撃協会の協力により「ライフル・イズ・ビューティフル」というアニメ(原作は4コマ漫画)も制作されており、そうした普及活動に加えて、将来の世界的なアスリートを養成するために、各県の競技団体である協会(今回は埼玉県ライフル射撃協会、山形県ライフル射撃協会、愛知県ライフル射撃協会)を拠点とした「タレント発掘・育成(Talent Identification and Development、TID)」がなされている、という具合である。2年間の委託事業の終了にあたり、コロナ禍で当初の想定どおりには展開できなかったものの、2時間の議論の最後、私からは(1)競技人口の裾野拡大とあわせて指導者人口の拡大も重要となり、(2)そのために若年者競技者との出会いと指導により選手の引退後のセカンドキャリアの一つとして指導者への道を開くことにもなるのではないか、(3)最高の目標はオリンピアンかもしれないが最低・平均の目標設定もできるとプログラム開発の上で手がかりが見いだせるのではないか、という総括コメントを示させていただいた。

夕方には町内会の役員会に出席し、事業報告と決算を行う総会に向けた意見交換に参加した。1年交代の輪番制であるため、まもなく任期は終了するのだが、たまたまお役目で副会長の役をいただき、一方で会長がパソコンの類いを一切されない方でいらっしゃるため、総会の議案書の作成のお手伝いをすることにした。途中、前例踏襲により穏便に済ませたいという意思をお持ちの方と、「以前のままでは今後が立ちゆかない」とする改革派とおぼしき方との意見が割れ、いてもたってもいられず折衷案を提示したものの、積極的な変更は来年度以降の役員に過度な負担を強いることになる、と先述の改革派とおぼしき方からまさかの反論が示された。結果としてポジショントークに巻き込まれてしまったのかもしれない、と思い直し、その後は発言を控えることにした。

常々、会議には出席と参加は異なること、そして審議事項と報告事項とで議論への姿勢が異なると共に、積極的に議決をしない懇談事項もあっていいこと、などを大学の授業でも教えてきた。しかし、経験が豊かである、という方にとって、私の会議への姿勢は理屈っぽい輩という身構えを持って距離を取られることがあることを今日はひしひしと感じた。そうした場面に立ち会うと、どうしても私もまた、身構えがある人たちへの身構えを抱いてしまう。とりわけ、対面の会議では、非言語的(ノンバーバル)なコミュニケーションの要素が発話のタイミングや内容を左右するところもあることを再確認する機会を得た。

ひなまつりということで受講生のお一人からチョコレート(ひなあられ風)をおすそわけ
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/147, ISO 32)






2021年3月2日火曜日

古い良きもの

「数ある工業製品の中で『愛』がつくのはクルマだけ」とは、トヨタ自動車の豊田章男社長の言葉である。2017年10月29日、東京モーターショー2017の開催に合わせて実施されたトークショー「WE LOVE CARS 2017」での発言である。GAZOOのWebでも2017年11月1日付で報告記事が掲載されていると共に、YouTubeのトヨタ自動車のチャンネルに動画がアップロードされている。後半にはイチロー選手がサプライズゲストで登場し、司会進行の小谷真生子さんも交えた「愛とは」の談義が興味深い。

確かに「愛車」と呼べる車に乗っているものの、私にとってはカメラも、また一部の携帯電話なども、「愛機」と呼ぶことができるものを使っている。カメラについてはニコンF3Pの新品を高校時代に偶然にも入手して愛機となり、京都で住み始めてから日沖宗弘さんの『プロ並みに撮る写真術』でリストアップされていたオートニッコール(Ai改)レンズを木屋町三条のムツミ堂や大阪駅地下の八百富写真機店に足繁く通いながら買い足して愛着を深めていった。携帯電話については、1995年から約10年にわたって既PDC方式のデジタル端末「ムーバM」(モトローラ製)を愛機として活用し、既に800MHz帯の電波が停波されて久しいものの、電話番号を抜かずにいたものを今なお手元に残している。また、眼鏡研究社のメガネ、腕時計ではセイコーのパワーデザインプロジェクトの1つなど、使い続けている愛着の深いものを挙げていけば切りがない。

今日、約2年ぶりに携帯電話、というか、スマートフォンの機種を更新した。iPhone mini 12である。マニアの方であれば型番の最後が「VC/A」ゆえに、カナダ向けの端末であることにお気づきかもしれない。2020年11月28日に注文したものが、2月18日にFedexに出荷伝票の登録、ケベック州(SAINT HUBERT)の店からセンター(MIRABEL)に荷物がついたのが2月24日で、インディアナポリス、アンカレッジを経由して関空に3月1日着、そして本日、日本郵便を通じて手元についた。

今日は古巣である大学コンソーシアム京都のお仕事で、約30分、Zoomでプレゼンテーションを行った。今日の到着は偶然ではあったものの、少なくとも愛着を深めやすいストーリーが付与されたように思う。何より、スティーブジョブズが最後に直接発表したiPhone 4、そして亡くなる前日の発表となったiPhone 4Sに通じる角張ったデザインが気に入っている。しかし、いただけないのが、背面のカメラの出っ張りで、これが嫌で未だにiPad miniを愛用し続けていること、さらにはiPhone mini 12にはジョブズが否定したケース(しかも純正のケースが販売されていることを激高するのではないかと想像しつつ)をつけて、背面がフルフラットになるようにして愛で始めている。

カナダ仕様は日本仕様と同じ電波セットを用いるため総務省による「技適マーク」付なのです
(Nikon D40, Micro 40mm, f/4, 1/60,  ISO400)



2021年3月1日月曜日

赤い覆いを黒の膜にする

既に示しているように、ヤマハに対して強い思い入れがある。実家暮らしのときも、そして京都で一人暮らしを始めて以降、そして今でもなお、ヤマハやヤマハ発動機の製品が身の回りにいくつかある。京都で暮らし始めるときには実家で使っていたヤマハの単品コンポとヤマハ発動機のヒット作である「パッソル」(赤の初代)を持ってきた。パッソルは阪神・淡路大震災の後に同じくヤマハのDT50に乗り換えるまで磐田市ナンバーのままで乗っていったし、ヤマハのKX-R700というカセットデッキでオリジナルのテープを編集してヘッドホンステレオやカーオーディオで聴いていたのが懐かしい思い出である。

その後、大阪で暮らすことになって車の維持を断念する際、ヤマハのZealの中古に乗り始めた。250ccのネイキッドで、当時(2007年ごろ)でさえ絶版になって久しく、何より4気筒のキャブレター仕様ということで、メンテナンスに悩まされた。結局、石川・七尾へのツーリングが最も色濃い素敵な思い出である。その後、2013年に京都に戻ることにした際には手放す方向に気持ちが揺れ、最終的に左足首を複雑骨折した2018年に処分した。

その間、新たに相棒となったのがヤマ発によるエンジン「3S-GE」が搭載されたトヨタ車である。現代では命名や呼称に躊躇するであろう「カリーナED」の初代の後期モデル(ST162)で、4ドアハードトップというパッケージングもまた、今となっては希有な存在だ。加えて、生産終了から30年あまりが経つため、部品の確保が課題である。最近になって名車と呼ばれる車の部品供給が再開されるという動きが見られる(例えば、マツダではロードスターに加えてFC型・FD型の両RX-7が「CLASSIC MAZDA」プロジェクトに含まれるようになった)のは、少なくとも私にとっては明るいニュースだ。

今日は日付を超えて2/28締切の原稿を何とか仕上げて数時間の睡眠に就いた後、赤錆が目立ち始めてきたカリーナEDのワイパーブレードを、サビ転換剤で補修する時間を作った。その後、研究費の精算期限が迫っていることもあって、立命館大学衣笠キャンパスのリサーチオフィスに伺った。自宅に戻ると、深夜まで集中していたことの反動か、夕方の立命館大学サービスラーニングセンターのオンラインでの科目担当者会議(途中、立命館大学の広報課による「手洗いこそ、一番身近なボランティア。」という標語が用いたTwitterの投稿に愕然としてしまったという感覚が共有できてよかった)の少し前まで、ソファで眠りについてしまった。夕食の後は依頼を受けていた研究倫理審査の書類を仕上げて、改めてベッドで眠りについた。

サンドペーパーで錆落としをしてシリコンオフで脱脂して赤サビ転換防錆剤を塗った効果は…
(Leica M9-P, 35mm, f/11, 1/500, ISO400)