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2021年3月1日月曜日

赤い覆いを黒の膜にする

既に示しているように、ヤマハに対して強い思い入れがある。実家暮らしのときも、そして京都で一人暮らしを始めて以降、そして今でもなお、ヤマハやヤマハ発動機の製品が身の回りにいくつかある。京都で暮らし始めるときには実家で使っていたヤマハの単品コンポとヤマハ発動機のヒット作である「パッソル」(赤の初代)を持ってきた。パッソルは阪神・淡路大震災の後に同じくヤマハのDT50に乗り換えるまで磐田市ナンバーのままで乗っていったし、ヤマハのKX-R700というカセットデッキでオリジナルのテープを編集してヘッドホンステレオやカーオーディオで聴いていたのが懐かしい思い出である。

その後、大阪で暮らすことになって車の維持を断念する際、ヤマハのZealの中古に乗り始めた。250ccのネイキッドで、当時(2007年ごろ)でさえ絶版になって久しく、何より4気筒のキャブレター仕様ということで、メンテナンスに悩まされた。結局、石川・七尾へのツーリングが最も色濃い素敵な思い出である。その後、2013年に京都に戻ることにした際には手放す方向に気持ちが揺れ、最終的に左足首を複雑骨折した2018年に処分した。

その間、新たに相棒となったのがヤマ発によるエンジン「3S-GE」が搭載されたトヨタ車である。現代では命名や呼称に躊躇するであろう「カリーナED」の初代の後期モデル(ST162)で、4ドアハードトップというパッケージングもまた、今となっては希有な存在だ。加えて、生産終了から30年あまりが経つため、部品の確保が課題である。最近になって名車と呼ばれる車の部品供給が再開されるという動きが見られる(例えば、マツダではロードスターに加えてFC型・FD型の両RX-7が「CLASSIC MAZDA」プロジェクトに含まれるようになった)のは、少なくとも私にとっては明るいニュースだ。

今日は日付を超えて2/28締切の原稿を何とか仕上げて数時間の睡眠に就いた後、赤錆が目立ち始めてきたカリーナEDのワイパーブレードを、サビ転換剤で補修する時間を作った。その後、研究費の精算期限が迫っていることもあって、立命館大学衣笠キャンパスのリサーチオフィスに伺った。自宅に戻ると、深夜まで集中していたことの反動か、夕方の立命館大学サービスラーニングセンターのオンラインでの科目担当者会議(途中、立命館大学の広報課による「手洗いこそ、一番身近なボランティア。」という標語が用いたTwitterの投稿に愕然としてしまったという感覚が共有できてよかった)の少し前まで、ソファで眠りについてしまった。夕食の後は依頼を受けていた研究倫理審査の書類を仕上げて、改めてベッドで眠りについた。

サンドペーパーで錆落としをしてシリコンオフで脱脂して赤サビ転換防錆剤を塗った効果は…
(Leica M9-P, 35mm, f/11, 1/500, ISO400)


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