1年ぶりの東北の旅、あの日から3,654日目は福島県広野町で始まった。9時半から、1年ぶりに「みんなの交流館 ならはCANvas」へお邪魔し、おなじみの皆さんと再会を懐かしむと共に、10年を振り返る企画を鑑賞させていただいた。中でも2月13日から3月14日まで開催の写真展「楢葉町の震災の記憶を、これからにつなぐプロジェクト」では、私自身も提供させていただいたものが多数利用をいただいていて、その他の方々が発災前も含めて写して残した思い出との相乗効果で、住民の皆さん、また外部支援者、それぞれにこれまでを振り返る機会がもたらされていればうれしい。何より、この写真企画は、昨年の1月17日、阪神・淡路大震災から25年に関連づけて楢葉町で行われた企画に参加させていただいた後、昨晩も夕食をいただいた広野町のお店で、一般社団法人ならはみらいのスタッフの皆さんと懇談する中で出たアイデアが具体化されたものでもあり、感慨深いものがあった。
「みんなの交流館 ならはCANvas」の後は双葉町に開設された「東日本大震災・原子力災害伝承館」に向かった。途中、昨晩の追悼企画を主催された「とみおかプラス」のオフィスにお伺いすると、「富岡は負けん!」を書かれた平山勉さんがおられたので、少しお話をさせていただいた。そしてレンタカーで国道6号線を北へと走っていったのだが、楢葉町では役場の近くに3月25日の聖火リレーに向けた準備が始められ、富岡町では産業団地の整備が進み、大熊町では熊地区の家屋の解体が着手され始め、という具合に、それぞれの町にこれまでの日常とは違う風景がもたらされていた。そして、2020年9月20日に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」に到着した。
「東日本大震災・原子力災害伝承館」の管理・運営は公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構である。それが影響しているのか、例えば同じく福島県の博物館施設である「福島県立博物館」、自治体による「伝承館」と名付た施設でも建物そのものが震災遺構(宮城県立気仙沼向洋高校旧校舎)である「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」、さらには広域的に災害資料を収集し展示方法に工夫を重ねている「リアス・アーク美術館」、これらは折に触れ再訪し、忘れ去ることなどできないことを丁寧に想い起こしていくことの大切さに気づかせてくれる場所である。これはある種のイノベーションのジレンマなのかもしれないが、新たな手法で何かをしようとする意図が先立っているのか、誰が、誰に、何を伝承するのか、基本的な立ち位置が曖昧で、結果として伝承館として伝え、受け継ぐものが不明確になっているのではないか、と感じた。例えば、東京電力廃炉資料館は東京電力が事故を謝罪し、原因を説明し、教訓を整理する、といった枠組みが前提となっているのとは対称的である。
そうしたささやかな違和感に加えて、ループで上映されている数多くの映像資料と、その映像資料に含まれた音声の重なり合わせ、さらには来館者への親切心で細かく案内を重ねるアテンダントスタッフの方の声などにより、どっと疲れを覚える中で「東日本大震災・原子力災害伝承館」を後にし、3月20日にグランドオープンを控えた「道の駅なみえ」(2020年8月1日プレオープン)でやや遅めのランチをいただいた。ここでは立命館アジア太平洋大学(APU)出身の東山晴菜駅長にお目にかかり、最終目的地の「せんだいメディアテーク」へと車を走らせた。「せんだいメディアテーク」では甲斐賢治さんに久々の再会の後、この時期に毎年恒例となった「星空と路(2021)」の展示を鑑賞させていただいた。一人ひとりが他者に、中には遠い未来に向けて、その他まずは自分自身に向けて、その際には過去の自分とも対話して、丁寧に記憶や記録を遺しておられるプロジェクトばかりで、改めて10年という月日の重みを感じつつ、亡くなった方々への哀悼の意を改めて表すると共に、そのご遺族や知り合いの方々の悲しみに寄り添えるよう愚鈍ながらに探究と実践を続けていきたいと発意し、1泊2日、582kmの旅を終えた。
昨日までは無かったものが目の前に現れるとドキっとします
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/6494, ISO32)
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