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2021年3月10日水曜日

曲がった掲示が嫌い

曲がった掲示が嫌いである。今日はそのことを、3月20日から京都市交通局のバスダイヤ改正にあたって、パネル内の運行系統別の時刻表の水平、垂直が揃っていない状況を目にして改めて実感した。背景には大阪・天王寺の浄土宗應典院に身を置いたとき、住職からお寺の緊張感を保つことの大切さを常々指摘いただいたことがある。曲がった事が嫌いな性格、というわけではないところがややこしい。

掲示の際には水平垂直を整えるだけでなく、期限が過ぎたものを放置しておかない、ということも、應典院にて口酸っぱく指摘された事柄である。掲示とは告知なのであるから、終わったものを放置しておくことは、伝える側としての責任感が欠如している、という観点からの指摘であった。今年度、町内会の役員をしたことで京都市の市政協力委員となり、それによって京都市広報板の掲示担当も担わせていただいた。改めて、伝える側の立場に立つ機会を得て、伝える側と伝えられる側の双方の視点を見つめ直すことができた気がしている。

そんな中、今日は水曜日ということで、英会話のクラスに出かけた。テーマは気候変動と気象災害だった。NASAの研究チームメンバーを中心にした4名によるThe New York Timesの記事「How We Can Better Predict Weather Catastrophes」(3/1のInternational Editionの紙面版では"How to Better Predict Weather Catastrophes") を読み解いていくこととなり、バイデン政権へのアドボカシーの側面として受け止めつつ、最低でも10年以上の平均値と極値を扱う気候問題と、その時々で局地的に起こる気象問題とを区別して扱う必要があることについて語り合った。議論は日常生活を変えるか、新たな製品・政策を通じた社会システムの変革か、という振れ幅となるものの、結果としてミクロとマクロ、両面からのアプローチが重要、というところで落ち着いた。

ミクロとマクロという視点は、虫の目と鳥の目という対比としても扱うことができる。その両方のまなざしを持つことができる複眼的思考を大事にしようと、童謡「とんぼのめがね」を引き合いに出つつ語っておられたのが、大学コンソーシアム京都のインターンシップ・プログラムのNPOコース(愛称:NPOスクール)の総合コーディネーターを務めていた中村正先生で、1998年度と1999年度とコーディネーターの一人を務めさせていただく中で多くの示唆を得た。阪神・淡路大震災での私自身のボランティア体験の言語化をする機会と習慣を得たためである。そんななか、明日で東日本大震災から10年、夜には渥美公秀先生もパネリストの一人となった弘前大学のシンポジウム「東日本大震災から復興を考える~チーム北リアスの10年~」をZoomで聴講した。

少し気に掛けることによって大いに心地よくなるのにともどかしく思うのは気にしすぎか…
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/213, ISO32)



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