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2021年3月8日月曜日

必要・普通

新型コロナウイルス感染症の拡大以降、不要・不急という事を目や耳にすることが多くなった。感染拡大を防ぐためには各種の活動を抑えることが必要となるものの、人々の行動に制限を課すとなればその代償を用意する必要がある。そこで、自粛を要請という、論理的には矛盾する言葉の組み合わせが発明されたのだろう。これにより、制限を課さぬままに結果として制限がもたらされるような呼びかけがなされた。

不要の対義語が必要であることは明確であるものの、不急の対義語は何かは解釈が揺れる。急がないということは、何もしないというわけではない。電車の比喩を用いるなら、急行列車に対しては普通列車となるから、不要で不急でないものとは、必要で普通なもの、となろう。よって、最近の(例えば、作家の平野啓一郎さんは2006年にブログで「普通に美味しい」という表現を日本語の乱れの一つと指摘している)言い回しを用いるなら「普通に必要」なものはOK、と捉えることができる。

今日は10時と14時40分のZoomミーティングの合間に鍼灸院に行ってきた。2018年の秋に左足首を複雑骨折した私にとっては普通に必要なものである。ただ、午前中に参加したミーティングの際、終了後には鍼灸院に行くことに触れたところ、どうも不要・不急のものとして受け止められたようで、心外だった。転じて、誰にとって何が必要とされ、普通の生活において重要とされているのか、他者への想像力は大事にせねば、と思い直すことにした。

お世話になっている鍼灸院は四条烏丸界隈のため、お手洗いを借りにCOCON KARASUMAに立ち寄ると、国際女性デーにちなんで例年行われている少なくとも2019年の時点で「毎年この時期に」とされている)ミモザのプレゼント企画がなされていた。イタリアでは春の訪れを告げる花であるミモザを男性から女性に感謝の思いを寄せてプレゼントする、ということにちなんでいるという。もちろん、ミモザの日だけ感謝すればいい、ということではなく、日頃からの感謝を改めて形にする日ということだろう。何が不要で何が不急か、という区別することよりも、何が重要で何が普通になされるべきか、丁寧な選択と行動を重ねていきたいものである。

ミモザを贈ろうと思ったときに花を飾る場所を家につくっていないことに気づいたミモザの日
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/60, ISO125)

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