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2021年1月9日土曜日

不用と不要

「カレンダー通りなら」という言葉がある。もちろん、カレンダーを売る店ばかりが並んでいる街区のことを指しているのではない。自分たちの都合と世間の前提と異なる場合に用いられる。例えば、大学であれば学年暦(アカデミックカレンダー)が別途設定されているため、世間では休日であっても授業日となることがある。

カレンダーと暦とは同じことを意味するものの、「カレンダー通りなら」と「暦の上では」とと語句を並べてみると、受け取る印象はだいぶ異なるだろう。カレンダーという言葉で想像する「その日」は特定の1日であるのに対して、暦といういう言葉で想い起こされるのは対象となる日を数日前後した季節の移ろいを含むだろう。単純な対比を置くなら、デジタルとアナログの違いとも言えそうである。もっとも、太陽暦と太陰太陽暦との意味合いの違いとも捉えられるところであり、そこは立川志の輔師匠の落語「質屋暦」がきちんと(違法アップロードではなく)提供されると、改めて暦が持つ意味に対しての関心を向けやすいのに、と感じることもある。

カレンダー通りに3連休となった初日、今日は鍼灸院に出かけた。土曜日も施術をされている行きつけの鍼灸院である。本来であれば2020年の疲れをきちんと落とすはずが、まだ2020年にすべきことが終えられていない部分があり、1月下旬の次の予約までには、仕事の段取りを整えておきたいものである。そんなことを思いながら、関西は15日までが松の内とされるためか、街角では門松をはじめとして正月飾りをまだ見ることができた。

鍼灸院の帰り、それほど古くないと思われる自動車用のバッテリーが自宅近くの交差点の角に置かれていた。そこには段ボールの切れ端に「不用 欲しい人 持って帰って下さい」と記されていた。あなたは「用いない」かもしれないが、それを「要する」人がこれを目にして手にして持ち帰っていく可能性は極めて低いのではないか、と突っ込みを入れたくなった。せっかくの好意なのにそんな行為を働くなど無用だ、などと突っ込み返しが来れば、さらに会話が深まりそうだが、そもそも不法投棄ゆえに御用となる案件でもある。

夜のZoomでのミーティングでネタにできそうな一風景だった
(Nikon D40, NIKKOR 40mm, f10, 1/10, ISO400)


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