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2021年1月19日火曜日

学びのシェフ

2020年度秋学期の立命館大学での授業が終わった。もちろん、これから成績評価が待っている。また、オンライン授業のアーカイブ動画のアップロードの作業も残っている。こうして、授業が終わっても、むしろポストプロダクションとして終わったからかこそ着手する事柄があることを、窓口業務を終えた後に店内で数多くの仕事があることを指して「銀行の15時以降」などと表現して、決して表からは見えないことがあるということを説明することがある。

2020年度春学期と異なって、秋学期は一部対面の授業があった。しかし、既に下宿を引き払っている学生、遠距離通学のために通学の経路のどこかで感染するリスクを懸念する学生、再入国までに一定の時間を必要とした留学生、そうして対面の場に参加が困難な受講生がいた。そこで授業担当者の判断として、オンラインでの参加も選択肢に入れることにした。ハイブリッド授業などと一括りにされることがあるものの、対面で参加する受講生とオンラインでのライブ授業に参加する受講生との対話をもとにした授業はハイフレックス型授業と呼ばれている。

コロナ禍に際して「学びを止めるな」といったスローガンが広がったこともあって、学生の受講機会の保障は大学の執行部も大きなテーマとして特に配慮を重ねてきた観点の一つである。音を楽しむと書いて音楽と読むことと無関係ではないと思うのだが、音楽もまたライブ会場で聴くのと、ラジオで生放送を聴くのと、録音を聴くのとでは、体験の質が異なるだろう。もちろん、それぞれに絶対的な優劣があるわけではなく、それぞれの方法で最善かつ最高の体験ができるように、ミュージシャンやスタッフが工夫を重ねて作品を仕上げていることが重要である。転じて、授業もまた、多くの人の手によって、少なくとも最善なものとなるよう努力が重ねられている。

コロナ禍を経てオンライン授業が常態化することになり、私は授業設計と運営をレストランに見立てることが多かった。教員をシェフとすると、授業は料理となる。対面授業はレストランの来店者への調理、オンラインのライブ授業はテイクアウトのデリバリー、そしてオンラインのオンデマンド授業は冷凍食品の提供、という具合である。そんな区別を重ねながら、より深い学びへの工夫を重ねてきたつもりだが、果たしてどう味わってもらえたか、成績評価は授業担当者の内省を通じた自己評価の機会であもる。


(Leica M9-p, SUMMICRON 35mm, f2.4, 1/8, ISO 400)


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