「ばいきんまん」で思い出すのは、福島の風評被害が深刻だった頃のことだ。彼の地から転校してきた子が「ばいきん」扱いされた、というニュースに触れたためである。もちろん、放射線は菌ではない。しかし、放射能汚染という言葉は存在することも影響してか、あるいは「ばいきんまん」という馴染みのキャラクターを通じて悪さをする汚れ役を想像したのか、いずれにせよ、悲しいことに露骨な暴力が浴びせられたのである。
一方、新型コロナウィルスは菌ではない。菌とウィルスの違いは、単純に言えば生物か否か、つまり自分で生きられる(細胞分裂をする)か生物の細胞を利用して自己を複製させねばならないか、である。ちなみに「ばいきん」を漢字で書いたとき「黴」は「かび」と読むものの、(細)菌は単細胞でカビは多細胞という違いがあるという。生きもの世界は、奥が深い。
大阪・兵庫・京都の3府県も政府による緊急事態宣言の対象に含まれる見込みが立ってきた中、今日はライブハウスでの演奏に触れる機会があった。基本はツイキャスでの配信とされたものの、ごくわずかのお客さんのみ、万全の感染対策のもとで会場に受け入れるという形式が取られた。生音を味わう楽しみ、配信のプラットフォームで演奏中に逐次感想を送る楽しみ、そして2週間のアーカイブを自分の都合で視聴する楽しみ、それぞれに自らの選択ができることは、コロナ禍がもたらした新たな多様性と可能性のように思う。授業もまた同じであり、できれば時間と空間を共有した生ものはもとより、テイクアウト(オンライン)、冷凍食品(オンデマンド)でも味わい深いものを提供できる、学びのシェフでありたい。
ばいきんまんと目線が合った京都の路地
(iPhone XR, 4.24mm(26mm), f1.8, 1/214, ISO25)
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