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2013年8月7日水曜日

自助と公助のあいだ

台湾・淡江大学と立命館大学の学術交流フォーラム「TRACE2013」も4日目となった。今日は宮古から大船渡にやってきた。大船渡は立命館大学と2012年4月に復興に向けた協定が締結されたまちでもある。よって、この期間、キャンパスアジアプログラム、夏祭りの運営支援、そして私たちのグループと、3つが関わっている。宿泊拠点も地域の方のご厚意で、公民館に泊まらせていただいており、畳の上で寝袋が並ぶ、という風景が、大船渡で活動する立命館のグループでは大抵見られることとなる。

朝8時半に宮古を出たバスは、9時40分頃に旧大槌町役場に立ち寄った。辺りを見渡すと、草の伸びた土地が広がっている中、3時18分で止まったままの時計が玄関ホールの上に掲げられたままの建物が、人々の言葉を奪い、悲しみを駆り立てる。朝に宮古の魚菜市場に行ったものの、水曜定休のため、新鮮な海の幸をいただくことができなかった、などといった俗な思いは、遠くに追いやられる。続いてトイレをお借りするのに、旧・大槌小学校を改修した新・大槌町役場にお邪魔したところ、2代目ビリケンさんが大阪からやってきていた。(ちなみに、震災の後、大槌町の4つの小学校に通う児童たちは一つの仮設校舎で一同に学んできたが、2013年3月に、4つの小学校が正式に統合され、名称は同じでも新しい大槌小学校となり、引き続き仮設校舎で学んでいる。)

そして向かったのが、大船渡市役所である。ここでは、炭釜秀一さん(企画調整課係長、鈴木宏延さん(防災管理室係長)、山口浩雅さん(復興政策課係長)の3名から、大船渡市における復興計画の策定経過についてお話を伺った。学生からは、「避難所運営の難しさ」について、「集団移転に対する住民の反応」、「計画策定に対する市民参加の範囲」、「防災教育の内容」などについて相次いで質問が投げかけられた。最後、炭釜さんから学生への期待として、まず「未来に向かって人生を歩む中で、大きな災害があったことを忘れないで欲しい」(つまり、人・財産、思い出、多くのものを喪ったまちであるということ)、次に「色んな手立てでボランティアをするときには、軽い気持ちで来て欲しくない」(つまり、自己満足、自己完結して、一度限りで終わらせる人たちが多いということ)、そして「物心両面での支援や備えを受けてきたが、いつ、どこで、どんな災害が起こるかわからないので、特に心構えの備えをして欲しい」(つまり、今は支援をする側かもしれないが、いつ何時、支援される側となるかはわからないということ)が伝えられた。

夜には盛町で開催されている灯ろう七夕まつりに出向いた。ここでは立命館の赤いビブスをつけた学生たちがお祭りの支援をしており、その様子を垣間見ることとなった。そして夜には、今回の参加メンバーの一人が大船渡生まれということもあり、彼の叔父にあたる方からの差し入れをいただきながら、立命館大学の卒業生で大船渡市の商業観光課に勤務する平野桃子さんと懇談をした。今日の一日を通じて、「自助」と「公助」のあいだにある「共助」の存在の大切さに迫ったように思っている。

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