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2013年8月8日木曜日

内で結び、外に開く


淡江大学と立命館大学との学術交流プログラム「TRACE2013」も8日で5日目となった。今日は大船渡の立根公民館の掃除に始まった。ただ、全員で掃除する前に、早起きした者だけ、約1週間にわたって立根公民館に拠点を置いていた、立命館大学による大船渡での2つの夏祭りの後方支援スタッフ派遣プログラム「チーム大船渡2013」の見送りを行った。こちらの便はサービスラーニングセンターの坂田謙司先生を中心に、学生オフィスが主管となって展開されたものである。

畳の上で寝袋にて休み、畳の間での振り返りを行うなど、これまでの日々とは異なった雰囲気の中で時間を過ごした学生たちは、一路、陸前高田へと向かった。昔ながらの醤油や味噌づくりに取り組んできた八木澤商店の河野通洋社長から、産業面での復興過程についてお話を伺うためである。そうした流れになることを道中でfacebookに投稿したところ、仙台で若者らの地域参加や社会活動の支援に取り組む渡辺一馬さんから、「会長と話すと涙が出てきて、社長と話すと笑いたくなります」とコメントをいただいた。6月に河野会長と膝をつきあわせてお話させていただいたときには、「異常なくらいポジティブであった」当時を振り返って、「あんまり頭、良すぎると、全部ネガティブに考えて、ドツボに入る」し「ネガティブに考えたら自殺しか考えない」と仰ったくだりに胸が熱くなったが、今回は河野社長による震災後も震災前からの地域内でのつながりを大切にしてきた背景として「選択肢のある人生が一番豊か」という投げかけが胸に響いた。

陸前高田は八木澤商店でのレクチャーとお買い物、そしてバスの車窓から「軌跡の一本松」を眺めるに留まったが、それも急ぎ足で気仙沼に向かわねばならなかったためである。河野社長のお話と質疑応答、またお買い物が長くなったことも重なって、気仙沼の斉吉商店さんには約30分遅れて到着したが、斉藤純夫社長や斉藤啓志郎さんをはじめ、お店の皆さんに歓待をいただいた。ここでは食事の後、斉藤社長に加えて、台湾に留学されていたアンカーコーヒー&フルセイルコーヒーの小野寺紀子さんと共に、私たちからの質問に応えるかたちで意見交換が進められた。残念ながら学生たちから積極的な問いかけはなされたなかったものの、「遠洋漁業のまちとして、常に外を向いている」ゆえの、開かれた雰囲気の中で、これまで訪れてきたまちの風土との比較を行うことができた。

2時間ほどを斉吉商店さんで過ごした後、バスは今夜の宿、盛屋水産による「唐桑御殿つなかん」へと向かった。底抜けに明るい菅野一代さんに、途中のセブンイレブンまでお迎えをいただいて、到着して程なく、一代さんからのお話と、夫の和亨さんによる乗船体験、そして順番に風呂に入り、夕食と交流会と続いた。つなかん、斉吉商店、八木澤商店など、今日、お世話になった皆さんは、「気仙沼のほぼ日」の皆さんとのご縁でつながった方々であり、同時に、それぞれに、もともとはアーティストのCD制作のための資金調達を支援するサービスに取り組んでいたミュージックセキュリティーズ株式会社による「セキュリテ被災地応援ファンド」にも参画しているという共通点がある。(八木澤商店ファンド斉吉商店ファンドアンカーコーヒーファンド盛屋水産つなぎ牡蠣ファンドなど、募集が終了しているものが多いが、八木澤商店しょうゆ醸造ファンドなど募集中のものもあるし、単発の支援としての【買って応援 「セキュリテセット」】 などもある。)地域内で結びあわされ、地域外に開かれた雰囲気に、なんとも言えない魅力を覚えている気仙沼なのだが、今回、夜の交流会にて、和亨さんの口からこぼれた「あいつ(一代)も相当無理している」「ありがとうって簡単に言わないほうがいいよ」という言葉が気になって仕方なく、また何度か足を運びながら、「あのときのあのことば」を掘り下げてみたいと思った一夜であった。

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