台湾・淡江大学と立命館大学との学術交流プログラム「TRACE2013」も9日で6日目となった。今日は気仙沼の「唐桑御殿つなかん」の名残惜しく出発した後、仙台バスの運転手、栗村さんの機転で、一関から東北自動車道経由ではなく、南三陸から一般道を経由して向かうこととなった。そのため、津波到来の直前まで防災無線で避難を呼びかけたことで知られる遠藤美希さんらが亡くなった、南三陸町の防災対策庁舎と、南三陸さんさん商店街に立ち寄ることとなった。ちょうど、防災対策庁舎の前では手を合わせて深々と礼拝をしている少年の姿が目に留まったのだが、以前立ち寄ったのは2013年1月の風景と異なり、吉川由美さんらENVISIによる「福幸きりこ祭」の後も残されてきた金属製の巨大きりこの一部が撤去されており、「地震と津波の前の風景」と、「地震と津波の後の風景」と、そして「地震と津波の後に地震と津波の前を思ってもたらされた風景」と、時間の経過を風景から感じ取った。
途中、南三陸にて、涙を浮かべつつ、改めて悲しみに浸った学生たちは、東北学院大学をお借りして開催する公開勉強会「震災による原発事故で福島が抱えた問題と経験から学ぶ」に向かった。実は、この「TRACE2013」は、3月8日に淡江大学で開催された学生フォーラム「震災復興と東アジアを担う若者の使命」を受けて、東北でのフィールドワークを盛り込んだプログラムを実施しようという運びとなったため、いわゆる被災3県の各所にて、それぞれの地域の課題を見つめることを構想していた。そのため、今回の企画では、4月から5月においては、今日は福島県のいわき市等での仮設住宅での交流活動を行う予定であった。しかしながら、両大学のやりとりを重ねる中で、全体の旅程の調整から、福島行きを止め、立命館大学も参加している「大学間連携災害ボランティアネットワーク」を取りまとめている、東北学院大学の協力を得て、福島からゲストを招いた場を設けることとした。
今日は福島から、学生たちと同世代と言える若者3人を招いた。話題提供の順に鎌田千瑛美さん(peach heart共同代表)、佐藤健太さん(一般社団法人ふくしま会議理事)、そして安達隆裕さん(一般社団法人福島復興ソーラー・アグリ体験交流の会)である。鎌田さんには「『自分らしく生きる』本音で話せる場づくりを」と題してお話いただき、そこに佐藤さんが写真と統計等を用いて「地震と津波と事故」の前と後とで何が変わったのかを紹介いただいた。休憩の後に、安達さんから「私の目に映るふくしま」と題して話題提供をいただいた後、4グループに分かれてディスカッションを行うこととした。
今日伺った3人のお話は、このところ立命館災害復興支援室のfacebookページで広報協力をした福島大学によるプログラムへのコメントに対して、言いようのないもどかしさを覚えていた私に、「する」ことよりも「いる」ことの大切さ、「目標達成」よりも「継続実施」の重要さを、改めて問いかけてきたように思う。「直後から絶えず問われた『選択』」の中を生きてきた鎌田さん、海洋汚染のデータを目にして「魚にはパスポートがない」と広範囲への影響を指摘した佐藤さん、そして「原発からの距離、という線量を無視した区切りによる分断」に静かな怒りを表明する安達さん、それぞれの言葉をどう自分事して受けとめられるか、自らが試されている。終了後、今回は13人の学生が参加した懇親会を佐藤さんと共に行い、さらに学生時代からの仲間である桜井(政成)くんも合流し、日本酒バーへと繰り出したが、「外遊びが出来ない、海で泳げない」こどもたちに「当たり前を提供する」ことで、保護者たちが「私たち自身ものびのびすることができた」と紹介した安達くんの言葉を振り返りつつ、「当たり前」と思える時間を共にしながら、その場に関わる人が「のびのびすることができた」と思える、そんな場づくりに取り組んでいきたいと、ささやかな決意を固めた夜であった。
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