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2016年10月11日火曜日

業を授けるということ

 授業とは業を授ける、と書く。業は「わざ」とも「ゴウ」とも読むことができる。今、教養教育の担当であることから、授けるわざとは知識ではなく認識、いわゆる物の見方である。転じて、ゴウを授けるとしたら、市民性を涵養する上での無知への気づきや、身体・発言・意志を通じた他者との交わりとなろう。

 そもそも大学の教員には免許状がない。その点でも、高校までと大学とでは、学校としてのあり方が違う。それゆえ、大学生らが自らを生徒と呼ぶことに相当の違和感を覚えている。だからこそ、学習者中心の教育を推進する立命館の教養教育を担う一人として、わざとゴウを授けていこうと、工夫を重ねている。

 今日の現代社会のフィールドワークは「教室に集まってもいいし、現地集合でもいいし、現地解散でもいいし、教室に戻ってきてもいい」と、グループでの判断を求める形態とした。先週、各グループで定めたテーマを掘り下げる時間としていたためだ。私は教室のデスクで、フィールドに行く、フィールドから戻る学生からの問いかけを待つ身である。そして、口を出す。

 6限のソーシャル・コラボレーション演習は、先週投げかけた問いに対して5名がプレゼンテーションを行った。言わば社会実験の計画案である。テキストに『イッシューからはじめよ』を指定しているので、そこに意識が向いている学生は、テーマの背景にある問題の根っこをつかもうと、リサーチを重ねている。授業後には美酒に浸った。

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