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2026年4月11日土曜日

モヤモヤの世界に踏み込むということ

今日は朝に田鶴浜を出て、京都大学吉田キャンパスで開催された「岡田憲夫先生の八十路への挑戦を共に祝う会」に参加した。岡田先生は京都大学防災研究所の所長も務められた研究者であり、私にとっては、鳥取県智頭町での地域づくりに関心を向ける中でご縁をいただいた存在でもある。特に、智頭町で「日本1/0村おこし運動(通称:ゼロイチ)」などの動きに触れていく中、現地のリーダーの一人である寺谷篤さんとの出会いを経て、私の師(渥美公秀先生)の師である杉万俊夫先生と岡田憲夫先生との協同的実践に関心を寄せていった。そして今日は、そうしたご縁の延長線上で、岡田先生ご自身の歩みと、その背後にある問題意識に直接触れる機会となった。

講演の中で繰り返し語られていたのは、「計画だけでは捉えられないこと」の存在であった。岡田先生は、かつて工学部の研究者として、統計や将来予測をもとに公共計画へ携わっていたものの、「このままでは未来はありません」と説明することしかできない自分に疑問を抱いたという。そして、地域の人々が肩を落として帰っていく姿を前に、「自分が間違っていた」と感じたことが、その後の実践へとつながっていったと振り返られていた。特に印象的だったのは、「行動は感情に先立つ」という言葉で、最初から完成された計画を求めるのではなく、小さく始めながら、出会いと実践を通じて変化を育てていくという発想が、智頭町での長年の取り組みを貫いていたことである。

その中で岡田先生は、「コミュニカティブ・スペース」という言葉を用いながら、人びとが出会い、語らい、共に動く場の重要性について語られていた。そこでは、教師と生徒が固定されるのではなく、「めだかの学校」のように、ある時は教え、ある時は学ぶ関係が生まれていく。また、PDCAサイクルのような管理型の枠組みだけでは、人は「できそうなこと」しかやらなくなるとも指摘されていた。むしろ、「どういう未来をつくりたいのか」という問いを共有しながら、小さな実践が波紋のように広がっていくことが大切であり、そのためには「量の成長ではなく質の成長」を支える関係性が必要なのだという。そして、それは地域づくりだけでなく、研究や教育にも通じる話であるように感じられた。

講演の最後、岡田先生は質疑応答の中で「モヤモヤの世界に入っていく感覚を持つこと」の重要性についても触れられていた。その際、既存の枠組みで捉えることを「システマティック」とするなら、自分の知らない流儀や価値観に触れていくことを「システミック」という観点で区別して説明されていた。具体的なイメージとして、ただ漂流するのではなく、時には「母屋」に戻りながら、自らの問題意識を鍛え直していく必要がある、と示しておられた。田鶴浜での滞在型フィールドワークを続ける中でも、計画通りに進まないことや、何を掴み取ればよいのか見えなくなる瞬間は少なくないが、だからこそ、まずは場に身を置き、人と関わり、共に動きながら考えていくことの意味を、改めて問い返された一日となった。



2026年4月10日金曜日

行動範囲が広がる

今日は行動範囲が広い一日になった。まず、朝は七尾駅近くのパン屋さんに足を運んだ。このところ、朝食をどう調達するかで、七尾市内のパン屋さんを巡っている。今日は朝6時から開いているお店に「サラダパン」を求めに行った。サラダパンと言えば滋賀県長浜市の長浜市のつるやパンが作っているコッペパンに沢庵が入ったものを想像するところだが、これまで回ったパン屋さんを田鶴浜地区コミュニティセンターのスタッフの皆さんにお話したところ、「ぜひ一度!」とお薦めをいただいたコッペパンにポテトサラダが入った品である。

日中は田鶴浜地区コミュニティセンターにて、いくつかの打ち合わせがあった。午前中には今後の田鶴浜地区の地域づくりについて、七尾市役所の地域づくり支援課との懇談の場に陪席させていただいた。そこでは、とりわけ3つの災害公営住宅群が田鶴浜町内に整備されることに伴って新旧住民との緊張関係が生まれることが懸念されることなどを投げかけた。今、第2・第4火曜日の午後は「タツルエ」での「出張ふらっとカフェ」のお手伝いをさせていただいていることもあって、何かお役に立てられれば、という思いもあって、である。加えて、たつるはま未来会議により、明治25年築とされる古民家の再生への準備も進めてきたところもあり、この1年の滞在のあいだ、またその後も含めて、まちに暮らす人たちの地域への愛着が喚起されていく手がかりがもたらされることを願っている。

午後は田鶴浜地区地域づくり協議会の新旧会長の意見交換に参加させていただいた。田鶴浜地域づくり協議会では、5月1日をもって新旧役員の交代がなされる予定となっている。加えて、田鶴浜地区では、この3月をもって地域おこし協力隊が離任した。これらに伴い、今後、どのような担い手を求めていくか、ということについて、ささやかながら私の見立てを述べさせていただいた。ちなみに現会長には、まちのコーヒーレストランにてランチをご馳走いただいた。

そして、夕方からは地域の神社の禰宜さんに、高岡方面に連れ出していただいた。まずは私がパンを求めているということもあって、パン屋さんにお連れいただいた。続いて、自家焙煎をされているコーヒー屋さんを訪れた。そして、フランスの家庭料理のお店と謳っておられるレストランで晩ご飯をいただいた。かつて、自転車を手にしたとき、その後バイクに乗るようになったとき、さらには車を運転するようになったとき、徐々に行動範囲が広がったことを想い起こしがら、新たなまちで暮らす中で広がる人間関係と訪問先を楽しむ一日になった。



2026年4月9日木曜日

さくらの花の咲く中で

「さくらの花の咲くころに」という歌がある。渡辺美里さんの名作アルバム「ribbon」の3曲目で、中学生の頃にはレンタル屋さんでダビングしたカセットで、後にはCD、さらにはiPodで、そして今でもよく聴いている一曲である。少なくとも私にとっては、美里さんによるサビのフレーズ「覚えていてね/想い出してね」と、TMネットワークの木根尚登さんによるメロディーが、いつの時期にも春の風情をありありと想起させてくれる。今日はそうして想い起こす春の風景に、新たな場面が増えた、そんな一日になった。

今日は午前中から午後にかけて、田鶴浜駅の装飾の続きを行った。これは昨年12月24日に、田鶴浜高等学校と立命館守山高等学校の生徒さんたちとの協働で行った活動の続きである。たつるはま未来会議が呼びかけたクラウドファンディングをもとにした活動で、被災建具のアップサイクルにより跨線橋を木の香りで満たそう、というものである。プロジェクトリーダーは革のお店「tasola」の高畑さんで、今日は田鶴浜ライオンズクラブで会長を務めた畑さん、また私の大学時代からの友人の谷内さん、さらには田鶴浜体育館の避難所の運営を2月から支えてきた越岡さんも参加した。

お昼はタツルエ1階の語ろう邸でいただいた。10時から行った用意した木枠へのはめ込みは15時過ぎには一段落となった。ちょうど16時ごろには、先日、4月4日に立命館大学石川県校友会でお目にかかった金沢市議会の稲端議員が珠洲からのお戻りの中で田鶴浜に立ち寄っていただいた。珠洲にはワーカーズコープ(センター事業団)の方々とお伺いになったようで、そのお二人にも、田鶴浜駅での装飾などをご覧いただけた。

そして夜には再び語ろう邸にて、タツルエの運営をサポートするメンバー「タツルエ倶楽部」の第1回の打ち合わせが行われた。語ろう邸は水曜日と日曜日が終日、また土曜日のランチがお休みである。そのため、それ以外の日に、古民家の土間部分を地域の方々の共有スペースとして開くためのお手伝いをするのが「タツルエ倶楽部」のミッションである。そのため、地域の7人が鍵を所有して、皆で共同管理をする、ということになった。私もその1本を持たせていただくこととなり、打ち合わせの後の食事会では、私の歓迎会という位置づけでご招待をいただき、ありがたくお招きに預かることとした。



2026年4月8日水曜日

いきつけのお店

能登での暮らしが始まって1週間が経った。これまでは通う場所だったまちに住むようになって、時間の過ごし方やまちの見方も少しずつ変わってきた気がする。特に食事をどうするかは、小さくとも楽しい悩みである。もちろん、体調を整える上でも重要な問いでもある。

今朝は七尾駅近くにある「うどん山口」でいただいた。過去の写真を遡れば、最初に訪れたのは2024年11月3日のようである。オープンは2024年4月のようで、11月の段階でも1玉250円で提供されていた。今は1玉280円となったが、そうした値段はさておき、またプレハブの店舗という外観に囚われることなくセルフ式でのうどんを一度でも食べれば、誰でもその味に満足するであろう。

実は4月3日の朝も、こちらでいただいた。学生たちと通ってきたので、スタッフさんには何となく顔も覚えていただいたが「1年間住みますので」と伝えると、相当驚かれていた。今日は先週おいしくいただいた後に「また来ますね」と約束をしてから、1週間を待たずの再訪となった。何度となく訪問をしてきたお店も、一時的ながら住民として訪れると、少なくとも訪れる側の私の気持ちには小さな変化があった気がする。少なくとも、「行きつけのお店」として紹介できるお店になっている、という実感が沸いてきているのは確かである。

ちなみに京都で長く暮らしてきた中で、「いきつけの映画感、作りませんか?」というキャッチコピーに触れてきた。これは四条烏丸の「COCON KARASUMA」3階にある「京都シネマ」が掲げるフレーズで、私は2004年の開業時にプレミアム会員を募集する呼びかけに応えさせていただいた。なかなか「いきつけ」と言えるほど通えてはいないものの、同じ作品を鑑賞するなら京都シネマで、という思いで足を運ばせていただいている。この1年、「うどん山口」に並んで、2024年1月以来、何度も足を運んできた「どんたく生鮮市場和倉店」もまた「いきつけのお店」の1つとなり、夕方には足を運んだ次第である。



2026年4月7日火曜日

ご縁に恵まれる日々

今日の田鶴浜地区コミュニティセンターの朝礼では、昨日の「ライトアップは突然に」の報告をさせていただいた。実は昨晩、片付けの後に山口進会長と「語ろう亭」にて、小さな打ち上げも行っていた。ランチも「語ろう亭」だったため、2食連続で「語ろう亭」にお世話になった。ところが、今日もまた「語ろう亭」で昼と夜のご飯をいただくことになるとは、朝の段階では想定していなかった。

今日は14時から出張「ふらっとカフェ」が「語ろう亭」が入っている古民家「タツルエ」で開催される日だった。2025年7月に、田鶴浜地区コミュニティセンターの生活支援コーディネーターの方が始めた「ふらっとカフェ」は、14時から16時までの2時間、予約不要で参加できる交流サロンである。ただ、それまで担当されてきた生活支援コーディネーターの方が2026年3月をもって退職されたこともあり、今年度は第1木曜日と第3木曜日は田鶴浜地区コミュニティセンターにて、そして当面は第2火曜日と第4火曜日に出張版を、手探りの中で継続がなされている。そして、この出張版については、せっかく私が田鶴浜で滞在型のフィールドワークをさせてもらっているということもあり、4月からのタツルエでの開催にあたっては、私も運営に携わらせていただくことを申し出た。

そんなこともあって、今日もまた「語ろう亭」でのランチとして、そのままカフェのセットの運搬と設営を担わせていただいた。タツルエに向かう前には田鶴浜体育館に寄って、昨日お借りした投光器をお返しし、あわせて現場の様子も報告させていただいた。ランチには、学生時代に田鶴浜体育館の避難所運営を手伝ってくれた七尾市出身の若手も誘い、あわせてカフェのマスター役も担ってもらうことにした。ちなみに彼は田鶴浜体育館でも「はまカフェ」の運営を担っていたため、図らずも田鶴浜での交流の場に関わり続けることになった。

今回、新年度1回目の出張「ふらっとカフェ」は5名の参加、7杯という結果になった。決して多い参加者ではなかったものの、継続への第1歩となったのは確かであり、それ以上に、参加いただいた方から5月31日に羽咋にて本州初となるトキの放鳥の情報を教えていただいた。ちなみに今日の晩ご飯は和倉温泉駅近くのスーパー「どんたく」で購入し、和倉温泉総湯に入ってから戻る予定だった。しかし、昼のカフェ企画への協力のお礼にと「語ろう亭」に一言お礼に立ち寄ったところ、「残り物でよければ」と、お魚とロールキャベツ、そしてご飯とお味噌汁のセットをいただくことになり、なんとも、皆さんのご縁に恵まれている日々である。




2026年4月6日月曜日

つぶやきからのライトアップ

今、間借りをさせていただいている場所から、徒歩3分ほどでコンビニエンスストアがある。今日の朝は、昨晩、この地域の神社の禰宜さんからおすそわけをいただいたものと、コンビニエンスストアで調達したあたたかいものを組み合わせることにした。そして、やや贅沢な朝ご飯をいただいてから、和倉温泉の総湯で朝風呂をいただいた。ただし、あいにく総湯の隣のパン屋さんは今は8時開店となったので、昼食は別の何かにすることにした。

このところ、日中は田鶴浜地区コミュニティセンターにデスクを用意いただいているが、平日は8時30分から朝礼があるということで、このところ連続で参加させていただいている。今日の朝礼では、田鶴浜の吉田(よした)にある吉田川沿いの道、通称「ほたるロード」の桜が話題になった。田鶴浜の中でも吉田が位置する相馬地区には、2004年に旧田鶴浜町が七尾市と合併するまで相馬小学校があったものの、金ヶ崎地区の金ヶ崎小学校とあわせて旧田鶴浜小学校と合併し、現在の田鶴浜小学校に新生されることになった。そして、この「ほたるロード」には、統合の1年前、当時55人が在籍していたことも踏まえ、1本1本にこどもの名前を付けた55本の桜が植えられ、地域の方の協力もあってさらに55本、計110本の桜が約1kmにわたって植えられている。

今日は朝礼で山口進会長が「ライトアップできたらいい」とつぶやいたことをきっかけに、夕方に試験点灯がなされることになった。まずはランチを「語ろう亭」でいただきながら構想を練り、続けて昼からは「藤澤邸」の漏水調査に立ち寄り、そして「ほたるロード」の現地調査に赴いた。かつて吉田では夏に蛍が訪れていたことにちなんで、秋から冬にかけて「吉田ほたる遊び実行委員会」が15,000個のLEDで彩っていたという。そこで、実行委員会で率先して動いていた長尾さんのお宅などにもお邪魔して、桜のライトアップへの知恵と絞ることにした。

結果として、田鶴浜地区コミュニティセンターが持っているLEDの投光器3つ、そして田鶴浜スポーツクラブ事務局の長田さんのハロゲン投光器とLED投光器を1つずつ、合計5灯で西下バス停の桜を下からライトアップすることになった。あいにく、明日の天気が雨ということもあって、17時30分ごろから20時ごろまでのわずかな時間の点灯に留まったが、約10人ほどが車を降りて、幻の風景をカメラに収めて行かれた。そして最後、偶然の産物として、照らされていない並木に向かって軽トラックのヘッドライトがハイビームにして向けられたことで、あたかも1kmのライトアップが試されたような写真も撮影された。私の学外研究期間は終了しているものの、来年のライトアップがどうなるか、少なくともこうして動く人々がいるまち、しかも吉田の桜は「アカネちゃんが小5の時だから、○年前ね」といった具合にお互いをよく知る人たちがいる田鶴浜なら、きっと何か素敵な動きが起きているのではなかろうか。


2026年4月5日日曜日

パンとラブレター

このところ、朝食はパン食の傾向にある。3月末、復興のその先のまちづくりを展望するために、田鶴浜の皆さんと富山県南砺市の井波地区を訪れたことが影響している。井波では、空き家を活用しながら、「こんな人がいたらいい」「こんなお店があったらいい」という思いを起点に移住者を募ってきた「ジソウラボ」の取り組みを伺った。その最初の呼びかけが、「おいしいパンを井波で食べたい」というものだったという。

今の田鶴浜にはパン屋がないということも重なって、4月1日から、田鶴浜に隣接する和倉地区から七尾市内へと少しずつ足を伸ばして、好みのパンを探し当てようとしている。今日は七尾市中心部に近い店で焼きたてのパンをいただいた後、そのまま奥能登・輪島市の町野町へ向かった。目的はNHKの夜ドラ「ラジオスター」の演出を務める一木正恵さんの講演会の聴講で、13時からの講演会の前には「ラジオスター」の上映が11時からと12時からの2回、催されていた。12時からの上映を鑑賞した後で聴講した講演は「『まれ』から『ラジオスター』へ」というタイトルのもと、能登との関わりの始まりから、震災後の向き合い方、そして作品に込めた思いへと展開していったご経験を踏まえ、能登の人びとの暮らしのあり方に対する驚きと、地域の歴史と文化、さらにはそれらを継承している人々への敬意が語られた。

一木さんは今回のドラマを能登への「ラブレター」として構想されたものだと語られていた。朝ドラ「まれ」に携わった際に効率や評価とは別の軸で営まれる暮らしに触れ、特に奥能登の方々が自分たちの生活が成り立つ範囲で手を動かし続ける姿勢に、ご自身のものづくりのあり方も問い直すことができたとのことである。それから約10年、一木さんは令和6年能登半島地震での発災直後、報道として現地に入りを志願した中で、短い時間ではどうしても「助けてほしい」という側面ばかりが強調されてしまうことを痛感したという。そこでエンターテイメントとしてのフィクションを通じて笑いを主軸に置いて、能登に対して物理的・精神的に距離がある人にも「ある街」の営みを伝え残そうした、という流れが印象に残った。

講演の後、せっかくここまで来たのだからと、これまで訪れてきた場所を辿ることにした。2024年、2025年と足を運んできた曽々木海岸、珠洲の真浦、そして白米千枚田を抜けて輪島朝市の界隈を訪れた後、さらに富来を経て、田鶴浜へと戻った。発災前の姿を知らない場所がほとんどであるものの、時間をおいて一度訪れた場所を再訪することで、それまでの自分がどう生きてきたかを見つめ直す手がかりを得ることができる気がしている。特に阪神・淡路大震災では、発災時に生まれていなかった未災者に震災を追体験する学習手法として定点撮影の活動に取り組んできたが、そうした教育実践についても「ラジオスター」の初回放送を能登で見届ける中で、きちんと整理したいと決意した一日になった。

※講演会の冒頭「ぜひ撮影して、皆さんに(ドラマを、そして能登を)紹介して!」と案内

2026年4月4日土曜日

洗って浸かって交わって

田鶴浜での滞在型のフィールドワーク、初の週末である。常々、デスクワークの環境で使わせていただいている田鶴浜地区コミュニティセンターは土曜開館であるものの、指定管理者である田鶴浜地区地域づくり協議会の事務局執務室は閉じている。そのため、もう一つの間借りの拠点、タツルエで午前中を過ごさせていただいた。タツルエには共用スペース「まち土間」があるためである。

朝食は前夜に「タツルエ」の1階に入居されている居酒屋「語ろう亭」で卵巻きといなり寿司を調達させていただいていた。震災で閉業となった地元の寿司屋さん、大黒寿司さんにお願いして、金曜日のランチにあわせて語ろう亭で提供されている品である。曜日が限られている上に限定数(通常12個)の提供ということもあって、目にしたら選ぶ、というのが得策のように思う。1巻で10個とのことで、今回は卵巻き4個といなり寿司3個のセットを選択して、1回で2つの味わいを楽しませていただいた。

お昼前からはコインランドリーに出かけた。2017年、デンマークでの学外研究時にはコインの調達に難儀したことを思い出した。今回、常々そばを通る中でその存在を承知していたコインランドリーに行くと、アプリの利用で現金以外の決済ができることを知った。店内にはWiFiも整備され、さらには洗濯・乾燥の終了時間の通知はもちろん、そもそも空き状況と運転状況が予め確認できることがわかり、隔世の感を覚えた。

コインラインドリーが終わるまで、和倉温泉の総湯に浸かってリフレッシュをすることとした。また、どんたく生鮮市場和倉店で買ったパンで軽いランチに続いて、夜は金沢での立命館大学石川県校友会の4月例会にお邪魔させていただいた。二地点居住状態ながら、2025年3月にお会いしていた石川県校友会の西村和也会長からお誘いをいただいたためである。懇親会の前には立命館大学校友会未来人財育成による奨励金で支援された団体「PAK PAK」の活動紹介が設定されていたものの、強風などの影響によるダイヤの乱れのため、順番を入れ換えつつも短い時間での報告となった。



2026年4月3日金曜日

惜別の生花コーナー

田鶴浜での滞在型のフィールドワークを始めて最初の週末である。4月1日から3日間が過ぎただけだが、京都と能登を往復してきた45回とは異なった時間の流れに身を置いている気がする。1日は元データが見つからない案内状をMicrosoft Wordのファイルに起こすことから始まり、「ふらっとカフェ」再開への打ち合わせ、マットレスの搬入、さらには今後の取り組みの軸となる築150年ほどの古民家の公費解体完了の立会と続いた。昨日は午前中に読売新聞能登支局からの取材対応、そして田鶴浜地区コミュニティセンターでの「ふらっとカフェ」の新年度初回開催のお手伝いをさせていただいた。

今日は午前中と午後に2つのオンライン会議があった。午前中は昨年度にコーディネーターとして携わった防災・減災をテーマとしたリスクマネジメントに関する講座について、午後はある学会の論文賞の選考にかかる打ち合わせだった。いずれもZoomミーティングでの開催であった。便利になったものである。

そのZoomというサービスを2016年に教えてくれたのが、大学時代からの盟友の一人、谷内博史さんである。谷内さんとのご縁は、東日本大震災の後に立命館の百年史編纂室が企画した座談会の記事(「阪神・淡路大震災」と学生ボランティア活動)として、立命館百年史紀要第20号に収められている。その後の活動についても、大阪ガスのエネルギー・文化研究所による研究会記録(地域参加を通じた学びのコミュニティづくりに携わって~教育災害や学習災害をもたらさないように~)で収めていただいた。そもそも、私がこの1年を田鶴浜で過ごそうと思うようになったのは、令和6年能登半島地震の発災直後、七尾市の能登島地区で暮らしていた谷内さんを尋ねていったことがきっかけになっている。

今日は谷内さんに誘っていただいて長めのランチを能登島でいただいた。かつては能登島大橋のたもとで営業されていたものの、同じ能登島内の閨(ねや)にある民宿で仮営業されている店舗に連れて行っていただいた。またの再会を誓いつつ、17:15の田鶴浜地区コミュニティセンターの執務時間終了後に訪れた和倉温泉駅近くのスーパー「どんたく生鮮市場」に訪れて、七尾花正さんによる生花コーナーが2月で閉じたことを知った。「パンとバラ」の逸話ではないが、生存のためのよすがだけでなく、生活をよりよく保つための手がかりもまた求められる中で、復興への道のりが進められていけばと願っている。



2026年4月2日木曜日

まちの用務員

田鶴浜地区コミュニティセンター、略してコミセンにお世話になって2日目、今日は交流サロン「ふらっとカフェ」が開催された。3月5日にコミセンで開催されていた場にお邪魔した際、昨年度まで担当されていた生活支援コーディネーターの方が退職されると伺った。そして、次年度の開催は未定とも伺った。コミセンではキッズサロンも開かれていることから、多世代交流の機会にもなっているため、何らかのかたちで存続して欲しいと願っていた。

結果として、まずは田鶴浜地区地域づくり協議会の事務局スタッフが担当となり、第1と第3木曜に継続されることが決まったとのことであった。ところが、この「ふらっとカフェ」は、「出張」バージョンとして、地域に出て行く取り組みも行われていた。例えば3月5日のコミセンでの開催の後は、3月10日に「タツルエ」で開催されると案内されていた。「タツルエ」は2025年7月にオープンとなった古民家再生物件である。1階には田鶴浜体育館の避難所にて1日「1時間・2杯まで」と限定して開かれていた交流の場「語ろう亭」が、常設の居酒屋として入居している。

今回、私が1年間にわたって田鶴浜にて滞在型のフィールドワークの展開するにあたり、この「ふらっとカフェ」の出張版を再開する一助になれば、と考えた。そのため、新年度1回目のコミセンでの「ふらっとカフェ」をお手伝いさせていただいた。再開の一助に、と言いながらも田鶴浜を不在にしている日もあるため、避難所となった田鶴浜体育館の運営補助にあたっていた当時の学生ボランティアの助けを借りることにした。ちょうど彼が実家のある七尾市に戻り、実家のお手伝いなどにあたっていることもあり、余裕があればこちらも手伝って欲しい、と投げかけたのである。

ちなみに私はコミセンにいるあいだはエプロンをつけることにした。そして、最初が肝心ということで、昨日からデニムのエプロンを着けて館内で過ごしている。今日はカフェということもあり、このコスプレのような姿勢がサロンの雰囲気とそれなりに合っていたようである。ただ、喫茶店のマスターというよりも、まちの用務員さんのように皆さんのちょっとした何かをお助けできれば幸いである。



2026年4月1日水曜日

こころばかり13個

2026年4月1日、今日から1年間、仕事と暮らしの環境が大きく変わることになった。2017年度に続き、2回目となる学外研究期間を得たためである。いわゆるサバティカルと言われるもので、日本語では研究休暇などとも言われている。そのため、この1年間は授業担当から外れ、研究に専念しなければならない。

研究に専念するにあたって、京都大学防災研究所の松田曜子先生に受け入れていただき、教育機関研究員(私学研修員)という立場をいただいた。そして、石川県七尾市田鶴浜地区において、滞在型フィールドワークを展開させていただくことにした。令和6年能登半島地震から2年が経った今、復旧から復興へ、そしてその先のまちづくりを展望する時期にある。同時に、発災から3年は、かつて阪神・淡路大震災で被災された100人を対象として「復興曲線」の手法により調査をした結果、発災時よりも心理的に深い落ち込みに浸る「復興感の二番底」を迎える時期でもある。

サバティカルの初日の朝8時30分、私は田鶴浜地区コミュニティーセンターの朝礼に参加させていただいた。今回、サバティカルの期間に田鶴浜での滞在型のフィールドワークを行う、ということを受けて、田鶴浜地区地域づくり協議会の会長・事務局長のお取りはからいのもと、当面のデスクワークの場所に、と、コミュニティセンターの執務室の一角に机を提供いただけることになったためである。そこで、会長・事務局長のご厚意に甘えるだけでは失礼と考えて、改めてスタッフの方々にご挨拶をさせていただくこととした。この2年あまりのあいだにも、既に何人かのスタッフの方々と顔なじみになってきたものの、改めてスタッフ全員のお名前やお仕事の内容に触れることで、復興に貢献したいという思いがより高まった気がしている。

今日の朝礼での挨拶とあわせて、「こころばかり」の熨斗が巻かれたお菓子を13個、つまり13人分用意させていただいた。田鶴浜を何度か往復する中で、「みなさんでどうぞ」とお渡しする京都みやげがやや固定化してきていたのが少々気になっていたこともあり、これまでとは異なるものを、と考えた結果である。学問の師である渥美公秀先生は、かつて「渥美君、1つのフィールドについて語るには10年はしっかりと向き合わなければならないよ」という助言が寄せられたとのことである。そんな渥美先生から、ご退職が近づいてきた新潟県中越地震から20年を迎える中で、「山口君、この先、定年まで見届けていくフィールドがもう1つくらいできるのでは?」と投げかけられた私は、恐らく田鶴浜がそのフィールドとなるのだろう、という思いを抱きつつ、サバティカル初日を迎えている。



2026年3月31日火曜日

一種一品を目指しつつ

かつて、空間の大きさに比例してモノが増える傾向にある、と指摘されたことがある。1999年に京都・西陣の京町家で暮らすご縁をいただいた際、土蔵も借り受けたときのことである。その蔵は廃棄される黒板や製図用の椅子などを譲り受け、ちょっとした学びの場を設えた。あわせて、CDではなくレコードプレーヤーでジャズを聴けるように、という具合に、趣味の空間としても整えた。

その後、大阪、再び京都、さらにはデンマーク、そして京都、という具合に引っ越しを重ねてきた。そうして引っ越すたびに、生活空間の大きさには変化があったが、あまりモノを処分せずに過ごしてきている。結果として、多くのモノが家だけではなく職場にも置かれている。何より、職場の空間も何度か変化してきており、今の研究室には最早10年以上にわたって開封されていない段ボールさえある。

人生も後半期を迎えたこともあって、徐々に自分なりの断捨離を進めねば、と思っている。特に父の死は、その必要を痛切に感じさせる機会となった。循環器系を煩っていたこともあり、死への準備時間を過ごすことなく亡くなったため、遺品となったモノたちは家族の手によって処分をしなければならなくなったのである。そして、既に4年が経過しているものの、まだ完全には整理が終わっていない状況にある。

そんななか、今、自分に課しているのは「一種一品」というルールである。文字通り、1つの種類ごとに1つのモノに留めていく、という方針なのだが、何をもって同一のカテゴリーとするか、その定義によってルールが緩和できてしまう、という問題に直面している。例えば、腕時計ならば、腕時計そのもので1種とするだけでなく、アナログとデジタルでそれぞれ1種類、さらには機械式でも手巻きと自動巻きで1種類ずつ、という具合にすれば、腕時計は3本まで持つことができるというルールになる。そんななか、今日はこれまでの素材とは異なる「デニムのエプロン」と、これまで所有してこなかった「寝袋」を購入し、2つ、モノが増え(てしまっ)た。



2026年2月9日月曜日

京都の真ん中でアメリカ風の喫茶店の角で待つ

立命館大学の成績登録の締切が近づいてきました。締切1日前にして、ほぼ完了の目処が立ちました。私が担当している立命館大学の科目は教養科目のみということもあり、試験のみでの評価は行わっていません。特に小集団科目では学びと成長のプロセスに関心を向けており、逐次提出された成績評価資料を根拠として、一人ずつ評価を定めていきます。

立命館大学では「レターグレード(Letter grade)」と呼ばれる方式でA+、A、B、C、Fの4段階での評価を行うのが基本です(https://www.ritsumei.ac.jp/pathways-future/examinations_grades/grade_evaluation.html/)。大学によっては素点を入力して、その点数に相当するレターグレードで評定される、という方式の場合もあります(私が近年担当した非常勤先では、大阪大学<2022年度〜2024年度>、京都大学<2023年度〜2024年度>、龍谷大学<2025年度>)。ちなみに立命館大学では成績発表後、成績発表日を含めて3日以内(土・日・祝日を除く)に「成績確認制度」(https://www.ritsumei.ac.jp/pathways-future/examinations_grades/notification_grades.html/)の申請ができるため、その場合に備えて成績評価資料をすぐに参照できるようにしておかねばなりません。なお、立命館大学では不合格を意味する「F(不合格のFではなく、FailureのF)の場合、成績証明書には記載されないという方針となっており、私の知る限りでは「助かる」という学生と「単位が取得できた科目だけが並ぶのがむしろ辛い」という学生と、それぞれの見方があるようです。


ということで、締切が厳格な成績評価の提出に目処が立ったということもあり、夜はまちへと向かいました。遠方からお越しの方との一献のため、でした。私は2月6日と心づもりをしていたのですが、先方のいくつかの調整もあって本日となりました。スターバックスがないまちからお越しなので、もしかしてご存じない場合のために「アメリカ風の喫茶店の角で待ち合わせしましょう、スターバックスというお店なのですが」などとお伝えしたところ、ピンと来られたようで「ああ、スターバックスね」と返ってきて、やや拍子抜けでした。

振り返れば私が学生時代から、30年ほどお世話になっているお店にお邪魔しました。私たち以外は皆さんお一人でお越しになられた方で、そのうちの一人は偶然にも学生だった私をそのお店に連れてきていただいたその人で、皆さん大将と女将との会話を楽しみにお越しになっていることがよくわかりました。私(たち)も少しだけ会話に混ざることがありましたが、それを前後して女将から若かりし私の様子を紹介いただく場面もありました。遠方からお越しいただいたお客さまにも、また大将・女将とも、またの再会を誓う一夜となりました。

2026年2月8日日曜日

法被姿の学生たちと

昨晩のうちに金沢に入り、朝から七尾市田鶴浜地区に向かいました。全国的な寒波の影響もあり、昨日は20時38分に京都を出て、22時39分には金沢に着いているはずが、運行径路が米原周りに切り替え(湖西線ではなく琵琶湖線経由)となったため、金沢駅には40ほどの遅延となりました。そのため、宿でチェックインを終えたのは23:30となったものの、前夜に参加させていただいた龍谷大学の白石克孝先生の退職記念パーティーでの知的な興奮も相まって、移動中の列車でも、そしてホテルの客室でも、修正を続けている11月のシンポジウムの原稿の整理に向き合いました。

朝は6時に金沢駅の「白山そば」での朝食で合流し、龍谷大学の大学院生と共に田鶴浜へと向かいました。昨年も田鶴浜の左義長に参加している大学院生ということもあって、何より2024年2月2日からの田鶴浜体育館での避難所運営をお手伝いするプロジェクトに当初から参加しているメンバーということもあり、ついつい現地に向かうあいだにも私からおせっかいな質問や助言を重ねてしまいました。現地に着くと、昨日に前日準備から参加していたお仲間の大学生たちの1人から、その大学生の様子を見て、「それで、ちょっとシュンとしてるんですかね?」と言われてしまいました。


田鶴浜の左義長は、七尾市の無形民俗文化財に指定されています(https://www.hot-ishikawa.jp/spot/detail_21862.html)。全国的には「どんど焼き」「どんと焼き」「とんど焼き」また新潟などでは「塞ノ神」や「賽の神」などと呼ばれている行事で、正月飾りのお炊き上げなどにより、無病息災を願うものです。「建具の街」で知られる田鶴浜は、正月は職人さんたちの繁忙期ということで2月の第2日曜日に行われるのが慣行とされている上、「御赦免(ごしゃめん)」と呼ばれる人形型で飾り付けられた竹を燃やすという特徴があります。今回は古民家を修復された新たな拠点「タツルエ」で、お祭りにあわせたイベント「タツルエ 冬も ヨバレンカ〜」(https://www.instagram.com/p/DTNOpmlkQcs/)が夏のお祭り(納涼祭)に続けて開催されていたのですが、そこでは御赦免は各家庭で作られているようで、家々の作り方がある、というお話も伺いました。

2022年2月15日の中日新聞の報道によれば、田鶴浜の左義長は「高校卒業後から三十七歳までの男性でつくる田鶴浜壮年会が担ってきた」ものの、地震の前から人口減少の傾向が顕著になってきたこともあり、2022年からは「田鶴浜区奉賛会が引き継ぎ、祭り運営委員会を設置」して継承に向けた工夫を図り、「各町会が協力し、地区全体で運営する形になった」とあります。(https://www.chunichi.co.jp/article/418338)昨年からは震災ボランティアで駆けつけた学生たちが、復興の先にある新しい日常に向けたお手伝いということで、左義長のお手伝いにもお邪魔するようになりました。今回は京都府立大学、東京大学、龍谷大学の学生16人と龍谷大学・立命館大学の教員が各1名、そして田鶴浜地区の地域おこし協力隊1名が入るグループLINEで頻繁にやりとりが重ねられました。一昨年は神社での開催がままならず、昨年は奉賛会のメンバーのみの開催だったものの、3年ぶりに8町内の協力のもとでの開催となったため、新聞各紙に加えて石川テレビの取材も入り、「能登半島地震から3年ぶり、七尾市田鶴浜で左義長復活 「復興に向けて大事な1年」と祈り」(https://www.fnn.jp/articles/-/999019)とテキストベースだけでなくYouTubeでも配信(https://www.youtube.com/watch?v=0Mux2lEot30)されています。

2026年2月7日土曜日

一流と一人前と

昨日のうちに、ある程度のデスクワークを進められたことから、今日はフィールドワークの日となりました。朝には昨晩までの仕事の内容に間違いがないか、確認の時間に充てました。特段のミスや不注意もなかったので、次の仕事のための段取りをつけた後は、荷物のパッキングを行いました。今日は昼前から外出して、そのまま金沢へと向かうためです。

お昼前からはフィールドワークと言いながらも、部分的にはノマドワークでした。まずは区役所に期日前投票に行きました。なかなかの混雑でしたので、一定の投票率は期待できるのかもしれません。有権者の方が、それぞれの権利を行使してもらえればと願うところです。とりわけ、シチズンシップ教育という観点から、模範的な市民としての態度の獲得をはじめ、社会や地域への参加を促してきている者として、投票権のある大学生たちの投票を期待しています。


投票を終えた後は昼食を取り、龍谷大学の深草キャンパスに向かった上で、コーヒー店にて原稿修正の作業をしました。15時から政策学部の白石克孝先生の最終講義があるためでした。白石先生とは、きょうとNPOセンターの運営委員としてご一緒させていただいたことに加え、私が大学コンソーシアム京都で勤務していた際にNPO分野のインターンシップを継続・発展していくための研究会に委員として参加いただいたことでご縁を深めさせていただきました。最終講義のタイトルは「龍谷大学人としての歩みを思い起こして—大学を変革の担い手とするために」(https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-17912.html)でした。

白石先生の最終講義は、龍谷大学に着任する直前に、母校(名古屋大学)の先生から伝えられた「一流にはなれかないかもしれないが、一人前に」というメッセージが今でもよく覚えている、というエピソードで始まりました。そして社会変革に貢献する上での大学の役割について、34年間の龍谷大学でのお仕事を振り返りつつ、お出会いした約30年前の雰囲気のまま、爽やかに語られました。終了後の退職記念パーティーにも参加させていただき、私にとっては懐かしい方々との再会の機会にもなったのですが、それ以上に企画された方々の気持ちが参加者にも十分に伝わる場で、あたたかい思いに包まれながら、金沢へと向かいました。今回、退職記念講義の企画・運営に携わった方々に感謝しつつ、何より白石克孝先生の今後のご健勝を切に願っています。

2026年2月6日金曜日

公への報せ

今日は終日、自宅でお仕事でした。猶予をいただいているシンポジウムの発言のまとめは終わりが見えてきました。ただ、それ以上に締切が厳格なのが秋セメスターの成績評価です。立命館大学は2月10日の正午が締切ということもあり、1科目ずつ、集中して進めていっています。

原稿の修正も評価資料をもとにした成績の評定も、共にパソコンで行うため、自宅で向き合う上では自分の都合で区切りをつけることができます。それゆえ、昼食や夕食が一つの区切りとなるように、時間を逆算して何をどこまで進めていくかを決めて進めました。昨日は外回りが多かったため、パソコン仕事があまり進みませんでした。一方で、今日はそれなりに見通しを立てることができました。


今日、自宅で過ごすことにしたので、期日前投票は明日に回すことにしました。本当は昨日に期日前投票に行く予定でした。ところが、かかりつけ医の診察待ちの時間が思いのほか長く、うまく回る時間を取ることができませんでした。そこで、明日のために「選挙のおしらせ」はがきを確認したところ、京都市選挙管理委員会では、選挙公報が全戸配布から新聞折込での配布となったことが大きく案内されていました。

京都市選挙管理委員会が選挙公報を新聞折込で届けることにしたのは、「参議院議員選挙における選挙公報の未配布事案」が発生したからでした。2025年9月24日の報道発表資料(https://www.city.kyoto.lg.jp/senkyo/page/0000346003.html)によれば、818,000部が用意されていたものの、7割程度しか配布がなされかった(廃棄部数からの推計では71.8%、102枚の業務日報に記載された部数の積み上げでは67.7%)と結論づけています。そして、配布を担った事業者が提出していた配布計画では「1日1人(6時間)1,000部の配布を想定し、当初787人の人員配置」で対応するとしていたものの、7月7日~18日とされた配布期間の「初日から配布が遅れ」たとのことです。これを受けて、今回の衆議院議員総選挙だけでなく、4月5日に予定されている「京都府知事選挙・京都府議会議員右京区選挙区補欠選挙」もまた、全戸配布ではなく、新聞折込を前提としつつ、ホームページでの閲覧、行政施設への備付け、そして希望者への郵送で対応(https://www.city.kyoto.lg.jp/senkyo/page/0000294980.html)とのことです。

2026年2月5日木曜日

モノと身体のメンテナンスデー

選挙が近づいています。時折、一方通行が多い自宅付近の道路を、候補者の名前を連呼しながら過ぎ去っていきます。なぜ名前ばかり言うのか、その根拠を探ってみたところ、公職選挙法(https://laws.e-gov.go.jp/law/325AC1000000100)において、「選挙運動のために使用する自動車又は船舶で停止しているもの」でなければ「街頭演説」ができないとされていることによると確認できました(第164条の5の3)。そもそも、公職選挙法では第140条の2で「連呼行為の禁止」が定められていますが、ここでは「選挙運動のために使用される自動車又は船舶」は「この限りではない」とされているため、走行中の選挙カーでは「演説」はできなないが、簡単な挨拶や候補者名や政党名を「連呼」することはできるからしている、そうした事情のようです。

小学生の頃からオーディオ機器のカタログを集めに電器屋さん周りをしていたこともあって、なぜ選挙カーのスピーカーは音質が悪いのかを気にしていた時期がありました。あくまで私見ながら、2014年末からの「自由と民主主義のための学生緊急行動:SEALDs」(http://www.sealds.com)による街頭演説くらいから、いわゆる路上ライブのような雰囲気も相まって、さらには機材の進化も重なって、聴き心地が変わってきたような印象です。ちなみに、同じ時期から、演説の際にスマートフォンを片手に語る人が増えてきたように思われ、近頃は学生たちのプレゼンテーションでもスマートフォンの文章を読み上げる人が多いのが気がかりです。ちなみに、テレビ大阪のYouTubeで「選挙に欠かせないメガホンの進化!」という動画(https://www.youtube.com/watch?v=phRvn4stwJs)があり、黎明期のトランジスタメガホンからの技術発展が、災害時における避難誘導設備につながった、と紹介されていて感心しました。


そうしてご近所に選挙カーが走り回る中、午前中から外回りをしました。まずはヤマト運輸の営業所で、メンテナンスに出すギターを発送しました。「ギター輸送用の段ボール(新品でなくても構いません)に入れ、中でギターが動かないように緩衝材(新聞紙でも構いません)を充填して」と指定いただいたため、しかるべく準備しました。その後、かかりつけ医に行って、さらにはジムと、奇しくもモノと身体のメンテナンスデーとなりました。

午後から夜にかけてはデスクワークとなりました。メールの返信に加え、少し猶予をいただいた原稿の修正の他、年度末の出張に関する各種手配を行いました。夜には新潟県小千谷市塩谷集落の前町内会長からお電話があり、昨秋に解体となった地域の交流拠点に関する記念誌作成について、報告と相談をいただきました。塩谷集落は3mを越える積雪となっているようで、3月末にお邪魔する際には諸々の作業や調整を首尾良く整え、春の訪れと共に喜んでいただければと願っています。

2026年2月4日水曜日

どこに力を入れるか

水曜日ということで、今日は恒例の英語のレッスンでした。今日のお題はNATOとグリーンランドについて、でした。NATOはNorth Atlantic Treaty Organizationの略で、日本語では北大西洋条約機構と訳されます。しかし、米国の大統領がグリーンランドを購入したいと表明し、必要なら武力でも奪取する、と発言したことを受け、North America Treaty Organizationのような見立もできてしまうのではないか、そんな話題になりました。

1時間半のディスカッションの中で、政治家の外交に対する姿勢の分類について触れる時間がありました。今回のディスカッションの手がかりとした記事(https://www.nytimes.com/2026/01/23/opinion/trump-greenland-nato-europe.html)の著者の姿勢が国家間の権力闘争の上では軍事力の行使によって紛争の解決の手段であるとする「realism(現実主義)」とすると、その対極にあるのが他国との軍事同盟などは避けて自国のみでの安全保障を優先する「isolationism(孤立主義)」や「hegemonism(覇権主義)」だ、とされました。この両極のあいだに、realism側に位置づくのが武力介入の上では思想や理想が優先されるとする「Neo-conservatism(新保守主義)」、isolationism側に位置づくのが自由主義的価値観のためには多層的な手段により接近することとして軍事介入も容認するという「liberal interventionism(リベラル介入主義)」、そうした位置づけのもとで、国際関係について捉えていくことになりました。世界情勢が揺れ動く中、2月8日の第51回衆議院議員総選挙ではどのような結果が出るのやら、です。


英語の後はクラスのお仲間の皆さんとランチをして、京都に戻りました。途中、京都市役所近くのお店で買い物をしました。その途中、バス停と電話ボックスのあいだに、小さなベンチのようなもの置かれているのに気づきました。ベンチとしても使えると思われますが、家庭用のスチールラックで作られたもので、なかなか年期が入っていることが、全体の錆から伺えます。背もたれ部分と座面の前側には「京都市役所前駅周辺案内板」とあり、よく見れば2004年に作成されたもののようです。

今日の買い物は、今週末にお邪魔する七尾市無形文化財「田鶴浜の左義長」(https://www.hot-ishikawa.jp/spot/detail_21862.html)へのお土産でした。正確にはお土産というよりは、現地の方からのリクエストに基づくお使いでした。具体的には、お店と商品名もご指名の上で、かりがねほうじ茶を購入しに伺いました。京都に住んでいながら、これまで買うことがなかったのですが、また私も味わせていただけることを楽しみにしています。

2026年2月3日火曜日

最後まで手を入れる

今日の朝は千里阪急ホテル(https://www.hankyu-hotel.com/hotel/hh/senrihh)で迎えました。昨日、民族学博物館を訪問した後、自宅には戻らなかった、という具合です。以前、関西にお迎えしたゲストの送迎で訪れたことはありましたが、宿泊するのは初めてでした。秋の夜にお連れしたこともあり、そのときには既に辺りは暗くなっていたものの、落ち着いたホテルという印象だったことはよく覚えています。

千里阪急ホテルは2026年3月30日の宿泊をもって閉館(https://www.hankyu-hotel.com/hotel/hh/senrihh/contents/finale)となります。現在の浦辺設計による設計(https://www.urabesekkei.jp/projects/203/)で、1970年の大阪万博とあわせて開業した当初の建築は浦辺鎮太郎さん、1976年に増築された宴会場と1984年に新築された西館はお弟子さんの松村慶三さんによる設計(https://data.shinkenchiku.online/projects/articles/SK_1985_03_216-0)です。今回が最初で最後の宿泊になると判断して、できる限り当初からの雰囲気に浸ろうと、東館のラグジュアリーツインのタイプを選択いたしました。予約の後、記念グッズのプレゼントに加えて、希望者には実際に使用されたルームキーホルダーが閉館後に郵送される「フィナーレグッズ付き宿泊プラン」(https://www.hankyu-hotel.com/hotel/hh/senrihh/contents/finale/stay/)が設定されていたことを知りました。


チェックアウトの前、ふと中庭を見渡すと、丁寧にお花の手入れをされている方が目に留まりました。カメラや車などの工業製品については型番や型式番号などで語ることができるのですが、こと花の名前には弱い私は、写真を生成系AIにアップロードすることで、丁寧にお手入れをされているのが紫のキンギョソウということがわかりました。そして、お庭の手入れだけでなく、昨夜に晩ご飯をいただいたカフェ&バイキング「シャガール」のスタッフの皆さん、さらにはフロントの方、などなど、全てのスタッフの皆さんが最後の最後まで、ホスピタリティあふれる対応にあたっておられることが深く伝わってきました。映画「タイタニック」でも組み込まれていた、沈みゆく船で最後まで演奏していた音楽家、ウォレス・ハートリーさんの逸話(https://ja.wikipedia.org/wiki/ウォレス・ハートリー)を引き合いに出すのは適格な比較ではないかもしれませんので、災害ボランティアにおける村井雅清さんの「最後の一人まで」(https://ngo-ayus.jp/activity/award/2024murai/)の姿勢に重なるように思われます。

あたたかい気持ちに包まれて自宅に戻った後、夕方からは立命館守山高等学校と立命館大学との高大連携による令和6年能登半島地震の支援についてのZoomミーティングでした。昨年末、12月23日から24日にかけて、現地を訪れたプログラムに続いて、2月ないし3月にも訪問できないか、という可能性を追求することになりました。23日は輪島市門前町の黒島地区に、24日には七尾市田鶴浜地区に(https://cms.ishikawa-c.ed.jp/taturh/plugin/bbses/show/80/91/462#frame-91)、それぞれ訪れました。極めて短い時間での調整となりますが、田鶴浜高等学校の皆さんとの交流も継続できれば、という声も出たので、ぜひ、細くとも長く続く関係が広がればと願っています。

2026年2月2日月曜日

請われれば一差し舞える人物に

今日は午前中に立命館大学地域健康社会学研究センターの研究会でした。話題提供は明治国際医療大学看護学部の大倉和子先生でした。テーマは「保健師の実践知の継承ー災害時の保健活動にふれながら」 で、長年にわたる保健師としてのご経験のもと、コロナ禍に大学院に進学して展開した実践的研究の内容が報告されました。西日本豪雨災害での保健師の皆さんの取り組み、日本看護系大学協議会の災害支援対策委員会による2023年度「災害に関するアンケート調査」(https://doi.org/10.32283/rep.746f53af)の結果概要報告、さらには保健師の皆さんが地域活動を積み重ねた後に多様な関係構築が図られることで中堅から熟達を遂げてマネジメント能力を獲得していくという成長プロセスの解説など、多岐にわたるものでした。

研究会の後には、国立民族学博物館に向かいました。1月22日に続いての訪問ですが、今日は私も図書室まで入りました。立命館大学は国立民族学博物館のキャンパスメンバーズ(https://www.senri-f.or.jp/minpaku_associates/about/campus_members/)となっているため、展示の無料観覧ができるものの、図書室に行くときには1階の受付で「来客」としてのカードを発行いただきます。また、そもそも国立民族学博物館は万博記念公園の有料区域内にあるため、ゲートの有人窓口で大学のID(学生は学生証、教職員は教職員証)で渡される「公園通行証」を首にかけて入らねばなりません。


公園通行証・教職員証・来客証、これら3つを携えながら、国立民族学博物館の図書室では初代館長である梅棹忠夫先生の業績に触れさせていただきました。私が担当する立命館大学教養C群科目「現代社会のフィールドワーク」では、授業の最後回(2024年度までは第15回、2025年度からは第14回)で2008年3月23日に放送されたNHK教育テレビ(当時)のETV 特集「フィールドへ! 異文化の知を拓く~国立民族学博物館の30年~」(https://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2008/0323.html)の内容から、フィールドワークの特徴について紹介しています。この番組では鷲田清一先生も出演されており、「深く付き合うほど、交われば交わるほど、お互いのあいだの差異がもう細部にわたって際だってきて、あれ、同じものを見ているのに、あるいは同じ場所にいるのに、この人、こんな風に感じるのか」という具合になるのが異文化理解を深めるということ、と語っておられます。

その後、夕方にはこの夏の大船渡での「盛町灯ろう七夕まつり」への立命館大学の関わりについて、令和7年度の実行委員会の皆さんとやりとりすることになりました。2012年から継続して関わってきたお祭りですが、来年度は私が学外研究のため、業務で携わることができません。2017年度にデンマークでの学外研究を担った際には、サービスラーニングセンター内での調整ができたのですが、来年度はそれがままならず、相当の工夫を重ねなければなりません。グループLINEにて即座にお返事をいただいた内容を見返す中で、震災直後にTwitterで目にした2011年3月24日に開催された大阪大学の「平成22年度卒業式・学位記授与式 総長式辞」(https://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/president/files/h23_shikiji.pdf)のことを思い出し、さらに、その中で梅棹先生の遺された「請われれば一差し舞える人物に」と紹介されていることを改めて確認し、こんな私でもできる最大限の貢献をしようという衝動に駆られました。