心象風景とという観点がある。自分が思い描く場面と、実際の風景が異なる場合がある、という視点だ。もちろん、それがモノだけではなく、人を含む環境の総体に対して向けられる。通常は「心の中に思い浮かぶ風景」などと説明されるが、社会構成主義に基づくグループ・ダイナミックスの理論に基づけば、実際の風景にオーバーレイされるようなもの、と考える方が、ピンと来る気がする。
本日、朝から実家に帰省した。昼から弟の婚約者の方も含めて会食する予定が立てられていたためだ。新大阪から新幹線に乗り、浜松駅で在来線に乗り換え、磐田駅に降り立つと、見慣れた風景が変わっていた。既に、馴染みのある駅舎から建て替えられて久しいのだが、個別の建物の問題にとどまらず、まち全体の雰囲気そのものが、高校卒業までを送ったまちとは違う雰囲気をまとっているように思えてならなかった。
食事のあと、父親の年賀状を「本局」と呼ばれている磐田郵便局に出しに行ったついでに、その足で妻とともに散歩することにした。まずは1875 (明治8)年に開校の、日本国内で現存する最古の木造洋風校舎である「旧見付学校」の外観を、続いて学齢ごとに思い出のある今之浦公園に足を運んだ。歩きながら仰ぎ見る風景は、容易に想い起こすことのできる風景とは大きく異なるところもあったが、逆に言えば、その時々の思い出が、かけがえのない友人たちと共に呼び覚まされた。区画整理が進み、移動の利便性が高まったまちを歩いてみると、個々の場所で丁寧に時間が費やされているのか、といったことを考えてしまう。
公園から自宅へと戻る途中、小学校中学年くらいと思われる三人の男子から「こんにちは!」と元気に声をかけられた。社会学者、アーヴィング・ゴフマンは、都市の作法を儀礼的無関心(Civil inattention)呼んでいるが、誰に言われるわけでもなく、自ずから声をかける規範のある子どもたちが、自らのふるさとで育っていることがわかった。多感な時期を送ったわがまちは、目に見える風景は変わっているものの、変わらない何かが継承されている、そんなことを誇りに思いながら、今後も自らのふるさとの風景を思い描いていくことにしよう。ちなみに、今回の帰省では、この足で妻の実家、沼津に向かうのだが、果たしてふるさとをどう語るのか、楽しみが一つ増えた気がする。
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