大阪でアーツカウンシルをつくる、という動きに、2007年から関わってきた。関わるきっかけは、2006年12月、地下鉄御堂筋線・堺筋線「動物園前駅」の地上にあった「フェスティバルゲート」閉鎖に伴うアートNPOと芸術文化のあり方を考える集まりに参加したことだった。その後、その集まりの呼びかけ人が中心となって、2007年4月に大阪市長選を前に「大阪でアーツカウンシルをつくる会」が設立されることになり、関係者の利害関係を考慮して、事務局長の職で携わることになった。そうした経緯は、2012年5月から4回連続で連載させていただいた、トヨタ自動車と企業メセナ協議会によるアートマネジメント等に関するサイト「ネットTAM」でもまとめたところであるが、2012年4月からは、大阪府市統合本部による都市魅力戦略会議のメンバーとして、アーツカウンシルの制度設計を担ってきた。
本日の午後、大阪歴史博物館で開催された「第8回大阪アジアン映画祭特別連続ゼミナール」にお邪魔した。ちょうど1年ほど前の2012年1月9日、件の「大阪でアーツカウンシルをつくる会」と「アートNPOリンク」との協働で、「大阪の転機に、アーツカウンシルを」を開催したのだが、その際にもお招きをした景山理さん(宝塚のシネ・ピピアと大阪・九条のシネ・ヌーヴォの支配人)が手厚く迎えていただいたこともあって、周りのスタッフの方から「アーツカウンシルの方ですよね」と声を掛けられつつ、何点か資料を手渡しいただいた。で、なぜお邪魔したのかというと、大阪市文化振興会議の委員として、助成事業の実地評価のために伺ったのである。なんだか、「お邪魔する」という表現が、実に言い得て妙な気がしている。
日本におけるアジア映画の「第一人者」という映画評論家の暉峻創三さん(大阪アジアン映画祭プログラミング・ディレクター)による5回連続のセミナーの4回目は、香港映画が主題であった。開会5分前には着いたものの、60人の定員の会場は、3人掛けで用意された机で両端が空いている席はなく、片側が空いている机が2つほどで、3人が座っているテーブルも5つあった。年始早々の講座ということもあって、最初の15分は受講生の皆さんに年末年始の過ごし方を尋ねることでアジアと映画の話の枕とし、そこから30分ほどは昨年の香港映画の興行ランキングの紹介と解説、そして第一位(4269万香港ドル)に輝き、現在も公開中という『寒戦』(日本未公開)のAsia Pacific Film Festival用のサンプルDVDが約10分、上映された。そこからは外国映画も含めた香港での映画興行のランキングと、日本映画のランキングとの比較のもと、役者や題材や物語の「ローカル化」が進んでいるのでは、との分析が示された。
中央のプロジェクションのスクリーンを挟んで置かれた2台のホワイトボードを活用し、決して早口でまくしたてず、ゆったりとした低いトーンで語る暉峻さんのお話を、受講生(会場の46人中、男性とお見受けする方は11人で、後は女性と思われる)の皆さんは総じて手書きのメモやスマートフォンでの写真メモを熱心にとっていた。終了後、暉峻さんに伺ったところによると、「このセミナーの受講生も含め、大阪アジアン映画祭の参加者は関心が高く、皆さんからいただく声で、映画祭がつくられていっている」とのこと。確かに、受講生向けの配布資料としてまとめられていた第1回と第2回目のアンケートのまとめや、終了後に受け付けされていた受講生特典の「日本未公開の過去の映画祭上映作品の貸出の受け付け」の列からも、それぞれの思いを窺い知るところである。何より、そもそも講座が日曜の15時に設定されていたのは、16時半に終了してから、皆さんが心待ちにしている「恒例」の懇親会があるためだったことを、最後に知ることとなった。
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