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2013年1月28日月曜日

脳味噌と脊髄による思考の反復

アートNPOフォーラムin東北が終わった。3日間の充実したプログラムだった。1日目の濃密な議論は思わずTwitterで「中継」してしまったし、2日目のディスカッションはiPadというツールを駆使して「まとめすぎないように整理」させていただくいう具合に、座って脳味噌を使った2日間を経て、塩竃から南三陸へのバスツアーという3日目を迎えた。そんな3日目は、脊髄が機能しまくった、そんな濃密な一日だったように思う。

塩竃から南三陸への道中で最初にお伺いしたのが、アートNPOリンクによる「アートNPOエイド」でも支援されたビルド・フルーガスというアートスペースであった。名前の「birdo flugas」とは「人工語」であるエスペラント語で「鳥が飛んでいる」という意味で、描かれた鳥はピンクピジョンという絶滅危惧種とのことである。この場の担い手である高田彩さんによれば、「アーティストは世の中の絶滅危惧種のようなものだから、今こそ羽ばたくように」と願いがあり、そんな「物語」にすっかり魅了された。そんな高田さんは、カナダで学んだ後、2006年にこの場を開き、2007年から地域で多彩な出張ワークショップを展開し、やっと「地域と関わる信頼関係ができた」と思えた頃に、2011年3月11日を迎えたという。

「もし、震災がなかったら、今、どんな活動をしていると思いますか?」という質問を、参加者の一人が投げかけた。無論、「もし」という仮定で考えることはできても、今なお、目の前に広がる風景から、何より自身が何度も想起を重ねる中で追体験してきたであろう絶対的事実が、そうした問いへの答えを見出しにくくさえるかもしれないし、逆に幾度となく問いかけられることで確信を得た応え方を探しあてたかもしれない。ともあれ、この問いかけに高田さんは「(地域とアーティストが関わる上では)動ける若者が動かなけば、(と思っているけど、あの震災では)今やれる、と地域とキャッチボールを(続けていった)」と返された。実際、高田さんらは、多様な団体等との連携を通じて、「この経験を無駄にしたくない」と、「誰でもいいから新鮮な場を」生み出してきたという。

私の師の一人で、『地震イツモノート』(木楽舎)の監修者でも知られる、大阪大学の渥美公秀先生は、『災害ボランティア入門』(弘文堂)などにおいて、災害は日常の関係を濃密かつ迅速に顕在化する、と示す。今回のアートNPOフォーラムin東北では、このことをひしひしと考え、とりわけENVISIによる「南三陸 福幸きりこ祭 白い紙で彩るみんなの記憶」の取り組みからは、2010年に実施していたときのことを地域の方々(南三陸観光協会の菅原きえさん、南三陸さんさん商店街に移られた「ヤマウチ」さんと「わたや」さん)にお話を伺う機会をいただいたので、痛切に感じた。また、バスツアーには、前日に素晴らしい喉を披露された、「静音ちか」こと穀田千賀子さん(NPO法人時薬堂のメンバーで、歌のみならず手話通訳など、マルチに活動)が同行されたのだが、行きのバスでは南三陸町での震災後最初の卒業式と入学式のお話、そして帰りのバスではこの地方で語り継がれてきた民話を紹介いただいた。経験知は人間の肉体の中に内在されるものではなく、集団での営みを通じ世代を超えて物語として継承されるということを、多くの場面で沈思黙考する旅であった。

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