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2013年3月10日日曜日

復興の踊り場に立って

明日で東日本大震災から2年となる。明日になれば、東日本大震災から2年が過ぎた、あるいは、3年目に入った、などと言われるのだろう。私は講演の機会をいただいたときには、決まって「日数」を示し、わかりやすい単位でくくることで、簡単に整理してしまわないように訴えている。それにならえば「あの日」から760日の今日、梅田のスカイビルで開催された「3.11 from KANSAI〜一歩、また一歩〜」に参加した。

振り返れば、阪神・淡路大震災は、「そのとき」よりも「あのとき」の経験を活かすなかで、多くの出会いとその後のつながりが生まれたのだが、今日、お邪魔したのも、そうしてつながりがひろがっていきた中でお世話になりつづけている赤澤清孝さんからのお誘いをいただいたためであり、会場では早瀬昇さんや田村太郎さんをはじめ、多くの方にお目にかかった。今日の催しは多様な企画が織り込まれていたものの、参加したのは「支援組織対象企画」と銘打った最終プログラム「被災地で復興に取り組む団体を関西の智恵や経験で支えよう!」であった。岩手から臂徹さん(一般社団法人おらが大槌夢広場 理事・事務局長)、宮城から兼子佳恵さん(NPO法人石巻復興支援ネットワーク代表理事)、そして福島から鎌田千瑛美さん(一般社団法人ふくしま連携復興センター理事・事務局長・peach heart共同代表)の3人がお越しになり、その3人の語りを田村さんがコーディネートし、全体の司会を赤澤さんが担う、というものであった。プログラムの前半ではそれぞれ地域の「今」と「ちょっと先の未来」が語られ、後半は参加者が興味を抱いた語り手を囲んでのトークセッションとなった。

田村さんによれば、今は復旧の過程と異なって、目に見えた進展を見いだしにくい「復興の踊り場」の状態にあるというが、それゆえトークセッションでは、先般、大槌での「ひょっこりひょうたん塾」にお邪魔したご縁で、臂さんとの語りを選んだ。若干、予想はついていたものの、各セッションでの対話の内容を全体で共有、という時間が用意され、はからずも内容を紹介するお役を臂さんにご指名いただいた(田村さんからすれば「やっぱり」だったようだが…)ので、13人による45分ほどの内容を、次のように3点にまとめて報告させていただいた。まず地元で復興を担う人たちは「日程調整からプロジェクトの調整」を目的にした情報共有会(水曜日の午前中)を行ってきているということ、次に地域内での行政・民間のネットワーキングは「行政による地区ごとの地域復興協議会を縦糸とすれば、復興まちづくり会社の下部組織としてのまちづくり分科会が横糸として位置づけられそう」であること、とまとめた。そして今後の関西からの支援のあり方としては、「テーマに沿って利害調整が必要となってくる段階に入る中で、顔を見える関係でつながると多様性が閉じ、つなぎやすいところにつないでしまう」だろうから、当事者による支援活動が「小手先の動き」にならないよう、「外部のリソースとして頼ってもらえるだけの関係を、地元の方々と結ぶこと」と述べた。

ちなみに、この復興のイベントの前には、兵庫県立美術館での「フィンランドのくらしとデザイン」の最終日に駆け込みで鑑賞しにいったのだが、皆がムーミン関連の展示に関心を示すなか、私はインダストリアルデザインとテキスタイルのコーナーに時間を割いた。人だかりとなっているムーミンのコーナーを抜けたとき、一緒に行った妻が「ムーミンはスウェーデン語で書かれている」と言った。その話を、その後の復興イベントにおいて、上掲の兼子さんが「支援を受ける中で劣等感があった」と涙ながらに語る場面でふと、想い起こした。暮らしや仕事を語ることばを、私たちはきちんと持ち合わせ、選び、そして自覚的に用いているのか、時代を見つめる眼差しについて深く問いなおす一日となった。

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