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2013年3月9日土曜日

市民のエネルギーと自治への渇望


始発で飛び、最終便で戻るという1泊2日の台湾出張から帰国した。7時の関西空港発、しかも第2ターミナルビルからの国際便は、大阪に住んでいないと搭乗が困難であることを学習したところであるが、同時にLCCの最終便は、帰宅にも不安をもたらすこともまた、学んだ。35分ほど遅れての搭乗口案内となった台湾・桃園空港から、現地時間で20時20分頃出発したピーチMM028便は、関西空港に22時26分に到着した。ただ、ピーチの到着便が遅れたが如く、リムジンバスの到着も遅れて、はからずも22時30分のバスに22時37分に乗車して、家路についた。

こうした動きを取ったのは私だけで、淡江大学と立命館大学の共同による学生フォーラム「震災復興と東アジアの未来を担う若者の使命」に参加した代表団の学生及びスタッフは、7日の午後にキャセイパシフィック航空の便で入り、9日の昼過ぎの便で戻った。要するに、7日に別用が入っていた私は、往復同じ航空会社でなければ経費が高額になるということで、結果としてこのような旅程となったのである。それゆえ、本日はお昼過ぎまで学生らと行動を共にし、それ以降は単独でしばしの台湾を楽しませていただくこととした。ちなみに朝7時半過ぎに学生たちと待ち合わせをして、大学から手配済のバスで市内中心部へと向かったのだが、ここにも淡江大学の学生たちが随行し、結果として午前中いっぱい、台湾観光の案内役を買って出てくれた。

学生たちとは台湾の地下鉄「MRT」の淡水線「圓山駅」で正午に待ち合わせをしたのだが、時間どおりに戻った学生は皆無だった。少々の後ろめたさを覚えながらも、101タワーなどで異国の地を存分に楽しんだことを、それぞれの表情や、バス乗車前の記念撮影、さらには涙を浮かべながらのハグなどから、充分に感じ取った。私もまた、感情の高ぶる学生たちが窓越しに手を振り続けるバスを路上から見送る側となった後は、中正紀念堂付近に向かった。ちょうど、午前中に、スタッフと共に向かった故宮博物院でのFacebookでのチェックインを見た松富謙一さんから「日式住宅の残る青田街に」とご案内をいただいたためである。

そうして青田街を散策し、小さなキャリーバッグを抱えながら、中正紀念堂に向かうと、遠くから騒がしい声が聞こえてきた。中正紀念堂の位置する「226記念公園」の西側「自由広場」の先で、反原発の大規模なデモがなされていたためだ。歌、ラップ、演説、旗、幟、フェイスペイント、仮装、行進、などなど、台湾第四原子力発電所の廃炉を求める訴えと、独自した国家としての自治を求める訴えが、多様な表現によりなされていた。ちょうど帰国前、ある学生が「台湾で印象に残ったのは?」と聞いたところ「地下鉄のICチップ入りのトークンや、信号が変わる直前になるとLEDによる歩行者用信号で人が走り出すデザインとなっていた」などを指しながら「日本より進んでいる」と言っていたのだが、そうした「見える側面」の背景だけでなく「行動の背景」にある精神性に、もう少し、深い思考を重ねていきたいと、圧倒された風景から強く感じた次第である。

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