2週連続で、平和堂財団による夏原グラントの選考会が開かれた。先週は継続審査で今週は次年度の新規応募分が対象であった。グラントとは聞きなじみの薄い言葉かもしれないが、「何かを与える(grant)」という意味から、活動にあたっての助成金や就学にあたっての奨学金という意味合いを持つ。夏原「ファンド(基金)」からの助成金と混同されるところかもしれないが、琵琶湖およびその流域の自然環境の保全活動への活動資金の助成という明確な目的を掲げて授与されるため、平和堂財団の基本財産の出捐者である夏原平和さん(株式会社平和堂代表取締役社長)の名を冠しつつ、理念に対して忠実に「グラント」とされている。
細かい話だが、助成は補助とは異なると、常々主張している。それは文字からも明らかとすることができ、実際に漢文風のレ点を挿入してみると、「成すために助ける」ことと「助けを補う」となることからも、説明がつく。要するに、「成すために助ける」のは、「助けることによって成されるはずことが充実する」と考えて提供されるのが助成金であり、「本来は別の主体がなすべきところを助けてくれる人々の取り組みを補わねばなるまい」と考えて供出することが補助金ではないか、ということである。よって、補助金は特に行政機関等の公的な主体による制度として位置づけられ、助成金は行政機関等に民間の団体も加えた幅広い主体による取り組みであると言えよう。
ただ、補助でも助成でも、未来永劫、延々と特定の主体から外部資金が提供され続けることは稀である。ちょうど、自転車から補助輪が取れた後、不安定ながらに後ろを支えられながら、自らの足でペダルをこぎ続ける、そんな構図と似ているかもしれない。だからこそ、補助する側も、助けて支える側も、そうしてペダルが回ることで、どこに向かおうとしているのか、そしてそのための舵取りができそうなのか、きちんと見極める必要がある。ただペダルをこぐだけは目的の場所に到達できないように、ただ活動するだけでは活動の目的にそった目標の達成は困難である。
そんなわけで、グラントからの支援をなすことによって、問題解決がなされるのか、そして外部資金への依存度が高まることで逆に継続性が低くなることはないか、などといった議論を64件の応募に対して行った(ちなみに民間の助成金に対して申請という表現を掲げるのは、何とも「民間の行政化」だと感じてやまないのだが、ここでは立ち入らない)。朝10時から始まった議論は、午後の時間まで食い込むこととなったが、その後で向かったのは、学生時代から8年ほど生活を送った西陣であった。そして、二条駅の向かいのカフェ・パランでお茶をし、立命館の朱雀キャンパスに立ち寄った。そうして多くの活動や場所に触れた一日で、年を重ねても継続して関係が育まれ、そうした関係によって空間が育てられている場所に心地よさを覚え、大阪への家路に就いた。
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