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2013年3月15日金曜日

東京で大阪アーツカウンシルの説明会


かつて、大阪から東京に出かけることは、それだけで一仕事だっただろう。東海道線沿線に住んでいた私は、東京に出ると言えば、決まって「大垣夜行」と呼ばれた夜行列車にて、浜松から出かけていた。1968年(昭和43年10月:いわゆるヨンサントオ)のダイヤ改正で生まれたこの列車も、新幹線の普及や飛行機の割引運賃の設定、さらには規制緩和による夜行バスの価格競争により、最早「過去」のものとなっている。そもそも、所要時間の短縮のため、今でも静岡県内は「のぞみ」号が停車しないのだが、大学受験の折、100系の2階建て車両の1階にあったグリーン車の個室に乗ったときの旅客情緒は、今なお、時折思い出す記憶である。

今日は朝に立命館の朱雀キャンパスでの災害復興支援室の会議を終えた後、日帰りの東京出張に出かけた。毎週金曜日の朝が立命館災害復興支援室の会議日なのだが、「定例会議」と「事務局会議」とが隔週ごとで交互に開催されている。今週は事務局会議の日で、3月11日の「いのちのつどい」の総括などが行われた。また、「いのちのつどい」を前に、台湾の淡江大学で開催された震災復興をテーマとした「学生フォーラム」も開催されていたので、それぞれに「次」に向けた展望を探る機会ともなった。

そうして、一仕事を終えて向かった先の、ちょっと、いや、かなりの大仕事が、東京・千代田区にある「アーツ千代田 3331」での「大阪アーツカウンシル設立に向けた報告・説明会in東京」であった。その名のとおり、大阪での事業を、東京で報告し、説明をする、という機会である。この会は、2月中旬に事業者が公募され、3月に契約がなされ、プレスリリースから2日で公開の議論の場が開かれるという、言葉を選ばずに言えば「無茶苦茶」な業務である。そんな業務をプロポーザル形式によって受けたのが、NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)NPO法人地域文化に関する情報とプロジェクト(recip)NPO法人アートNPOリンクの協働事業体だ。

この「説明会・報告会」は、東京を皮切りに、17日には大阪府高槻市の「高槻現代劇場」で、20日には「シンポジウム」も含めて大阪市西区の「大阪府立江之子島文化芸術創造センター」で開催される。大阪における一連の改革等の動きに批判的、否定的な方からは、「なぜ東京から開始だったのか」という問いかけがなされ、そこには「話題性を求めるためだろう」などの詮索も働くだろうが、単純に日程調整の関係からこの日となり、しかし「なぜそもそも東京で開催されるのか」ということに対しては、上掲のプロポーザルにおいて、「今後、(大阪アーツカウンシルの)統括責任者が公募されるとされているなら、東京でも、この間の経過を報告し、公募にあたっての経緯を説明する必要があろう」などと記されたゆえんである。ということで、今回は「事業者」ではなく、「事業者(前掲の3NPO法人)および主催者(大阪府・大阪市)のあいだの調整」のなかで、私が大阪府市統合本部の都市魅力推進会議において、基本的にワーキンググループにて非公開で審議された内容を踏まえて「大阪アーツカウンシル設立の経緯」をお話させていただくこととなった。ここではその詳細は割愛させていただくが、およそ30分の話題提供の後、先月、2月2日に岩手県大槌町での「ひょっこりひょうたん塾」でもご一緒させていただいた、熊倉純子さん(東京藝術大学)との約1時間の対談が極めて痛快であり、後々、文字化される機会を心待ちにしていただきたい。

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