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2013年3月18日月曜日

心太方式の引越

心が太いと描いて「ところてん(心太)」と読む。なぜ、そんな字が充てられたのかを調べたくなることが、小さな現実逃避なのだろう。時折ウェブで参照する「語源由来辞典」によると、遣唐使が「テングサを煮て溶かして、型に流して固めて食べる」という製法に対して、「こころふと」という呼び名がつけられてことが謂われとのことだ。要するに、テングサが「凝海藻(こるもは)」と呼ばれていたこととあわせて、「太い海藻」(ふと)を「凝る(凝り固める)」(ここる?)から、「こころふと」そして「心太」となり、その後、熟語の湯桶読み(ゆとうよみ)が適用されて「こころてい」に、さらに江戸時代には「ところてん」へと落ち着いたとのことだ。

語源はともかく、このたび「ところてん方式」で、すなわち「後から棒でつつかれて」出て行くことになったのが、立命館大学びわこ・くさつキャンパスのアクロスウィング424研究室なのである。4月から衣笠キャンパスを所属とする雇用となるため、年度末までに個人研究室を移さねばならないことは、秋口からわかっていたことである。しかし、私が衣笠に移るにあたって、その後、公募された共通教育推進機構のサービスラーニングセンター科目の担当教員が、私が使わせていただいた研究室に入ることが、後々明らかとなった。その方の任用には関わっていなかったものの、結果として同じ学会、同じ大学院で博士の学位を取られた方なので、気楽にお迎えを考えていたら、大学の事情がそれを許さなかった。

考えてみれば当然なのだが、部屋を「明け渡す」、ということは、まず「(使用の期間が)明ける」前に「空ける」、そして「渡す」という段取りが必要なのだ。つまり、家のリフォームで言えば「居ながら」ではなく、完全に「がらんどう」にした上で、部屋のクリーンアップ(消臭や消毒などもされるのかもしれない…)がなされ、そして「引き渡し」となる、という具合である。転じて、上記のように「知り合い」のあいだで「鍵だけ渡せばいいや」では済まないのだ。これを大学の事情などと言うと、私の方が非常識だ、と言われるのだろうが、少なくとも「クリーンアップ後に新使用者に年度当初から供用」というタイミングを鑑みれば、現使用者である私は年度末を待たずして完全撤収をしなければならないのである。

かくして、「荷物があるなら、予め送っていただいたら引き受けますよ」と、直接交替で考えていた段取りは大幅に見直さざるをえなくなり、3月12日と3月17日に、夜を徹して作業を行うこととなった。そして迎えた本日3月18日、朝10時過ぎからの日立物流さんの職人技がいかんなく発揮されることで、12時半には積み出し、そして14時過ぎから衣笠キャンパス尚学館812への積み込み、そして15時半には完了という、にわかに信じがたい事態にて収拾をつけることができた。途中、この間、何度も「約束」を破られている学生と、南草津駅にて「お説教ランチ」をしたのだが、小さな開放感から「説教」よりは「説法」に近くなってしまったかもしれない、と内省を重ねている。ともあれ、この4月から京都の人として再出発を図ることになるので、皆々様のご愛顧と、「次の何か」に備えて、身の周りは常に整えておきたいと誓う一日であった。

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