東日本大震災から2年、今日は立命館での「いのちのつどい」に参加した。立命館は前任校の同志社と異なって、宗教的な裏支えがない。しかし、なぜ「いのち」のつどいなのか。こじつけに思われるかもしれないが、それは「立命館」という学園の名称の「真ん中」に「命」という文字がある、そこに意味を見いだしたいと考えたためでもある。
2011年4月21日に発足した立命館災害復興支援室は、小学校から大学院までを有する総合学園として、今次の大震災に何ができるかをコーディネートすべく、およそ2年にわたって各種の取り組みを展開してきた。昨年の3月11日は京都マラソンの開催のため、その休憩ポイントに立命館大学衣笠キャンパスが用いられたこと、さらには周辺地域の移動に制約があることなどから、とりたてて震災から1年で何かをしよう、という動きにはならなかった。ところが今年は、2011年末から16便にわたって運行してきた「後方支援スタッフ派遣」プログラムに参加した学生・教職員、さらには教育面、研究面の幅広い取り組み、それらを現地との関係が深まってきたことから、この「つどい」の場を催すことにした。第1回と銘打ってはいないものの、今年だけで終えないようにしよう、という決意で臨んだ場でもある。そのため、命名も、今年開催されれば60回を数える「不戦のつどい」へのオマージュを捧げる名称とした。
今年は衣笠キャンパスをメイン会場に、びわこ・くさつキャンパス、そして朱雀キャンパスでの3拠点同時展開とした。キャンパスごとに微妙に内容は異なるのだが、14時46分を前後した「追悼のとき」だけは、同じ枠組みとした。先述のとおり、「御本尊」などがないゆえに、代表者による献花に続き、大阪のマッチポイントさんの協力を得て、アートキャンドル(メイン会場は3本の太い蝋燭に11本の細い蝋燭を並べ、サブ会場は2年目を象徴する太いキャンドルを2本とした)への献灯、そして1分間の黙祷が行われた。何とも言えない、静かなときが流れた。
今次の大震災の支援に携わった人であれば何度も実感させられたであろうが、この大規模・広域・複合型災害においては、地震の発生時刻だけでなく、津波の到達時刻もまた、深い意味を持つ時間である。しかし、地震の発生時刻が同一であるのに対し、津波の到達時刻は、地域によってまちまちである。逆に言えば、ここにこそ、「被災された地域」を「被災地」と一括りにしてはならない、という気づきを見出せるだろう。あの日から2年、衣笠キャンパスに集った約180人の方々と同じときを過ごす中、びわこ・くさつキャンパスでは85人が、そして朱雀キャンパスでは48人が、さらには全国、また世界のあらゆるところで、それぞれ祈りと誓いの場を過ごしたことに尊さを感じてやまず、今なお2668人が行方不明とされていること(注:2013年3月11日時点/最新情報は警察庁の「東日本大震災について」の「警察措置と被害状況」参照)に悲しみを覚えずにはいられない。
0 件のコメント:
コメントを投稿