私には複数の師匠がいる。師匠とは恩師と少々異なる。無論、恩師は無数にいるが、通常、師匠と呼ぶ方は多くはないはずだ。少なくとも、浄土宗の僧侶として大蓮寺・應典院の秋田光彦師は文字通り師匠の一人であり、加えて、大阪大学大学院人間科学研究科でグループ・ダイナミックスを学ばせていただいた渥美公秀先生は学問の師匠の一人である。
2013年3月7日、18時半から應典院で開催されたインターネットラジオ「ロスト・チャレンジ」の公開収録は、はからずも私にとって師匠である2人が同席する機会となった。2011年4月、東日本大震災を経て開始したこの収録も、第1期としては今回を最終回とする記念の回ということもあって、感慨に浸りながら、聞き手を務めさせていただいた。なお、少なくとも来年度はこの収録がないために、2010年4月から「木曜の夜に應典院に来れば、何かある」というトークサロンの企画「チルコロ」は、2000年から毎月第3木曜日に開催(ただし8月・12月・1月は休会)している「いのちと出会う会」のみとなるため、その枠組み自体を止めることにもなる。應典院という場の担い手として、場を開くことに一定の愛着と執着を重ねてきたつもりなのだが、ただ開くだけでは人が集まることなく、結果として個人の執念や恩讐が高まる前に、潔く事業の枠組みを整理せねば、と考えた結果でもある。
そうした区切りの機会の語り手としてお迎えした渥美先生のお話は、やはり圧倒させられた。だからこそ師匠なのであり、師匠だからこそ当然のことなのかもしれない。ともあれ、「被災地のリレーの力学」と掲げたテーマに対して、「目の前の人たちのベターメント(雰囲気づくり)」のために、振り返る間もなく次々と動く中で「そこにいる人」を大切にして、小千谷市の塩谷集落と、岩手県野田村に拠点を据えた背景と、今後の展望を2時間にわたって語っていただいた。この間、多くの話を伺い、問いかけも重ねてきたものの、マイクスタンド越しに向かい合って語り合う中で、そもそもは(阪神・淡路大震災前に何度も訪れたまちで)「何故ボランティアに熱心になるのか」と感じておられたこと、阪神・淡路大震災の後には「奇妙な夢」を見られたということ、さらには『ボランティアの知』のまえがき部分にてご専門の「グループ・ダイナミックス」について「武器」と掲げた意味について「持っているだけで意味のある武器もあって、すぐに成果を出さなくていいものに対して、ゆっくり考えて理解することもできる、そんな道具を持っていた」という含みがあること、など、随所にわたって自分にとっての気づきと学び直しの機会を得た。加えて、復興とは何かという問いかけには「南三陸の方が、次のお世話ができるときそれが復興です、と仰っていた」というエピソードを交えつつ、「次に同じような苦しみをした方に関わるとき」に、復興のプロセスには変化を見いだすことができ、それが「被災地のリレー」としてバトンを渡し、ある瞬間には共にリレーゾーンを駆け抜けることもある、と語られ、これまた「渥美節」に魅惑されてしまった。
これまで特別編の3回を含めると27回にわたって展開してきた應典院のインターネットラジオ「ロスト・チャレンジ」は、30分を1本として4本連続を1回分として収録し、編集し、提供してきた。これはポッドキャストとしては、比較的、聞く側に負担感をもたらすものであると思われるものの、この時代に各々が何を考え、そうした発言がそれまでの何に起因するのか、さらに個々のエポックがどのように絡み合っているのか、決して平坦な道のりではない生きざまを紐解き、未来のあり方を寝る、そんな「音声による手紙」であり、その時点で確かに話していたことを「証明する消印」のようなものであると思っている。ちなみに第一期の最後、渥美先生からは「まとめ」ではなく「先祖からの伝統、生き方、文化などに対して、死者をどう扱うか、その際に決してヒーローとして扱わないということを前提にして」と「問い」をいただいた。無論、渥美先生の回だけでなく、耳学問ということばもあるくらいなので、「ながら」で楽しんでいただけるものになっていると確信するのだが、その背景には、微に入り細に入り、レコーディングエンジニアとして気持ちを行き届かせてくれたアーティスト、中垣みゆきさん(ばきりのす)の仕事が横たわっており、ここに謹んで謝意を表させていただく。
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