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2013年3月8日金曜日

約束と役割と…


東日本大震災から2年を前に、3月8日から9日にかけて、1泊2日の日程で台湾の淡江大学への出張に出かけている。用務は、淡江大学と立命館大学との共同主催による学生フォーラム「震災復興と東アジアの未来を担う若者の使命」での参加である。最も大きな任務は、「Distant Suffering and Great Earthquakes:距離を越えて繋がり合うこと〜2つの大震災からの学び〜」と題した基調講演で、逐次通訳を入れて30分の持ち時間をいただいた。フォーラムには淡江大学の日本語学科の学生を中心に20名程度、立命館大学からは公募した学生13人が参加した。

基調講演では、「感情移入と共感の違い」を説明することで「支援」とは「する」側と「される」側との相互の関係が取り結ばれることが重要であること、距離を越えて思いを寄せる「Distant Suffering」では他者の苦しみを「わかりあえない」からこそ自分事として捉えられるうる何かに重ねて「共に苦しむ」ことから対話が始まるのではないかということ、そしてよりよい未来を展望する上では過去の経験に学び「競争から共生へ」と行動の選択肢を判断する際の論理を変える必要があること、この3点を伝えた。基調講演の後には、立命館と淡江の学生が、それぞれ「震災と私」を20分ずつ語った。そして予め参加者が用意してきたテーマごとの「テーブルトーク」を30分ずつ2セッション行われ、それらのトークを通じた内容から、印象に残ったワードやフレーズをA4の紙に書き出す「フリップディスカッション」が行われた。全員が一つの円になり、何が気になっているのかを語った後は、改めて語りたい人、あるいは語り直したいテーマを学生たちが見つけ、(1)3人から5人以内で、(2)両大学の学生の混成とすること、という条件のもと「グループセッション」となり、35分ほど語り合った。

グループセッションの後、7つに分かれたグループから、簡単に内容の共有がなされた後で、まとめのスピーチを再びさせていただいた。当初は日本語学科のMa先生の予定だったが、事情でお越しになれなくなったので、グループセッションの内容に触発され、「約束と役割」という2つのキーワードを投げかけることにした。そもそも、基調講演の際に、立命館の学生から「ボランティアで支援する際の動機」について、淡江の学生から「原子力発電の事故など、前例のない事柄に対して、過去から何を学ぶというのか」といった質問がなされたことも、無関係ではない。ここで「約束」とは「名も無き個人として関わり始めた匿名での関係が、やがて互いの特性などを知り合う顕名での関係となっていく過程には、有言か無言かにかかわらず、小さな約束を立て、それを守ることが大切」ということであり、その上で「復興の過程が終わりを迎えるのは、支援される側だった人たち支援する側へと立場が変わり、担い手としての役割を果たせたと思うときではないか」という問いかけをして、フォーラムを終えることにしたのだ。

実はフォーラムの前日から「チェキ」を用いてのまち歩きのワークショップを両大学の学生が行っていたこともあって、ある程度の「関係」ができつつある中でのフォーラムであった。しかも、今回は大学内の寮に宿泊をさせていただいたこともあって、夜まで多様な交流があったとも聞いた。フォーラムの後は淡江大学の国際部によるパーティーをご用意いただいたのだが、そこでも国際部長の先生から、「学生たちが自分の意見を言い、自分たちの考えを整理していくという、素晴らしいフォーラムだった」と、評価のお言葉をいただいた。ただ、圧倒的にお世話になった今回のフォーラム、果たしてどのように「恩返し」をするのか、私たちが担うべき役割は大きく、そして必ずや、日本にお招きをするという約束を、夜の台湾のまちでスタッフやボスらとの歓談の中、決意を固めるのであった。

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