『Ceci n 'est pas une pomme(これはリンゴではない)』(1964年)などで知られるルネ・マグリットの絵を見たのは、阪神・淡路大震災の後のことだった。それ以前にも教科書か何かで見ていたが、そのときは「ふーん」という感じで受けとめた気がする。しかし、阪神・淡路大震災で被害を受けたまちでのボランティア活動を続ける中、当時、住んでいた京都とを往復するあいだに、兵庫県立近代美術館で開催されるはずだった個展が大阪駅の大丸ミュージアム梅田で開催されることを知った。そして、印刷物で見た作品を目の前にして、改めて「言葉」と「絵画」の組み合わせによる「作品」から、不思議な感覚に駆り立てられたことを、よく憶えている。
あれから18年ほどが経った春のお彼岸の今日、お寺で檀家・檀信徒の皆さんをお迎えした後、午後からは大阪府立江之子島文化芸術創造センター(enoco)で開催された「大阪アーツカウンシル」の「報告・説明会とシンポジウム」に向かった。既に15日には東京、17日には高槻と、2会場で開催されたものであるが、今回は「シンポジウム」も併催された。シンポジウムは、2012年1月に、私が事務局長を努めさせていただいている「大阪でアーツカウンシルをつくる会」の緊急フォーラムでもお招きをした、ニッセイ基礎研究所の吉本光宏・主席研究員の基調講演と、「報告・報告」に続いて行われた。コーディネートはアサダワタルくん(日常編集家)、パネリストは太下義之さん(三菱UFJリサーチ&コンサルティング主席研究員)、木ノ下智恵子さん(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任准教授)、弘本由香里さん(大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所特任研究員)、福本年雄(ウイングフィールド代表)であった。
あれから18年ほどが経った春のお彼岸の今日、お寺で檀家・檀信徒の皆さんをお迎えした後、午後からは大阪府立江之子島文化芸術創造センター(enoco)で開催された「大阪アーツカウンシル」の「報告・説明会とシンポジウム」に向かった。既に15日には東京、17日には高槻と、2会場で開催されたものであるが、今回は「シンポジウム」も併催された。シンポジウムは、2012年1月に、私が事務局長を努めさせていただいている「大阪でアーツカウンシルをつくる会」の緊急フォーラムでもお招きをした、ニッセイ基礎研究所の吉本光宏・主席研究員の基調講演と、「報告・報告」に続いて行われた。コーディネートはアサダワタルくん(日常編集家)、パネリストは太下義之さん(三菱UFJリサーチ&コンサルティング主席研究員)、木ノ下智恵子さん(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任准教授)、弘本由香里さん(大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所特任研究員)、福本年雄(ウイングフィールド代表)であった。
昼過ぎまでの大蓮寺での法要と、夜に應典院にて開催されるお彼岸関連企画のために、enoco会場では「報告・説明会」における「対談」の聞き手を務めた後、シンポジウムの途中までしか参加できなかった。しかし、應典院寺町倶楽部の小林瑠音さんによる「Twitter中継」と、comos-tvによるパブリックビューイングがなされたので、それらによって内容を追いかけることができた。なお、comos-tvは「中継」のみであって、アーカイブ化はされているものの、オンデマンドで視聴はできない。例によって、この日の内容は後日、報告書にまとめられるのと、上記のcomos-tvで不定期に再放送される可能性があるので、それぞれ、今後の動向にも関心が向けられれば、と願う。
ネットを通じた中継で会場の発言を追っていると、上記の吉本さんが「大阪のアーツカウンシルはアーツカウンシルではない」といった発言をされたことを知った。確かに、初年度の「評価」を中心に据えた自治体主導型の展開では、英国を発祥とする世界的な潮流に対して、行政改革の一環として、さしずめ事業仕分けの執行機関といった傾向も指摘できるだろう。ちなみに会場には、東京で「2年の任期と報酬」について小さな希望(例えば、諸外国からも招聘可能)と大きな失望(例えば、位置づけの低さ)を抱かれたように見受けられたやくぺん先生(渡辺和さん)、高槻で「行政の側に立つ専門家による評価は価値の査定になるという観点への懸念」を訴えられた天野画廊(天野和夫さん)のお顔も拝見した。さて、「これはアーツカウンシルではない」との指摘を得た「大阪アーツカウンシル」の船出は、果たしてシュルレアリスムか、はたまた人をおちょくっていると受けとめられるか、制度設計を担った私(たち)の責任は、重い。
ネットを通じた中継で会場の発言を追っていると、上記の吉本さんが「大阪のアーツカウンシルはアーツカウンシルではない」といった発言をされたことを知った。確かに、初年度の「評価」を中心に据えた自治体主導型の展開では、英国を発祥とする世界的な潮流に対して、行政改革の一環として、さしずめ事業仕分けの執行機関といった傾向も指摘できるだろう。ちなみに会場には、東京で「2年の任期と報酬」について小さな希望(例えば、諸外国からも招聘可能)と大きな失望(例えば、位置づけの低さ)を抱かれたように見受けられたやくぺん先生(渡辺和さん)、高槻で「行政の側に立つ専門家による評価は価値の査定になるという観点への懸念」を訴えられた天野画廊(天野和夫さん)のお顔も拝見した。さて、「これはアーツカウンシルではない」との指摘を得た「大阪アーツカウンシル」の船出は、果たしてシュルレアリスムか、はたまた人をおちょくっていると受けとめられるか、制度設計を担った私(たち)の責任は、重い。
0 件のコメント:
コメントを投稿