ひなまつりの今日、應典院では「びわ創大縁日」と題した催しが行われた。「いのちのつながり」と「門前のにぎわい」と「飛び地の入会地(いりあいち)」と、3つのフレーズを掲げての催しであった。これは琵琶湖が「河川法」という法律上は一級河川として位置づいているとおり、湖につながっている川、さらには川が流れていく海、そのあいだに住む方々が「縁」を結ぶ「日」にしたい、という主催者の願いが込められている。
そもそも「びわ創」という名前は、「琵琶総」と呼ばれた国の大規模開発に対する当てこすりでもある。詳細は主催団体「びわ湖・流域暮らしとなりわい創造会議」の代表で、むしろ「琵琶総」に対する皮肉を「びわ創」という名前に求めたと思われる、滋賀県立大学の上田洋平さんの文書を参照いただきたい。ともあれ、琵琶湖総合開発特別措置法に基づき、制定された1972年から1997年にかけて取り組まれた総合開発とは全く異なる創造会議として、今年度滋賀県は「びわ創」と掲げた事業を展開してきた。そして、本日の「大縁日」を迎えるまでのあいだ、若狭湾から大阪湾までの流域における各地の取り組みを紐解き、紡いできた縁を、大阪湾の手前にある應典院にて結んだ、という具合である。
一連の取り組みの結び目として開催される「大縁日」にあたって、スタッフの皆さんが事前に会場の下見に来られた折、「飛び地」の「入会」という言葉が浮かんだ。流域として「線」でつながっているが、つなげられるまちは「面」であるためだ。そんな風に思い浮かんだ言葉に多少の理屈を交えた物語を、以下のとおりに寄稿させていただいた。そうして、朝からボディーワークやら、昼から餅つきやら、昼過ぎから「絵解き」やら、さらに研修室では「手前味噌づくりワークショップ」やら、さらに「門前」には終日にわたって飲食や物販のブースやら、と、大賑わいの一日だった。
そうして盛り上がりの中、クロージングの前の「リレートーク」にて、小さな出来事が起きた。恐らく、脳卒中の前兆とおぼしき「いびき」を、参加者のお一人(75歳・男性)が立てたのだ。周りの声掛けへの反応から、トークのつまらなさに対する居眠りではなかろう、と判断し、應典院のスタッフが救急車を呼び、4分ほどでAEDを持参した救急隊員が本堂ホールに入って来られた。救急車内での手当の後、2時間ほどの点滴を経て事なきを得たとのことであるが、ご本尊が見つめる中でのリレートークによる語りの場は、かたずをのんで見守る場と変わった。こうして、救急隊員の方々にお世話をいただいてからトークを再開した後、江州音頭で終わった「大縁日」は、文字通り、多く方々の縁に恵まれた一日となったのであった。
そうして盛り上がりの中、クロージングの前の「リレートーク」にて、小さな出来事が起きた。恐らく、脳卒中の前兆とおぼしき「いびき」を、参加者のお一人(75歳・男性)が立てたのだ。周りの声掛けへの反応から、トークのつまらなさに対する居眠りではなかろう、と判断し、應典院のスタッフが救急車を呼び、4分ほどでAEDを持参した救急隊員が本堂ホールに入って来られた。救急車内での手当の後、2時間ほどの点滴を経て事なきを得たとのことであるが、ご本尊が見つめる中でのリレートークによる語りの場は、かたずをのんで見守る場と変わった。こうして、救急隊員の方々にお世話をいただいてからトークを再開した後、江州音頭で終わった「大縁日」は、文字通り、多く方々の縁に恵まれた一日となったのであった。
山口洋典(應典院寺町倶楽部事務局長)
中学校のときだったでしょうか、社会科の「地理」で「飛び地」という言葉に出会いました。徐々に恋愛話も友人どうしでし始めた頃で「離れていても、心は一つ」といった恋人どうしの物語みたいだ、と感じました。その後、時を経て、内モンゴルの沙漠緑化のプロジェクトに携わる中で、問題解決には過放牧を止めることが重要と知りました。そして、互いに役割を担う上でのルールこそ「入り会い」だと教わりました。
このたび、「呼吸するお寺」と掲げる應典院にて、地域を越えてつながりの物語が紡がれる場が生まれることを大変楽しみにしています。インターネットにより、物理的な制約を超えて「つながり」が育まれる今、あらためて各々の「ホーム」を大事に「アウェイ」を思う、そんな節度ある越境人としての知恵とネットワークを深める機会になることを願っています。
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