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2014年1月7日火曜日

温度調整の難しさ

1月7日、松が明けた日の朝は、大変な冷え込みだった。今、自宅から立命館大学の衣笠キャンパスまでは徒歩で向かうのだが、朝8時半を過ぎても、いくつかの場所で霜がおりたままの風景に出会った。実際、その途上ではお借りしている駐車場の前を通るのだが、日陰という立地も重なって、車全体が冷凍庫の中に置かれているか、「Back to the Future」のタイムトラベルから戻った後のようであった。そして、キャンパスでは、時計台を望む場所にあるサツキの葉に、全体にわたって霜が残っていた。

こういう日は、決まって訪れる場所それぞれで、エアコンの温度調整の不統一が気になって仕方ない。実際、日陰の個人研究室のエアコンは、室内機が部屋の中央にあるために、窓際に置かれた机の側では、窓からの冷気の方が勝ってしまう。また、11時からの打合せは、日が射し込む部屋であったために空調よりも日射の熱の方が勝っていたし、昼休みを利用したサービスラーニングセンターの学生スタッフへのミニレクチャーでは、室外機の真下で話すことになったために、頭がぼーっとしてきた。また、午後と夜に行った講義では、午後の講義室は集中暖房であったために「難」は免れたが、夜の講義室は部屋単位で設定温度が変更できるため、最初に入室していた学生か、最後に退出した学生が設定したと思われる「30度」の環境にて、頭を回さねばならなかった。

室温の激しい変化は、風邪のために本調子でない身に、かなり堪えるものがある。それこそ「頭を冷やせ」ではないが、それなりに思考を巡らすには、熱すぎない方がよい。ただ、外で着るコートを着たまま室内で過ごされるのは、身だしなみへの配慮を促す上では不本意である。何とも、温度調整は難しい。

かつて、経済学者のアルフレッド・マーシャルは「Cool Head but Warm Heart」と述べた。後に映画になった小説の名「冷静と情熱のあいだ」でも、冷たい方が先で、温かい方が後である。本日の午後の講義では、年末に行ったチームプレゼンテーションの振り返りの時間を設けたのだが、ある意味、熱気に包まれた「あの日」と、準備に費やした「その間」の立ち居振る舞いを見つめ直し、学びと学び去り(ガヤトリ・スピヴァクの言う「unlean」)の大事な機会となった。車も人間も「ウォームアップ」に「クールダウン」とは、よく言ったものだが、人間は機械とは違う、と捉える私にとっては、また新たなメタファー探索への旅が求められている気がする。


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