木曜日の夜に妻の実家から連絡が入り、土日の予定が立てにくかった今日、結果として京都で一日を過ごした。少しだけ朝はゆっくりさせていただいて、食事もブランチとなった。ちなみに共働きながら、ほとんどの食事は妻が作ってくれている。なので、こうしたゆっくりした朝には、時々、私が台所に立つ。
確か2週間前もそうだった。食べるばかりになっている私、作ることも嫌いではない。よって、まずは冷蔵庫と対話し、何ができるかを考える。「まにあわせ」ではなく「ありあわせ」でつくりあげるところは、料理も、また活動も変わらない。
と言いながら、かつお出しの具だくさんの味噌汁、そして目玉焼き、そして何か、というパターンがほとんどである。時折、ごま油が多いと指摘されることもあるが、「まにあわせ」の名も無き料理への調理は、「美味しんぼ」などから知った断片的な知識による。今日の目玉焼きも、単行本7巻の「国際目玉焼き会議(International Fried Eggs Conference)」にて、山岡士郎が同時通訳ヘッドホンセットをしながら披露していた「蒸し焼き風」を試してみた。男の手料理、などと形容されるように、冷蔵庫と調理器具との「戦いの後」は、流し付近に残骸が残り、レンジには比較的大量の「戦利品」が残る。
ちなみに夜は現在参加している堀川団地(京都市上京区)の開発に関する公開トーク「『まちとアート&リノベーション』堀川ヨルトーク・堀川団地再生フォーラム」があり、そちらに参加する予定であった。ところが、てっきり堀川団地付近での開催と勘違いして、会場を間違えた上、複数の組織でのタイアップイベントだったため、開会から10分ほど遅れて到着すると、最早満員を通り越して、階段まで人があふれていた。Ustreamでの中継も行っているようで、大きなカメラが「客席側」にも向けられ、なんだか「参加」するよりも「存在」して居続けることに、小さな圧迫感を覚え、終了を前に自宅に戻ることにした。明日は家にこもって仕事をせねば、という日でもあるので、どうやら「数食」同じものを食べる機会が続きそうである。
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