「で、何学部の先生なのですか?」とよく尋ねられる。今、立命館大学では学部に所属せず、13ある学部を横断した科目を提供する「共通教育推進機構」の教員として働いている。いわゆる「パンキョーのセンセイ」である。振り返れば、同志社で働いていた際も、学部ではなく「総合政策科学研究科」で任用されたため、この7年ほど、同じ質問を寄せられ続けていることになる。
そんな「学部に所属しない」私も、定期試験の際には学部の応援に駆り出される。試験日程が近づいてくると、昨年度まではBKCに所属とされたためスポーツ健康科学部から、今年度からは衣笠キャンパスの所属のため法学部から、日程調整の打診が入るのだ。そして今日も政治学の試験で監督補助をさせていただいた。にしても、「知識の量を試す」ような科目を担当することがなくなったため、久しく試験問題を作成していないのだが、限られた時間で穴埋めや論述をすることで評価できる内容とは何なのか、と、監督する立場になると、よく考えさせられる。
そんな季節の風物詩のような仕事の後は、朱雀キャンパスに向かい、立命館災害復興支援室の会議に出席した。複数のキャンパスで同時に物事が動く現在の立命館では、キャンパス間をつないだテレビ会議システムがあるのだが、やはり「メイン会場」にいた方が、議論の雰囲気に浸りやすく、参加への意欲が高まる。最近はskypeなどでも複数拠点を接続して議論をすることができるものの、個人の端末を接続するのと部屋が接続されるのとでは違いがある。とりわけ個人レベルでのskypeなどによるネット会議では、接続したい人たちが具体的な目的を持ってつながりあっているので、自ずから発言が促されるものの、組織レベルでのテレビ会議においては、通常の会議と同じく誰が発言していて誰が発言しないのかに配慮をして、集団での意志決定がなされたという実感を駆り立てなければならないのだ。
会議の後は、西の稜線が夕焼けに染まるくらいまで、朱雀キャンパスのデスクにて仕事をした。やはり、流行言葉で終わってしまったのかもしれないが、昨年の初頭まではよく聞いた「ノマドワーク」なのだが、やはり、チームのメンバーがいるところで仕事をすると、単なる作業にはとどまらない。何気ない会話の中から、新しい動きが出てくるのだ。朝に感じた「個人を試す集団」から、「個人が活きる集団」へ、同じ立命館の中でも、全く違う環境を行き来する一日となった。
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