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2026年1月31日土曜日

初のQuestion

京都・河原町御池の交差点に「QUESTION」(https://question.kyoto-shinkin.co.jp)というビルがあります。ウェブサイトの案内には「様々な人の「?」が集まり、 つながる場所。京都信用金庫が運営する、コワーキングスペース・レンタルスペース・コミュニティキッチンが利用可能な共創施設です」と説明があります。京都信用金庫の河原町支店の建て替えに伴い、2020年11月2日にグランドオープンとなりました。1階にはATMが、6階には河原町支店が置かれていることから、銀行(信用金庫)のビルではあるのですが、京都市役所の筋向かいという立地もあって、多様な用途で活用されることが企図されています。

今日はこの「QUESTION」に初めて伺わせていただきました。コロナ禍にグランドオープンとなったこと、さらには日頃の生活・活動環境から離れていること、それ以上に昨今の京都におけるソーシャル・ビジネス関連との関わりが薄いこと、これらが相まって、オープンから5年あまり経っての初訪問です。多くのお仲間の皆さんが活用していることはSNSなどでも目にしていたのですが、やはり現場に足を運ぶと、その場の意味や価値について深く実感することができます。ちなみに4階にお邪魔したのですが、エレベーター脇におられる警備担当のスタッフの方が、いわゆる「警備員の服」ではなくポロシャツでいらっしゃって、Apple Storeと並んで、来訪者への威圧感や圧迫感を軽減を図ろうとしているのでは、と想像しました。


今回、足を運んだのは、NPO法人インビジブルによる「FUKUSHIMA inVisible Journey」(https://invisible.tokyo/fij)のトークイベントに参加するためでした。トークイベントは事務局を東京と福島に置いているNPOにより、福岡と京都で、それぞれ複数日にわたって行われている企画の一部でした。代表の山本曉甫さんは立命館アジア太平洋大学のご出身で、在学中に「清島アパート」でのアートプロジェクトなどで知られるBEPPU PROJECTに携わっていただこともあり、2018年から福島県の太平洋側の地域(浜通り)でアートプロジェクトを展開されてこられました。京都で、そしてQUESTIONで開催となったのは、QUESTIONの運営にも携わる株式会社ツナグムの代表である田中篤史さんが山本さんと学生時代からのお仲間ということもあって、とのことでした。

私が参加を決めたのは、今日のトークイベント「だからここに生きる」に登壇となった鈴木みなみさんからのお誘いを受けたからです。鈴木さんとは立命館大学による東北でのプログラムに参加したいという相談を受けて以来のご縁で、その後は岩手県宮古市での活動、さらには「そよ風届け隊」の設立時から運営メンバーとして参画、さらには台湾の淡江大学との交流プログラムへの参加をはじめ、多くの場を共にしてきました。今回は2013年9月から1年間の福島でのインターン、2015年9月から3年にわたる現地NPO事務局への参加、それらを経て2019年2月に福島県富岡町で設立した子育て支援などの団体「cotohana」(https://cotohana.net)の活動の紹介がメインでした。改めてこれまでの思いに触れ、各種の活動に敬服する中、2025年から「この町で死んでいく。富岡で死ぬ前にお茶飲みできる友達がほしいんだ。」という70男性からの声に応えて始めたという「みんなで茶の間」の取り組みが印象的に残りました。

2026年1月30日金曜日

行き来して

今日は朝から事務仕事でした。月末締めの書類は午前中までに作成を終えることができました。ただ、1月末が締切とされたものが、あと2つ残っています。1つはフィールドワークのまとめを共同研究者の皆さんに、もう1つは11月にお招きをいただいたシンポジウムの文字起こしの返却です。

午後はいくつかパソコンでのデスクワークをして、立命館の朱雀キャンパスに向かいました。学校法人の本部が置かれた朱雀キャンパスには、東日本大震災の後、災害復興支援室のお役目をいただいたときには週1回のペースで通うこともありましたが、最近はすっかりごぶさたでした。今日の用務は、7月に学生たちと訪問した能登での調査の報告会でした。食マネジメント学部の和田有史先生を通じて、全日本・食学会(https://aj-fa.com)から投げかけていただいた「震災被災地における「食のウェルビーイング」調査報告と提言」について、学生代表からの高岡副理事長・前田理事・秋本事務局長に説明させていただきました。



朱雀キャンパスでの用務が終わると、すぐに立命館大学の衣笠キャンパスに向かいました。地域の皆さんと2021年から取り組んでいる「嵐電沿線フジバカマプロジェクト」(https://www.fujibakaman.com)のミーティングのためでした。今日の主な議題は2025年度の総括と2026年度の事業計画でした。終了直前には2022年度から4年間にわたって活動してきた学生たち2名にメッセージを述べる機会が設けられ、地域の代表さんから労いの言葉が返されました。

2つのキャンパスを渡って、それぞれ学生たちが述べた言葉が印象的でした。能登での報告会では、2024年1月27日から29日まで、能登島と田鶴浜を訪れた学生から「4月から東京で教師となるので、こどもたち伝えていきたい」と語りました。フジバカマの会議で最後に思いを語った2名からは、それぞれ「4年の間、活動が大きく広がった」感慨と、「地域の方々と接して楽しかった」といった感想が語られました。学生時代に多くの時間を地域に割いてきた学生たちの言葉を受け、地域の皆さんを代表して立命館大学の大先輩から、立命館大学の教学理念に触れた上で「グリーンを広げて平和な社会を」とメッセージが返され、会場はあたたかい拍手に包まれたのが印象的でした。

2026年1月29日木曜日

迫りゆく苦手なもの

いくつか苦手なことがあります。事務仕事は比較的得意な方ですが、このところ、あらかじめ提供されているMicorosoft WordやExcelに入力をしてまとめるのが苦手になってきました。特にA4判1ページに収まるようになっているものを、きちんと1ページに収まるようにするのに苦戦することがあります。というのも、普段使っているのがMacということもあって、Windowsで作られた書式の場合に、ボールド(太字)になっている箇所や行間の設定などによって、相当の調整が求められることがあるためです。

とりわけ、今月は31日が土曜日ということもあって、月末締切の書類を30日までに提出することが求められています。そんな中、締切を守るのが苦手などと言っては倫理観に欠けることを自白するようなものです。実際、いくつか、ご迷惑をおかけしてきたことは自覚しています。少なくとも、明日、1月30日を締切といただいている複数の書類はしかるべく整えて臨みます。


今日の午後は少しの間、お借りしていた車をお返しにあがりました。ご厚意のお礼に、ガソリン満タンの上で、水洗い洗車をさせていただきました。実はこの自動洗車機が若干苦手です。迫り来るブラシを回避しないと、という具合に、動きを錯覚してしまうのです。

夜は石川県七尾市の田鶴浜地区での「たつるはま未来会議」のミーティングでした。1月1日の「たつるはまのつどい」の決算と総括、そして次年度事業の企画検討でした。私はオンラインで参加させていただいたのですが、現地は大雪ということも相まってか、あまり参加人数は多くありませんでした。来年度は学外研究制度のもと、現地での滞在型のフィールドワークに時間を充てますので、雪の能登も含め、現地の生活文化に浸りながら、対面での対話を通じて復興に貢献して参ります。

2026年1月28日水曜日

温かい環境でクールなコメントを

水曜日ということで、今日は英語のお勉強デーでした。お題は「中国のフランケンシュタイン博士?」(https://www.nytimes.com/2026/01/13/world/asia/china-gene-edited-scientist-he-jiankui.html)でした。2018年にゲノム編集をした双子の女児を誕生させたJiankui He(賀建奎)博士が3年の刑期を終えた、という話題を取り上げたものです。タイトルの「フランケシュタイン博士」とは、周りの人が揶揄して言った言葉のようですが、ご自身のx.comのアカウントでの説明文にも用いていた時期があったようです。今日はニューヨーク・タイムズの記事の結びにあった「“I like the name now,” he said, because it shows “I have superpower.”」(彼は「今ではそう呼ばれるのが気に入ってるんだ」と理由を「私には超能力がある」ということだから、と述べた。)という部分が主な論点となりました。

遺伝子組換え(GMO)食品でさえ慎重になっている今、遺伝子編集(今回の事例ではCRISPR/Cas9)による赤ちゃんの誕生に、倫理的な側面が問われるのは言うまでもありません。それに対して、「超能力」といった比喩や揶揄を好意的に受け入れて自認するのは、あまりに傲慢な態度ではないか、という方向で議論が盛り上がりました。議論のあいだには、ギリシャ神話では人類を創造しつつも後に人類から火を取り上げたとするプロメテウスの話題にもなりました。ともあれ、この内容については今後も世界的に論争が続くと思われますが、現時点で日本語で紹介されている記事としては、Natureダイジェスト2019年2月号に掲載された「ゲノム編集ベビー誕生の報告に非難殺到」(http://doi.org/10.1038/ndigest.2019.190207)が参考になります。



英語のクラスから自宅に戻る途中、灯油のポリタンクが並べられているお宅が多いことが目に留まりました。そういえば先週、「♪雪やこんこ〜」の曲を流しながら走る車が通過したな、という記憶がありました。そして今日、同じ色と形のポリタンクが何軒も並んでいる風景に触れたことから、私の自宅のエリアは水曜日が巡回販売の日なのだということがわかりました。通常、秋セメスターの水曜日は授業日で家にいることは少ないので、11月から開始されている灯油の巡回販売サービス(https://www.shu-wa.jp/service/kerosenesale/)は今日まで出会うことがなかった、という具合です。

ちなみにこの冬から、主な暖房をガスのストーブにしました。ファンヒーターではなく、対流式のものです。今日は夜に同志社大学の大学院生たちが立ち上げた「Coda school」(https://codaschool.com)のオンライン発表会でコメンテーターを、と依頼されたので、こちらはコタツに入ってコメントをさせていただきました。温かくさせていただいたのので、はてさて、クールなコメントができたかどうかは定かではありませんが、中学生・高校生たちの精力的な研究を後押しすることになれば、と願っています。

2026年1月27日火曜日

場の担い手に手法を委ねるか自らが場を担うか

「きくかくラボ」というグループに参加しています。2007年8月24日に京都新聞朝刊に掲載された記事「今こそ地域力再生 相互補完の関係づくり必要」で取材をいただいた石﨑立也さんと、2019年に同志社大学大学院総合政策科学研究科で私が担当する科目を受講いただいた奥野美里さんからの呼びかけに応えたものです。私が最初にお招きをいただいたのは2023年の7月14日で、同志社大学近くのバザールカフェでの集まりでした。文字通り、「きく」ことと「かく」こと、とりわけ取材や場づくりなどで各種のファシリテーションに取り組んでいる方々が、各種の実験的な取り組みをする「ラボ」を展開していくので、顧問の先生のようにアドバイスが欲しい、と投げかけていただいたのでした。

呼びかけに応えるにあたり、私はあえて二極化した軸を複数示し、今後の取り組みの方針を定めてはどうか、とお返ししました。まずは「単発——連続」、「個人——集団」、「異質——同質」といった具合です。その上で、新たな活動の検討のために問いを発見して「モヤモヤ」する方がいいか、日常の見つめ直しで答えの整理をして「スッキリ」する方がいいか、こちらも提示しました。さらには対話を通じた成果物として、個別性を重視した料理本のようなハンドブックをつくるか、汎用性・普遍性・一般性を重視したレシピ集のようなマニュアルをつくるか、といったことも投げかけました。


その後、2023年には8月28日に四条烏丸のKOINにて、12月11日には同志社大学にて、という具合に転々とする中で、2024年からは堀川団地にあるKnoks! horikawaが定例の場所になりました。Knoks! horikawaでの最初の会となった2024年1月30日の集まりでは、「名刺を使わないコミュニケーション方法」というお題に対して、それぞれがどう接近するか、ちょっとした大喜利のような時間を過ごしました。そして、それぞれの得意料理というよりは旬の食材を自信のある調理法で取り扱ったレシピ集、すなわちコミュニケーションやファシリテーションの「道具箱」をつくってはどうか、という展開になりました。そこから1年半ほど、レシピ集としてまとめあげるための共通フォーマットをつくり、それぞれに整理していったのですが、やや煮詰まってしまいました。

レシピ集づくりのあいだはZoomミーティングが多用されてきたのですが、2025年9月19日、京都市役所前で集った際に、いったん動きを止めることを提案しました。レシピ集をまとめあげることができない背景として、私は「自らの手法を他者に手放していく構えができていないから」ではないかと見立てました。取り組みの初期、2024年8月2日に第29回NIE全国大会京都大会で「きくかくラボ」についてのポスター発表がなされたことも踏まえ、今後、そうした共同の何かに取り組むのかどうか、僭越ながら私から各々の姿勢を確認させていただきました。結果として、既に各々に所属があることを踏まえ、いわゆる「この指止まれ」方式でテーマとメンバーを呼びかけ、お悩みを紐解くお仲間会としてつながり続けていく、ということになりました。

2026年1月26日月曜日

忘れたり・落としたり・亡くしたり

よく物をなくすという自覚があります。これでも最近は少なくなってきた方です。人生100年時代としても既に半分以上が過ぎたことになるので、残りの人生を思うと物は減らした方がいいことは「終活」の2文字が教えてくれます。どうしても増えてしまうものもありますが、徐々に減らしていく準備をしています。

物を減らすことと結果として物が減ることは大きく異なります。あいにく、12月には長く愛用してきた万年筆が2本入ったペンケースを落としてしまいました。口が開いているトートバックに入れて移動していたことが原因でした。同じようなミスは、2023年9月15日の東京駅で経験しており、大雨による新幹線の運行ダイヤの乱れにより、すし詰め状態になったコンコースで、予備の眼鏡を落とし、亡くしてしまったのでした。



そんななか、先日、しばらく見つからなかった骨伝導のイヤホンが見つかりました。12月16日のランチで訪れたお店で忘れてしまっていたようです。最後に使ったのは立命館大学衣笠キャンパスだったこともあり、キャンパスインフォメーションの窓口、さらには全国の都道府県警に対する統一システムで運用されるようになった警察庁の「落とし物の届出・検索ページ」(https://www.npa.go.jp/bureau/soumu/ishitsubutsu/ishitsu-todokedekensaku.html)でも確認したものの見つからず、半ば諦めていたのでした。久々に、てんとう虫コミックス版「ドラえもん」第18巻に出てくる「なくし物とりよせ機」があれば、と思い出したのですが、これもまたご縁ということで、有り難く使用を再開することにしました。

今日はそのイヤホンで大小5つのオンライン会議に出席しました。それ以前に使用していたモデルでしのいでいたのですが、先日亡くしたモデルは骨伝導に加えてミニスピーカーが内蔵されているため、よりクリアかつ自然な音質で聴き心地が良いのです。骨伝導を好むのは、難聴のリスクが経験される、というところも鑑みて、です。一方で古いモデルは骨伝導のみということもあり、水の影響を受けやすいミニスピーカーがない分、お風呂場をメインの使用先として今後も活用していくこととします。

2026年1月25日日曜日

雪の初天神

1月25日、北野天満宮の初天神は雪の朝となりました。これは天満宮に祀られている菅原道真公が25日に生まれて25日に亡くなったことを受けて、25日が縁日となっていることによります。落語の演目にもなっているように、1年の最初の縁日に天満宮をお参りするのが初天神、という具合です。上方落語では大阪天満宮が、江戸落語では湯島天神が、それぞれ舞台とされ、中川家のコント「自動車教習所」で上方・江戸の演じ分けされたときには爆笑しました。
(コント「自動車教習所」は公式「中川家チャンネル」にもアップロード https://www.youtube.com/watch?v=KxSRkb_qEtM されています)

京都に住み始めたのは1994年からですが、このところ、めっきり雪が積もることは減ってきました。雪が積もったであろう日は、金閣寺の雪化粧などを収めようとしているのか、ヘリコプターの音が響くことがあります。ただ、今年は既に1月の3日に降ったからなのか、あるいはヘリポートまでのアクセスも難しかったのか、はたまた経費の問題か、単に私が気づかなかったのかわかりませんが、少なくとも空での取材合戦はなかったように思われます。静寂がまちを包む中、私はそっと近所の景色を撮影してみました。


結局一歩も出ずに家で過ごした一日、夕方に実家の母から電話がありました。スマートフォンのOSがアップデートされたため、どうしたらいいか、というのが最初の話題でした。そこから薬の話、そして病院の話、さらにはご近所づきあいの話、マイペースで話題が展開していきます。母は論理的に整理されることを嫌うので、1回の電話が終わると、こちらがヘロヘロになります。

そこで電話の後は気分転換に、先日アーカイブ配信のチケットを購入したライブ、1月18日に東京のAPIA40で開催された「新春!友川カズキワンマンライブ」の配信を観ることにしました。友川カズキさんは「3年B組金八先生」の第1シリーズで知りました。第1シリーズはリアルタイムではなく、再放送で観たのですが、最初に観た小学生5年生くらいのとき、主題歌の「贈る言葉」はもちろん、上条恒彦さんによる「出発の歌」など、その後も印象に残る曲が多々あったように思われます。中でもオフコースの「さよなら」が大変印象的だったのですが、実家の母との電話も重なって、近所のレコード店(磐田駅前の銀三会商店街にあった「サウンドマツオカ」だったと記憶していますが、ややうろ覚えです)で買った赤いカセット「BEST NOW OFF COURSE VOL. II」をラジカセやカーステレオで聴いたことを懐かしく思い出しました。

2026年1月24日土曜日

背伸びの場所

立命館大学衣笠キャンパスの南西角を下がったところにYourという場所があります。現在の名前は「スウィングキッチンYour」(https://www.swingkitchenyour.com)です。かつての名前は建物の外観に残っていますが「JAZZ & LANCH Your」でした。いわゆるジャズ喫茶として長く営まれてきた場所で、店内には大型スピーカーとアップライトピアノが置かれています。

私がYourに最初に足を運んだのは、確か1994年の秋だったと思われます。衣笠キャンパスで開催された第3回アジア・太平洋NGO環境会議の学生スタッフ(APNEC-YOUTH)として活動したことがきっかけで、政策科学部の仲上健一先生にお連れいただいたと記憶しています。学食よりも価格帯は高いということもあり、ちょっと背伸びをして伺う場所でした。日替わりランチも美味しくいただきましたが、ランチがない時間にはエビカレーとオムライスを好んでいただきました。


その後、2022年7月にマスター(小塚剛正さん)が急逝された後、有志のメンバーがシェアキッチンとして運営されてきました。今日の夕方は、α-STATIONの愛称で知られるエフエム京都の杉本雅士会長のお仲間で集う会がありました。この1月で「スウィングキッチンYour」としての運営は終了することもあり、ここでのお仲間の会は最後となるでしょう。今後、この場所がどうなるかは不明ながら、お店のシンボルの一つになっている宮本貞治さんによる長机と長椅子は、一澤(信三郎)帆布さんのところで新たな歴史を刻まれるようです。

立命館大学から近いということもあって、長く立命館大学の教職員におなじみの店の一つでした。シェアキッチンのプロジェクトも、立命館の職員が中心となりました。今日の会では以前にマスターのお連れ合い(久枝さん)から教えていただいたエビカレーが再現されて振る舞われました。ちなみにエビカレーに続いて好んで食べていたオムライスは京都市役所の西にあった「アローン風」*で、そうした懐かしい記憶を想い起こさせてくれた「スウィングキッチンYour」のプロジェクトメンバーの皆さんに敬意と感謝を表します。

*(ただしサイズは小ぶりにアレンジされたもので、Yourよりも早くに閉店となった本家「グリルアローン」<https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260202/26000645/>のオリジナルサイズのものは、)で、そちらは喫茶マドラグの藤井大丸店<https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26034136/>で今も味わうことができます)

2026年1月23日金曜日

ミーティングとリサーチと

今日は朝から立命館大学衣笠キャンパスで、韓国からの国際比較調査チームのヒアリング対応でした。特に高齢者を対象とした大学の地域連携に関する調査を行っているようで、チームメンバーの学生さんが立命館大学サービスラーニングセンターのウェブサイトを見つけて、センターの代表メールに連絡をいただきました。何名で訪れるかは不明でしたが、代表の先生と学生3名の4名でのご訪問でした。

インタビューは英語で、とのことでしたが、立命館大学サービスラーニングセンターの学生スタッフ(学生コーディネーター)のうち、OIC所属で韓国から留学している学生が通訳の協力をいただけるということで、大変助かりました。そもそも、私は高齢者との世代間交流などのプロジェクトを担当していないこともあり、ヒアリングに際しての話題提供は小辻寿規先生にいただくこととしていました。ただ、学生のうち1名はインドからの留学生ということで、部分的には英語での対応も行いました。帰り際のバス停で明らかになったのですが、いわゆる課外活動での展開は着手しやすいものの、いかにして授業として組み立てるかに関心がおありだそうで、立命館大学の前には国際基督教大学のサービス・ラーニングセンターを訪れたそうです。


午後は京都大学の防災研究所にお邪魔しました。まず、来年度に私学研修員として受け入れていただく松田曜子先生とリサーチミーティングをさせていただきました。ふと、2001年に大阪大学の渥美先生のもとを訪れ、社会人入学の後にどのような研究計画で3年を過ごすか、ということを打ち合わせしたときのことを懐かしく思い出しました。学部と修士は土木工学を専門としていたので、改めて工学的なアプローチで復興や防災について深める時間にしたいと、改めて決意を固めるひとときになりました。

ミーティングの後には、京都大学防災研究所による総合防災セミナーに参加させていただきました。通算第109回で、「能登半島地震からの復興まちづくりの現状と課題」をテーマに東北大学災害科学国際研究所の姥浦道生教授が話題提供されました。七尾・田鶴浜にもご縁がおありとのことで、先日、1月18日に北國新聞に掲載された新聞記事も話題に取り上げていただきました。多々納裕一先生にも久々にお目にかかり、来年(から)の研究が一層楽しみとなりました。

2026年1月22日木曜日

55年前のレガシーに触れて

ささやかに、開始時間をすっとばしてしまった今週火曜日の打ち合わせが尾を引いています。改めてメールを見返して、その他の抜け、漏れがないか、チェックもしてみました。ただ、そうした時間の問題だけではなく、火曜日には特段のメモもない中で、長年にわたって展開されてきたプログラムの方針が大転換されることが、じわじわと私を重い気持ちに追い込んできている気がします。お世話になってきた方々にどう伝えるか、今朝はそのことに思索を巡らせました。

10時からはZoomミーティングで、第24回京都学生祭典の第1回企画検討委員会でした。私は今年度末まで大学コンソーシアム京都の学生支援事業部長というお役目をいただいているため、3月までは企画検討委員会の副委員長に指名をいただきました。先日から、京都国際学生映画祭のプレイベントも、障がい学生支援事業企画検討委員会も、この大学コンソーシアム京都の学生支援事業部長というお役目です。大学コンソーシアム京都は、私が2000年度から2006年度まで在職した古巣ということもあり、コロナ禍に見舞われた2021年の4月から5年にわたる任期を通じて、もう少し積極的な貢献をする余地もあったと反省する今日この頃です。


午後はジムで身体をほぐしつつ整えて、大阪・吹田の万博記念公園まで足を運びました。妻が国立民俗学博物館に行く用事があるということで、そのお供でした。日本庭園の駐車場に車を停めると、太陽の塔の背面と、一部が保存された大屋根が目に留まりました。1970年の大阪万博の際には生まれていなかったものの、関係者からのお誘いで足を運んだ2025年の大阪・関西万博の場所が55年後にはどうなっているだろう、と、恐らく私はこの世から去っているであろう世界のことを夢想しました。

そうして小さなリフレッシュはできたものの、今日の17時に締切の報告書が提出できず、これまた小さな自己嫌悪に陥りました。授業が終わった今、成績登録や学会発表のエントリー、また補助金の審査など、いくつか締切が厳格なお仕事が続きます。一方、21:30〜8:30はデジタルデトックスに努めることにしています。加えて、送信先の執務時間以外にはメールを送信しないようにしていることもあり、報告書の遅延のお詫びのメールは明日の朝9時の送信予約とさせていただいて送信すること、ここに記して謝意を表します。

2026年1月21日水曜日

金箔が金に貼られるような時代に

2013年の1月から、毎週水曜日の朝は英語のレッスンの時間としています。きっかけは2012年の10月から、英語で開講する専門科目群「Japan and World Perspectives Program(JWP)」の1つとして開講された「Service Learning」を共同で担当することになったためです。JWPは衣笠キャンパスにあった学部(法学部、産業社会学部、国際関係学部、政策科学部、文学部)に所属する学生が国際社会へ進路の共通目標を設定して学ぶ教育システムである「国際インスティテュート」(2000年開設)のアドバンスト・プログラムとして、2005年に開設されました。国際インスティテュートは、国際関係学部では2011年に、その他の学部は2012年に募集停止となり、英語科目「Service Learning」も2014年度をもって閉講となりました。

私が通っているのはニューヨーク・タイムズ(The New York Times)を教材に、グループで対話するというクラスです。そのため、既に英語の科目を担当していないものの、時事問題に触れること、また英語での対話のファシリテーションの参考にと、今まで受講を続けてきました。今朝の京都は夜のあいだに降った雪がまだ残っていたため、出町柳界隈まで出向いた際に賀茂大橋から出町の三角州を見たとき、いつもよりも凛とした雰囲気のように感じました。そこで、ふと、手持ちのカメラでその空間を切り取ってみました。


ちなみに今日のお題は「There Is a Way Out of This Mess(https://www.nytimes.com/2025/12/31/opinion/trump-gilded-age.html)」、意訳するなら「この混乱からも抜け道はある」です。著者はスミソニアン国立アメリカ歴史博物館の政治史キュレーターのジョン・グリンスパンさんでした。そのため、南北戦争を経て奴隷解放の後に訪れた自由と繁栄の黄金時代(Gilded Age)がもたらされたものの、それは単に束縛からの解放が実現されただけで、むしろ安全軽視のインフラ整備、政治の腐敗、地域コミュニティの崩壊を生み出したと指摘します。その反動として1900年から1960年代まではむしろ各種の法制度などによる規制・抑制によって社会保障を実現する方策が採られたが、現在は各種の規制緩和を経て、新たな格差社会がもたらされている、という記事でした。

なかなかややこしい記事でしたが、特に印象に残ったのが、先に示した自由と繁栄の黄金時代(Gilded Age)について、作家マーク・トウェインが親友(チャールズ・ダドリー・ワーナー)に宛てた1873年の手紙で引用していたシェイクスピアの『ジョン王(King John)』からのエピソードでした。それは「金に金箔を貼る(gild refined gold)」というもので、見方によっては贅を尽くした趣向、冷静に考えれば過剰な悪趣味、そうした意味を提示する表現です。ちなみに記事で使用されていた写真は、トランプ大統領の好みで改修された大統領執務室(The Oval Office)の拡大写真でした。著者が置かれたている社会的・文化的背景も含めて、その本質を読み解く時間となりました。

2026年1月20日火曜日

恥ずかしい記憶・懐かしい記録

かつて「広島」とだけ記した予定の詳細がわからず、その日は一日中、携帯電話が鳴ったら即、誤ろうという思いで過ごした一日がありました。確か、Palm社の端末を使っていた頃でしたので、大学コンソーシアム京都で働いていた頃ではないかと思われます。年で言えば2000年から2006年頃ではないでしょうか。結局、その日は特に連絡も入らずに安堵の思いを抱くと共に、もしかして誰かが私を広島で待っていたかもしれないという思いを捨て去ることはできませんでした。

そして今日、朝から自宅で事務作業をしていると、LINEでメッセージが届いているのに気づきました。10時6分に送信されたメッセージを確認したのが10時11分で、そこには「ご予定大丈夫でしょうか?」とありました。朝10時からの打ち合わせを失念してしまっており、「今すぐ出れば10:30に着きます」が「今すぐZoomも可能です」と返信したところ、「お待ちしております」との返信が即時に戻ってきました。そして、急いで立命館大学衣笠キャンパスに向かいました。


先週、15日から定期試験期間に入ったキャンパスは、授業期間中とは打って変わって静かでした。今日の打ち合わせは来年度、私は学外研究制度により授業を担当しないということもあり、例年行ってきた夏のプログラムに関する方針の検討でした。そこでは、私が想像していた選択肢とは全く別の選択肢が事務局の素案として提示され、私は直接関わることはできないものの、長きにわたって現地の方々とご縁を結び、深めてきたこともあり、何らかの形で貢献できればと、現場に思いを馳せました。打ち合わせの後は、ささやかなお詫びの意味を込めて、2026年1月で終了となる「スウィングキッチンYour」(https://www.swingkitchenyour.com)に出店されている「にんじん食堂」さんに3名で伺いました。

午後は大学コンソーシアム京都の「2025年度第2回障がい学生支援事業企画検討委員会」でした。かつて、大学コンソーシアム京都の事務局で働いていた際、大谷大学の佐賀枝夏文先生からの相談に対応する中で、2001年2月19日の産経新聞夕刊にて、大学間連携でノートテイカーを養成し、聴覚障害学生の情報保障に取り組む可能性について触れた記事が掲載されました。この記事をきっかけに、2001年7月には四国学院大学調査訪問、9月には「第1回障害者高等教育支援【交流・研究・研修】会」(主催:特定非営利活動法人日本障害者高等教育支援センター)の参加、そして11月には大学コンソーシアム京都の「教務事務担当者会議」において「障害を持った学生に対する支援検討のためのアンケート調査用紙」を配布(12月20日までに37大学・短期大学から回答)、そして2002年に入って2月27日には「第1回障害のある学生の支援に関する担当者会議」を開催してアンケート結果を説明し、さらに3月10日には大学コンソーシアム京都の第7回FDフォーラムの第5分科会「障害のある学生の高等教育における支援」で全国の方々と議論を深める、という動きをつくった一人でした。そうした古巣に、2021年から「運営委員」かつ「学生支援事業部長」という立場でお役目をいただき、その任期も残りわずかとなってきたことをしみじみ思いながら、会議の進行を担いました。

2026年1月19日月曜日

師のことばに引かれて

今日は名古屋に日帰りで出かけました。あらかじめ予定を組むことができた行きの列車はEX早特7[普通車用]で押さえました。帰りは時間を流動的に調整できるよう、予約をせずに参りました。実家への帰省などでは、前日まで購入できるEX早特1で京都〜浜松を自由席で移動することがあるのですが、あいにくEX早特1は名古屋〜京都の設定がないのです。

名古屋での予定は、立命館大学サービスラーニングセンターの「ボランティア・サービスラーニング研究会」での、日本福祉大学の山本克彦先生との対話を行うためでした。テーマは「災害救援と大学とのコーディネーション」で、案内文(https://www.ritsumei.ac.jp/slc/event/detail/?id=514)では、「災害多発時代における災害救援に対する大学の向き合い方について改めて深める機会」にと位置づけて企画したものです。Zoomミーティングでの開催のため、別に同じ場所で集う必要はないのですが、昨年の7月と11月の回で、それぞれ話題提供者の方と同じ空間でラジオ番組のように語り合うことが、少なくとも司会・進行役を担う私にとっては緊張感がより高くなり、結果として参加者の皆さんとテーマを深める上でよりよい場になる、という実感を抱いていました。そこで今回は名古屋市内で会場を確保し、山本先生には知多半島から出向いていただき、私もまた京都から足を運ぶことにした、という具合です。


山本先生とは私が立命館大学大学院理工学研究科に在籍していた際、その研究フィールドとした草津コミュニティ支援センターでお出会いしました。その後は直接の関わりはあまりありませんでしたが、東日本大震災と令和6年能登半島地震で、それぞれ災害救援から復興支援へと移行していくあいだで、いくつかの場をご一緒してきました。今日の研究会では、山本先生のご経歴、そして前任校の岩手県立大学での「学生ボランティアセンター」の設立(2008年)の背景と東日本大震災での取り組み、さらには令和6年能登半島地震での日本ソーシャルワーク教育学校連盟を通じた北陸学院大学の後方支援を軸としたネットワーキング、これらについてお話を伺いました。岩手県立大学による取り組みは、私が国際ボランティア学会の年次大会を担当させていただいた2012年(「大学と震災とボランティアセンター」https://www.jstage.jst.go.jp/article/isvsjapan/13/0/13_25/_pdf/-char/ja)と2022年(「再論・大学と震災とボランティアセンター」https://www.jstage.jst.go.jp/article/isvsjapan/23/0/23_21/_pdf/-char/ja)で伺っていましたが、今回はそうした学生主導による動きのアドバイザーとして大学側とどのような調整を行ってきたかについて、山本先生から直接紐解くことができました。

1時間30分の対話と終了後の30分の自由交流のあいだ、私は山本先生の取り組みのポイントを「防災と言わない防災」というフレーズで意味づけすることがありました。これは私の師匠である渥美公秀先生と、渥美先生の指導のもとで博士の学位を取得された渡邉としえさん(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjesp1971/39/2/39_2_188/_article/-char/ja)が生み出したフレーズです。2008年に学生たちが岩手で始めた鍋を囲んで学生と住民の皆さんと交流することで地域の困り事へのアプローチを探っていく「Do Nabe net」(後に、日本福祉大学や愛知県立大学でも展開:https://www.n-fukushi.ac.jp/c-lab/news/15/160325/index.html)、さらには後に警察から連携の提案も寄せられたという自転車での地域の見守り活動「いわてチャリパト隊」(https://www.iwate-pu.ac.jp/web-ipu/backnumber/pdf/ipu47.pdf)などは、文字通り防災や減災という観点を前に出さないものの、災害時(非日常)のために日々(日常)のつながりづくりを実践されてきた取り組みです。本日は山本先生からのお話を伺い、私自身も立命館大学での洗練された実践のアドバイジングを重ねていかねば、という衝動と共に、改めて師や先輩が紡ぎ上げたレトリックに敬服した、そんな名古屋でのひとときとなりました。

2026年1月18日日曜日

寄り添いきるということ

阪神・淡路大震災から31年と1日を迎えた朝、NHKのEテレ「こころの時代」で草地賢一さんを取り上げた回が放送されました。11月15日に佛教大学二条キャンパスが会場となった「日本ボランティア学習学会」で久々に再会した興梠寛先生から伺っていました。加えて、先日、1月15日に神戸まちづくり会館での村井雅清さんのアーユスNGO大賞受賞記念の講演会の後に、村井さんからも少しだけ内容を伺っていました。恐れ多くも懇親会では隣の席に座らせていただいたこともあり、村井さんが取り上げられた2022年3月27日の回で村井さんが草地さんの支援の姿勢について触れていたことを踏まえて「今回も登場されるのですよね?」と伺ったところ、これまであまり語ってこなかったエピソードも紹介したことを教えていただいた上で、改めてボランティアと宗教について話が弾みました。

ボランティアと宗教の関連では、昨日、1月17日の夜に清水寺の経堂で開催された「第28回京都国際学生映画祭」のプレイベント「生死」(https://www.kisfvf.com/event/event-4967/)でのトークセッションの司会役を仰せつかったことも、有り難いことでした。テーマが「生死(しょうじ)」と掲げられるのが先だったのか、清水寺を会場とすることが決まったのが先なのか、つい確認をしそびれましたが、映画祭を主催する大学コンソーシアム京都が、その前身である「京都・大学センター」時代から取り組む単位互換制度の科目の一つとして「世界遺産PBL」があり、その関係もあって格別の配慮のもと、通常は非公開の重要文化財での上映会という運びになったようです。過去の京都国際学生映画祭で入選した3本の作品(「The hills of birds」、「Vortex」、「にわとりはじめてとやにつく」)の上映の後、清水寺の森清顕執事、上智大学グリーフケア研究所の髙木慶子名誉所長をゲストに招いたトークセッション、という流れでした。通常のご参拝の方々は18時に閉門となるため、皆さまがお帰りになられた19時に開場、19時30分開会、21時30分終了、という、夜の清水寺を味わうことができる、特別な企画には、75名を超えるお申し込みをいただいておりました。


昨日は昼から浜松市の根洗学園でアートプロジェクトに関するシンポジウムにお招きをいただいていたため、15時の終了予定時刻を前にささやかなコメントをさせていただいた後、とんぼ返りで京都に向かいました。コメントでは、私の前にギャラリーの方から「アーティスト・イン・レジデンスで作品を創るときには、インプットされた内容を削ぎ落としてアウトプットすることになるため、見方によっては現場・現地の方々にとっての冒涜になるかもしれないことに注意が必要で、一方で今回作品となったもの、また作品群が生み出された一連の企画の次が重要で、新たな展開を期待している」といった厚みのあるものが示されました。それに続くコメントとして、私は何を語ろうか、と悩みつつも「次の展開を考えるなら、何をするかだけではなく、何をしないのか、ということも大切ではないか」と投げかけて会場を後にしました。そして、昼はアート、そして夜には映画、という流れに、2006年度から2016年度まで身をおいていた大阪・天王寺の浄土宗應典院での記憶を懐かしく思いだしながら、清水寺へと向かいました。

18時過ぎからの森執事、髙木名誉所長との打ち合わせは、まず「今日はどのようにお名前を呼ばせていただきましょうか?」と確認したところ、(私も含めて、上智大学グリーフケア研究所で教えるという共通の経験を持っていたこともあって)それぞれに先生と呼ぶことと定め、続いて3本の作品をどう鑑賞したのかの意見交換を行いました。その打ち合わせには映画祭の実行委員を務める学生も3人参加していたのですが、髙木先生から「あなたはどう思ったの?」と、隣に座っていた学生に意見を求められました。突然の振りに対して作品の客観的な批評を返したところ、髙木先生は「あなたと同じ学生が監督した作品だから、なぜあのような作品に仕上げたと思う?」とさらに深掘りをされたのですが、その学生は答えに窮した様子で「何を言いたかったんでしょうね」と発したところで、私が合いの手を入れたら、髙木先生から痛烈な批判をいただきました。私には「なんとか言葉にしようとしているのだから、横からしゃべっちゃダメ」、学生には「あなたもギブアップするならそれでいいから、問いに向き合わないと」と、長きにわたるグリーフケアの現場で「寄り添う」こと、また相手を受容すること、それらをどう実践されているかを端的にお示しいただけた、そんな学びを得た一場面でした。
(ちなみに、髙木先生のことを知らない方には、南山大学人間関係研究センター紀要「人間関係研究」の第10号(p.173-195)に収められた2010年の髙木先生の講演会「悲嘆について学ぶ」の記録が参考になります。https://rci.nanzan-u.ac.jp/ninkan/publish/item/10_05_01.pdf

2026年1月17日土曜日

あの日から31年

浜松に向かう「ひかり502号」の車内で、この文を書いています。阪神・淡路大震災から31年が過ぎ、1月17日を特別な日として過ごす人は少なくなってきているのかもしれません。かつて大阪で暮らしていた頃は、決まって朝を神戸市中央区の東遊園地で過ごしていました。東日本大震災の後に京都で再び暮らすようになり、さらにはコロナ禍を経て、やや足が遠のいてしまいました。最後に5時46分を神戸で迎えたのは2020年1月17日で、その後は日本災害救援ボランティアネットワーク(NVNAD)による西宮市の慰霊碑の中継を拝見させていただくことが続いています。

一方、京都暮らしを続ける中で、左京区鹿ヶ谷の法然院で1月16日ないし17日に開催される「兵庫県南部地震物故衆生追悼の集い」に足を運ばせていただくようになりました。4年前の28回忌が最初で、今年の32回忌にも参加させていただきました。本堂での法要の後、参列者で鐘を撞き、庫裏玄関で友枝良平さんによる楊琴の追悼演奏というのが決まった流れです。かつて大阪市天王寺区にある應典院に身を置いたときに、お念仏と梵鐘を撞いていたことが懐かしく想い起こされます。(ちなみに、法然院での追悼の集いは、来年の33回忌を持って弔い上げとされるようで、その後の場のあり方は未定だそうです。)



そんな中、今年はキャンパスプラザ京都にて「災害ボランティアと地域防災がつながる1日!」(https://activo.jp/articles/121577)という企画がありました。話題提供者となる学生を推薦したこともあって、開会から終了まで参加させていただいたのですが、終了後、同じ職場のスタッフから「途中から口がへの字でしたね」と言われて、ハッとしました。確かに私は相当イライラしていたのです。進行役の方が時間ばかりを気にしていることが度重ねて口にされ、話題提供者や参加者が内容を深めることが軽視されているのではないかと感じていたため、そうした率直な感想を終了直前に4人程度のグループディスカッションをする際に同じグループになった方にも共有させていただきました。

プログラムの終了直前、参加者から自由に発言を、と会場にマイクが向けられた折に私と同じグループになった方で、神戸市出身の大学生が「30秒でもいいので神戸に祈りを」と投げかけてくれました。参加者の一部から「いいと思います!」といった声もあったのですが、全体で黙祷の時間が取られることはありませんでした。主催者として21時の退館を厳守したい、という気持ちはもちろん理解をするのですが、あの日、「おはよう」と言葉を交わせなかった方、「行ってきます」と言って「ただいま」と言えなかった方、また「行ってらっしゃい」と言って「おかえり」を言えなかった方、そうした方々に思いを馳せるべく、時間の流れを止めてもいいのではないか、と考えるうちに、への字口の表情となって出てしまっていたのでしょう。慌ただしく流れていく時間を止めて、言葉を発することなく今を丁寧に生きることを考える場を共に過ごす、そうした機会が大切にされることを願ってやみません。