ブログ内検索

2010年1月7日木曜日

「ill」と「いる」

 今日は長い一日でした。午前中は病院へ。特に治療というよりは、何となく機械の値と熟練の目利きをいただく、という感じです。献血に行くも、「ここに来るより、内科に」と、絶妙な返しをいただいて、4年ほど。まあ、慢性疾患と呼ばれるものと、ほどよいおつきあいをさせていただいております。
 ちなみに、病院の待合室でも、MacやiPhoneを利用し、情報の受発信を行っていました。聞くところによると、主治医の先生は、その病院を紹介いただいた私の知人に「あんな人は見たことない」と仰っているそうです。そうして、いつでもどこでもネット環境が手中にある生活を送る中でも、「場所の力」という表現をはじめ、リアルな空間、リアリティを感じる時間、身体的なコミュニケーションについて関心を向けているのが私です。午後は病院から應典院に向かい、これまた画面を見ながら、ひたすらキーボードを叩くことで時間が過ぎていきました。
 今日はこうして時代と共振して生きようとしている生き方を改めて考える貴重な場に身を置かせて頂きました。それは、本日夜7時、應典院の研修室Bで開催された、コモンズフェスタ2009/2010のプレトークをじっくり聞かせて頂くことができたためです。「自分をいかして生きる」と題してお話いただいた西村佳哲さんの柔らかな物腰に、なるほど、これを聞くために、各地から西村さんのことばを聞きに駆けつける方々がいらっしゃるんだな、と合点がいきました。そして、私もミーハー的に、著書にサインをねだってしまいました。
 本日の内容については、應典院のTwitterにて中継させていただきましたが、「居る」ということについて、深く考えさせられました。コモンズフェスタ関連については、今後、私の個人アカウントでもつぶやくかもしれませんが、そのときにもハッシュタグ #commonsfesta をつけさせていただきます。とりわけ、今日のプレトークが終わり、今はひたすら、1/17、震災15年の日の寺子屋トーク「+Soialの編集者たちが語る」に注力して参りますので、こちらもどうぞ、ご興味・ご参加いただきますよう、お願い申しあげます。



今回の標題は、病気の(ill)と應典院に「居る」ということが掛け合わせ合っているのですが、「居なければならない」という仕事としての緊張感が、実は慢性的なillにもつながっているかもしれない、という何とも言えない問題が見え隠れしていたりもするのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿