カタカナ語ばかり使うな、と言われることがあります。今日のブログの投稿に対しても、そう言われるかもしれません。しかも「力」でも「ちから」でもなく、「チカラ」などと、わざわざカタカナで書く必要がないことにまで、とご指摘をいただきそうです。ただ、一つお伝えをしておきたいのは、カタカナがかっこいいと思っていて多様しているのではない、ということです。外国起因の概念ゆえに無理矢理日本語に翻訳しない方がよい、あるいは、既存の概念を疑ってみたい、そういうときに、カタカナをあえて使っているのです。
で、今日の話題の一つは「エクソダス」です。またカタカナなのですが、ここでは標記のとおり、「コミュニティのチカラ」を、改めて実感させられました。既にエクソダスは12月18日と1月10日に開催してきているのですが、今日は、朝の回も、夜の回も、それぞれにこれまでのどれとも違う印象を覚えました。朝のエクソダスは、われわれのスタッフやチラシのデザイナーをして「誤植」と勘違いされた「朝6時」からの開催でした。夜のエクソダスは夜7時からの開催で、アメリカ村に向かいました。
簡単にエクソダスの解説をしておくと、集団でまちに繰り出し、参加者が一丸となって一つの出来事を作り上げる、という企画です。その出来事を作り上げるあいだに、どれだけの人が巻き込まれていくのか、さらには巻き込れた人々は、巻き込まれる前、巻き込まれる瞬間、そして巻き込まれた後、どのような雰囲気に包まれているのか、ということを明らかにしようという社会実験とも言えます。集団力学という定訳がある、グループ・ダイナミックスを専門としている私にとっては、極めて興味深い協働的実践でもあります。具体的に朝には、大阪城天守閣で開催されているラジオ体操会にスーツで参加するということ、夜には、アメリカ村を探索する(そして最後には三角公園にピザを宅配して、公園にいる人たちにもふるまってみる)、というものでした。
これまで皆出席を通してきた私ですが、今日の夜にはBBA(ボーズ・ビー・アンビシャス)関西の第6回準備会に参加させていただき、エクソダスには應典院の森山主事が参加しました。それぞれの詳しいレポートは、またコモンズフェスタのブログで紹介させていただくことにしたいと思いますが、とにかく、それぞれのまちには固有の文化があって、人々の行動にはまちの文化的な特性が反映する、このことを、のべ4回のエクソダスで再確認しているところです。もちろん、こうした地域コミュニティだけでなく、夜に行ったBBA関西の集まりでも、会話の幅の広がりと、それぞれの日常で向き合っている問題の深さに、僧侶というコミュニティが持っているチカラを感じたりもしました。
実は、ラジオ体操会には少し遅れて参加したため、ラジオ体操第2の途中からしかできなかったのだが、上記の写真の後、指導員の方のご厚意で、YouTubeに投稿されていた「テレビ体操」をe-mobileの電波で再生しながら、体操台の前で(もう一度)一緒にしてみたのでした。(なお、上記の文章は、應典院ブログの1月14日の投稿と共通のものです)。
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