ブログ内検索

2017年8月5日土曜日

元に戻すのではなく新たに興す

7時10分に関西空港発のpeachで仙台空港へと向かった。京都からこの飛行機に乗るためには、乗合での空港シャトルを予約するか、自家用車で行くしかない。今回の東北でのフィールドワークでは、立命館災害復興支援室でお世話になった廣井次長と途中まで同行するということもあり、空港まで送っていただくことした。仙台空港からは予約していたレンタカーにより、南へ北へと進路を取っていく。

まず訪れたのは閖上の日和山である。到着すると「震災を伝える会」というポロシャツを着た方が目に留まり、程なく山形県酒田市の皆さんがマイクロバスで、その後石川県高等学校文化連盟放送部の方々がバスで、それぞれ訪れた。すると、現地の方が語り部として案内を始められていた。何度か訪れた小学校や中学校は既に解体され、災害公営住宅が建ち並び、「緑豊かなあたたかいまち」の「早期実現」に向けて工事を進めているという大きな看板も立てられており、復興への歩みが着実に進んでいると受けとめた。


続いて、せんだいメディアテークに伺った。あいにく、甲斐賢治さん(今、せんだいメディアテークではアーティスティック・ディレクターという立場でいらっしゃる)は席を外されていたので、メッセージとお土産だけ残し、建築士の高橋親夫さんによる記録写真展「タイル・ルート・トタン:荒浜・藤塚と浪江の記録」を鑑賞させていただいた。今はハウスメーカーによる新築が大半であり、ユニットバスが全盛となった今、大工さんによる施工や、在来工法による浴室や洗面やお手洗いが格段に減る中、高橋さんは「土地への言いようのない思いによって支えられ」ることで「かつての住人の生活が感じられる」風景にある「失われていく技術」「当時の職人のこだわり」を感じ取り、「そこで暮らしていた家族の時間を思い」「くらしの証としての調査と、記録を始めた」という。加えて、2015年12月、「地域活動団体の移動研修会の帰路、常磐道をバスで走行」した際、改めて帰還困難区域の一帯の状況を目にし、その後「2016年7月頃、ラジオで浪江町が来年3月避難指示解除されることを知り」「仙台沿岸を記録した際には見ることができなかったトタン壁は、放射能の影響により隣接する建物を解体することで現れたものも多く、象徴的なものであるように思え」「建物の屋根や外壁に使用されているトタンの腐食は、これまでの長い時間を吸収しているように思え」「震災前の生活が残る浪江の町を、解体される前にできるだけ写真で記録しておこうと思い、撮影を始めた」という。

こうして、仙台において改めて沿岸部の多様な被害に触れた後、目指した先は福島県の楢葉町であった。お昼には今年度から災害復興支援室の副室長に就かれた久保田崇先生と合流し、牛タンに舌鼓を打った後、常磐道を南下し、南相馬での休憩の後、常磐富岡インターで一般道に入った。震災遺産である津波被災パトロールカー、改築中の富岡駅、3月30日に開店した複合商業施設「さくらモールとみおか」などを訪れた後、立命館大学生らによる「そよ風届け隊」が企画した「めちゃめちゃよくばりキャンプ」でお世話になった楢葉町の復興推進課や教育委員会の皆さんと、まずは好例の「一平」での宴席、そして7月29日にプレオープンしたばかりの小料理屋「結のはじまり」にて二次会へと流れ、避難指示解除から2年を迎えようとする中での楢葉町の今に触れた。


0 件のコメント:

コメントを投稿