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2017年8月30日水曜日

新潟と熊本を結んで

それなりにデンマークの暮らしになじんできたものの、自分の根っこは日本にあると感じる場面がいくつかある。例えば、昨日のミサイルの話でも、警鐘が鳴らされた地名を見れば、いくつかの場所、何人かの顔が思い浮かぶ。もっとも、そうして場所や人を想い起こすのは祖国である日本に限ったことではない。行ったことのある場所、出会った人のふるさとを知っていれば、ニュースなどで地名に触れたとき、その場所や人を思い出す。

土地の記憶というのは、風景はもとより、食べ物を通しても紐づけられる。スマートフォンが浸透する中で、食事を撮影し、それらをソーシャルネットワークサービスに投稿する人々が増えたことも影響しているだろう。かくいう私も、わりと撮影をしてしまう方である。とはいえ、「フードポルノ」という概念を知って、いたずらに晒すよりは、おいしくいただくことを大切にしようと心がけている。

今日もまた自宅で終日作業をしていたが、お昼に高菜漬をいただいた。4月に熊本・西原村にお邪魔した際、空港まで見送りに来ていただいた方に、おみやげとして頂戴したものである。持たせてくださったのは、平成28年熊本地震の支援で、名産の唐芋の苗付けから収穫までをお手伝いをさせていただいた農家さんだ。支援活動は、する/されるの関係が固定化されがちだが、何度も関わり合っていると、物心両面で支え合う関係ができあがっていくということを、いくつかのまちと人との関わりで実感してきた。

高菜漬をのせたご飯は新潟・小千谷の塩谷集落のものだった。魚沼産コシヒカリとして出荷できる地域だが、それ以上に、はさかけによる自然乾燥の後に精米されたお米は、収穫から1年を経ようとしている今でも、またデンマークであっても(炊き上げる水に少しだけ気をつければ)十分に堪能できる。今日はこの2つの地域の名産をいただきながら、日本心理学会によって支援を受けた助成金の報告書を書き上げた。口に入れるものがよかったのか、筆ならぬキーボード打ちも進んだように思う。


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