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2017年8月31日木曜日

の近くへ

今日は始発のバスに乗ってオールボー空港に向かった。そこからまずコペンハーゲン空港に飛び、ドイツへと飛んだ。目的地はチュービンゲンである。かつて立命館大学に留学していた方からのお誘いに応えた旅だ。

コペンハーゲンからはシュツットガルトへ飛んだ。ところが、コペンハーゲンが霧による視界不良で出発が遅れた。そのため、シュツットガルトの到着も遅れてしまった。それにより、当初はシュツットガルトからストラスブールへと列車で向かう予定をしていたが、列車の乗り継ぎがうまくいかないことがわかり、断念した。



急遽、シュツットガルトでの観光に切り替えることになったのだが、困ったのがドイツでのWi-Fi環境の行き届かなさである。これまでいくつかのまちを訪れてきたが、公共の場所に出ればあまり困らなかったものの、ドイツではなかなか簡単にはフリーの環境にありつけなかったのだ。結局、空港では1時間、駅では30分の制限のもとで使うことができるTモバイルのホットスポットがあることがわかった。その後、まちなかでの利用のためにと、1日分の利用権を4.95ユーロで購入してみることにした。

そうして掴んだWi-Fi環境でホテルを予約し、その後は宮殿広場のあたりを散策し、メルセデスベンツの博物館の方へ向かった。ただ、きちんと調べ切れぬまま、駅の路線図を手がかりに博物館へと向かったため、目の前で国鉄の線路に阻まれ、雨の中を迂回して訪問することは断念した。一進一退の旅の始まりだが、昼に立ち寄ったイタリアンレストランで、メニューの注文に困っていた日本人の方をお助けできたのが、ちょっとした良い思い出として携えていくことにする。



2017年8月30日水曜日

新潟と熊本を結んで

それなりにデンマークの暮らしになじんできたものの、自分の根っこは日本にあると感じる場面がいくつかある。例えば、昨日のミサイルの話でも、警鐘が鳴らされた地名を見れば、いくつかの場所、何人かの顔が思い浮かぶ。もっとも、そうして場所や人を想い起こすのは祖国である日本に限ったことではない。行ったことのある場所、出会った人のふるさとを知っていれば、ニュースなどで地名に触れたとき、その場所や人を思い出す。

土地の記憶というのは、風景はもとより、食べ物を通しても紐づけられる。スマートフォンが浸透する中で、食事を撮影し、それらをソーシャルネットワークサービスに投稿する人々が増えたことも影響しているだろう。かくいう私も、わりと撮影をしてしまう方である。とはいえ、「フードポルノ」という概念を知って、いたずらに晒すよりは、おいしくいただくことを大切にしようと心がけている。

今日もまた自宅で終日作業をしていたが、お昼に高菜漬をいただいた。4月に熊本・西原村にお邪魔した際、空港まで見送りに来ていただいた方に、おみやげとして頂戴したものである。持たせてくださったのは、平成28年熊本地震の支援で、名産の唐芋の苗付けから収穫までをお手伝いをさせていただいた農家さんだ。支援活動は、する/されるの関係が固定化されがちだが、何度も関わり合っていると、物心両面で支え合う関係ができあがっていくということを、いくつかのまちと人との関わりで実感してきた。

高菜漬をのせたご飯は新潟・小千谷の塩谷集落のものだった。魚沼産コシヒカリとして出荷できる地域だが、それ以上に、はさかけによる自然乾燥の後に精米されたお米は、収穫から1年を経ようとしている今でも、またデンマークであっても(炊き上げる水に少しだけ気をつければ)十分に堪能できる。今日はこの2つの地域の名産をいただきながら、日本心理学会によって支援を受けた助成金の報告書を書き上げた。口に入れるものがよかったのか、筆ならぬキーボード打ちも進んだように思う。


2017年8月29日火曜日

フォアとバックの時間軸

今日は終日自宅で作業していた。月末に提出の日本心理学会の実践的研究への助成金の報告書執筆である。締め切り直前になって追い込みをかけるのは日本にいても変わらない。しかし、日本にいるときとは違って、圧倒的に予定帳には余裕がある。

フォアキャスティングとバックキャスティングという概念がある。簡単に言えば、時間の流れに対して目標にどう向き合うのかの姿勢の違いである。三段跳びの比喩を用いて説明すると、ホップ、ステップ、ジャンプの順で、できるだけ遠くに飛ぼうというのがフォアキャスティングである。バックキャスティングは最終的なジャンプの段階で自らが到達すべき地点を見越して、ステップの段階で到達すべき地点を見定めて到達するという具合である。

三段跳びの比喩を使うことで余計にわかりづらくなったかもしれないが、フォアキャスティングとバックキャスティングは釣りの世界でも用いられる用語である。ただ、私はプロジェクト学習の設計と評価においてよく紹介してきた。先般の北海道高校生自然環境ミーティングでも用いた。何より、自らの専門であるグループ・ダイナミックスでは、ヘルシンキ大学のユーリア・エンゲストーム先生の活動理論を意志決定の理論として用いるため、その理論を後支えとして、出来事に対する向き合い方を説いている。

その点で、今日は明日、報告書を仕上げるための準備を滞りなく終えた。フィールドワークの日程の確認、写真素材の整理など、である。「心理学者が信用されるのは確実なデータをもとに語るとき」とは、先般、ヨーロッパ心理学会でご一緒した際のサトウタツヤ先生の何気ないつぶやきである。ただ、会話もデータであると言う質的研究にあって、 その発話の主を敬いつつ、研究としての目的に対する結論として断定できる内容は何か、そのための適切な表現は何か、今日の準備をもとに明日吟味する。



2017年8月28日月曜日

久々のリサーチミーティング

オールボー大学では新学期を控えている。オールボー大学の学生数は20,506人で、そのうち私が所属する人文学部は4,447人である。そのうち心理・コミュニケーション学科の定員は150人という。実際、学部(3年制)の卒業生が749名、修士(2年制)が892人という実績値(ちなみにオールボー大学では学部から修士に進学した場合にはダブルカウントをせず、5年の修学で卒業したとして捉える)から見ても、その規模での授業展開がなされていることに合点がいく。

今日は私の客員研究員としての受け入れ担当となってくださっている先生方と久しぶりにミーティングをした。まず、Mogens Jensen准教授と、6月22日のミーティング以降の動きについて共有した。また、ミーティングに先立ち、PBLに関していくつかの質問を投げかけていたので、それらについて意見交換を重ねた。その後、もう一人の受け入れ担当であるCasper Feilberg准教授も交えてランチミーティングをした。

ランチミーティングの際の話題は、学生が問題を掘り下げる上で教員はどのようにスーパーバイザーとして振る舞うか、であった。というのも、日本でのプロジェクト型の問題解決学習では、プロジェクトの進捗管理が中心になり、プロジェクトの終了時期に向かって帳尻あわせをしてしまうことが多いことを「問題解決学習の問題」として提示したためだ。二人の意見は、実際に起こった事例を取り上げる場合も、また現在進行形で起きている問題を取り扱う場合も、理論的な観点から接近できるよう、小集団での議論を促す点で通じていた。

理論的な観点から問題に接近するということはどういうことなのか、実際のスーパーバイズの場面を見ていないこともあって、まだ実感が湧いてこないところもある。しかし、これまでの理解に基づけば、授業としてプロジェクト型の問題解決学習が進められる上では、開講される学年で、その学期に即した学びの到達目標が設定されていることは確実であり、通常は座学で教える内容、文献購読により関心を促す学説などを各々が自学・自習して問題解決策の検討に積極的に適用することを指しているのだろう。日本での教育実践に引きつけるなら、学生たちが自らのアイデアに固執し誰かが立案した計画をただ進行するだけでは、問題解決活動の実施にはなるかもしれないが、問題解決学習の実践にはならない、と捉えるのが妥当となろう。ランチミーティングの終わりに、ブルデューの「ハビトゥス」という言葉が用いられ、PBLでは「学生たちに専門家としてのレディネスを高めることが教育目標だ」というCasperの整理に納得がいったので、また次回のリサーチミーティングの日程も決めたゆえ、さらに掘り下げていくことにしよう。


2017年8月27日日曜日

秋の気配が

オフコースの11枚目のシングルで「秋の気配」という歌がある。詞よりも曲が印象に残り、曲よりも歌の名前が強く印象に残っている。インターネットで歌詞を調べ、それを詩として改めて読み返すと、なかなかの恋模様が綴られている。ただ、耳から入って残った印象からは、何となく木々の葉が落ち、コートを羽織ってまちを歩く人が行き交う風景が想い起こされる。

アイスランドから帰ってきて、特に予定のない一日を過ごすなか、ふと窓の外を見れば、木々の葉っぱも色づき、落ち始めていた。また、落ちた実を拾う人の姿も見たが、夏の終わりの頃に落ちていた実とは違うもののようだった。季節は確実に移っている。気づけばデンマークに来てから5ヶ月が終わろうとしている。

日本では秋になると、決まって「虫のこえ」の歌を思い出していた。実際、秋の夜長に虫たちが鳴く音がこだまするからである。ちなみに、これまたインターネットで検索をしてみると、戦前には「蟲のこゑ」と表記していたようだ。戦後世代の私にとっては、蟲と虫では、違った印象を覚えてしまう。

アイスランドに行っていたあいだの事柄を整理していると、窓から虫が入ってきた。蛾の一種のように思われた。昼間飛び込んできた彼か彼女は、夜になっても出ていくことなく、寝る直前には電灯の近くに身を寄せていた。きっと、朝になれば日の射す窓から出ていなくなっているのだろう、と考えながら、スイッチを落とし、眠りについた。


2017年8月26日土曜日

物の価値

アイスランドの滞在も最終日である。今日は移動で一日が終わる。まずはレイキャヴィーク市内から空港へとバスで移動した。レイキャヴィーク市内は大型バスの乗り入れを規制しているのか、ホテル近くでのピックアップを予約しておくと、まずは小型のバンでバスターミナルまで向かい、そこで乗り換えという段取りである。

レイキャヴィーク最終日になって、初めて雨に降られた。逆に言えば天候に恵まれた滞在だった。デンマークで買って持ってきたレインコートが役に立ってうれしかった、と言うと変な感じだが、改めてアイスランドで調達する必要がなく、助かった。というのも、アイスランドの物価は相当高いためである。


アイスランドを発つ前、空港でブランチを取ったのだが、なかなかのお値段であった。概ね、日本の物価の3倍ほどである。デンマークは消費税が高いため、結果として支払額が高くなるものの、アイスランドでは物の値段がそもそも高い。観光客価格なのではないか、と疑いたくもなるが、 島国の小国ゆえのことなのだろう。

帰りの便はオスロで乗り継ぎ、さらにコペンハーゲンで乗り継ぐ、という経路だった。そのオスロの空港では乗り継ぎにも関わらず、もう一度荷物検査を受けなければならなかった。そこで、前を行っていた女性が検査場の一角に座り込み、泣きながら何かをアピールしていた。どうやら前の搭乗地で購入したヨーグルトか何かのゲル状の食品を次の搭乗時には機内に持っていけないと放棄を促されていたようで、彼女にとっては代え難い価値があるのだろうと、値段だけでは示しきれない物に対する価値を横目に、帰路に就いた。



2017年8月25日金曜日

ずらしとゆさぶりのはじまり

国際総合防災学会IDRiM2017)3日目の今日はポスター発表が当てられていた。既にポスターは初日に掲出してあり、出会う人には縮刷版をお渡ししてきた。とはいえ、A0版をA4にしているため、読めない箇所もある。だからこそ、「見に来てね」と「ちょっとだけ説明させてください」の両面から、実践的研究への関心を惹きつけられると合理化して渡してきた。

ポスターセッションは午前中3つめのプログラムだったため、基調講演(警戒情報の伝達遅延がもたらす影響、データジャーナリズムの2本立て)と大学院生セッションと渡り歩いて会場に行くと、既にポスターの前では前学会長の岡田憲夫先生が共同発表者の堀江尚子さんに熱く語ってくださっていた。今回の発表は2017年2月のイオンモール草津での「お買いものdeぼうさい」の内容について、社会心理学の観点から防災訓練のあり方としての特徴に接近したものだが、岡田先生は「参加者(partcipant)」という表現にひっかかりを持たれたようである。要約すれば、参加者には能動的な参加者も受動的な参加者もいるため、initiative takerやresidentといった言葉を用いる、交える、その方が専門家の関わりが必要とされる場面もあるという説明には適切ではないか、といった助言を得た。



また、元カリフォルニア州危機管理局の統括責任者で、平成28年熊本地震の際には京都大学防災研究所の客員教授をされていたJames Goltz(ジム・ゴルツ)さんには「Informative Endorsement」という表現により、何らかの行動について意味創出をしながら相互承認していく好例であると評価をいただいた。加えて、京都大学防災研究所の多々納裕一先生からは、所属や立場の如何よりもIntermediator(交渉人・仲介者・媒介役)として振る舞うことのできる役割が参加型の防災では大切となると、仕掛け人である我々の振る舞いを再定義してくださった。さらに、今回の取り組みが備蓄品の購入を促しながらも日用品を生かす「道具箱」となっていることに関心が向けられた。

学会は口頭であってもポスターであっても、大会で発表して終わりではない。大会での発表内容に対するこれらのコメント等をもとに文字にしていく過程に入る。加えて、多々納先生には避難生活中における「流通」のシミュレーションも行えるのではないか、といった実践面での展開可能性にも触れていただいた。学会誌への投稿は11月が締切、そして実践は学外研究の帰国後となるため、ここには挙げなかった多くの方々の来訪・関心・助言に感謝しつつ、研究と実践の両面で、今日から徐々に「ずらし」と「ゆさぶり」のための仕込みを始めていくことにしよう。


2017年8月24日木曜日

現地で調べて少しだけ浸る

国際総合防災学会(IDRiM2017)2日目の今日も朝イチから会場に向かった。今回の会場のHarpa(ハルパ)はコンサートホールと国際会議場の両方の機能がある。そうした機能面だけでなく、デザインでもよく知られた場所でもある。今回の会期中にはコンサートは予定されていないようだが、建築そのものに関心のある人向けに、毎日、何回か館内を巡るツアーが有料で用意されている。

2007年1月に着工され2011年5月に開館したHARPAの設計はデンマークのヘニング・ラーセン・アーキテクツによる。7月に訪れたコペンハーゲンの新カールスバーグ彫刻美術館も氏の設計という。ヘニング・ラーセン氏は2012年には高松宮殿下世界文化大賞を受賞されている。もっとも、2013年6月に氏が逝去されていることも含め、こうしたことは現地に来るまで知らず、Harpaのあらゆる場所でガラスをとおして光が降り注ぐ設計に関心を向けて調べた結果、得た情報である。


そんな場所での年次大会2日目は、まずはポツダムにある「Institute for Advanced Sustainability Studies(IASS:高度持続可能性研究所と訳出してみる)」のOrtwin Renn先生による複合的なリスクに対する対応策についての基調講演に始まった。そこでは(1)ballance betweeen precautions responses and precautions responses(都市計画などによる事前の対応と発災時を想定した計画策定の均衡を図ること)、(2)combining effectiveness(専門家による効果測定), efficiency(企業等による効率性の追求), resilience(概念としては回復力・可塑性などと捉えたいが、日本ではハード面の強靱化向上と捉えられる), fairness(民間非営利組織により公正さへの配慮) to achive legitimacy(手続き的な正統性がもたらされること)といった観点が示された。加えて、多様な主体を巻き込むことや、教育プログラムや情報社会ゆえの新たな対話の機会創出も重要であると示された。

基調講演の後は2つの分科会が続き、ランチの後には学会のオフィシャルプログラムとしてフィールドワークが予定されていた。しかし、宿に帰って明日の発表の備えなどに宛てることにした。そもそもアイスランドの南部まで出かけるツアーであり、23時に終了というものであることが気になっていた。ということで、せっかくのアイスランドであったが、Harpaから宿まで大回りしつつ、レイキャヴィークのまちの雰囲気に浸るにとどまった。




2017年8月23日水曜日

陽の長い夏のレイキャヴィークで

国際総合防災学会(IDRiM2017)初日、朝イチから会場に向かった。ここアイルランドの物価は相当高い。そこで昨日のうちに朝食用のパンを買い込んでおいた。ちなみに、今回のお宿はアパートメントタイプのため、キッチンもついている。その戸棚には、前の宿泊者の方が残されたと思われるコーヒーがあり、そのご厚意に甘えさせていただいた。

会場のHARPAは海沿いにある。宿からは歩いて5分ほどの好立地に取った。朝からサングラスが要るくらいの日差しを受けながら、Sun Voyagerというオブジェのある湾岸沿いを歩いていくことにした。1990年に完成したこのオブジェは、バイキング船をモチーフに大海原へのロマンと大自然の美しさに思いを馳せたもののようである。


ちょうど、オブジェのあたりでも日本から参加の皆さんと出会っていたが、会場に着くと、馴染みの方々のお顔を目にした。そもそもこの学会は京都大学防災研究所の所長もお務めになった岡田憲夫先生が初代学会長となり立ち上げたものである。今でも京都大学が事務局の一部を担っていることもあって、関西から参加する方々も多い。早速、共同研究者として今回の大会に参加いただいた堀江尚子さん(くさつ未来プロジェクト)を何人かに紹介し、ネットワークを広げていただけるよう努めた。

大会は今回の実行委員長のGuðrún Pétursdóttir先生(アイスランド大学)、今回の大会から岡田先生に代わって二代目の会長となったAdam Rose先生(南カリフォルニア大学)の挨拶から始まった。その後は基調講演2本、分科会、ランチ、分科会、座談会、分科会、パネルディスカッションと続いた。ちなみに開始は9時で、日の長いことを受けてか、全てのプログラムが終わるのが20時30分という構成だった。分科会としては3つ目、京都大学の矢守克也先生らが座長を務める17時からの分科会「アクションリサーチと地域に根ざした災害管理」までは何とか集中していたが、終わった頃にはヘロヘロとなり、まちで1杯だけ(痛風の発作を恐れる者としては禁断の)ビールをいただいて宿に戻ることにした。




2017年8月22日火曜日

はじめてのレイキャヴィーク

明日からの国際総合防災学会のため、アイスランドのレイキャヴィークへと移動した。国際総合防災学会という日本語訳が付けられているが、国際学会である。国際学会というのは国際的な学術会議ということであり、通常は英語が標準言語として用いられる。したがって、正式名称ではthe International Society for Integrated Disaster Risk Managementである。

そして学会名の略称は「IDRiM」で、「あいどぅりーむ」と呼ばれている。これは防災が行き届いた世界を「私(I)」は「夢(dream)」見るという、発起人の一人であり、昨年まで長らく会長を務めた岡田憲夫先生による洒落のようだ。今年で8回目の開催で、私は2004年、2005年と参加し、今年が3回目である。


2004年10月のカナダでの大会がIDRiMへの最初の参加だったが、あのときは帰路に難儀をした。出国日の早朝、ホテルから向かうタクシーが迎えに来てくれなかったのである。というのも、到着日に空港からホテルまで乗ったタクシーの運転手がアルメニア人で、「自分は生まれて初めて日本人に会うから、あんたが私にとっては日本の外交官のようなものだし、あんたにとっては私がアルメニアの外交官のようなものだ」と言ってもらえたので「じゃあ、帰りの日もあなたに送ってもらいたいから、迎えに来てくれ」と頼んだものの、予定時間から30分経っても迎えは来ず、結果として予定していた便に乗ることができなかったのだ。ちょうど帰国日の夕方から夜にかけて、立命館大学サービスラーニングセンターの創設10周年の記念イベントがあったものの、あえなくキャンセル、関係各位に大変な迷惑をかけてしまったことをよくよく思い出す。

あれから3年、昨年はイランのイスファハーン(Isfahan)での開催だったが、石巻専修大学での日本災害復興学会と重なったため、そちらを選んで不参加だった。ちなみにカナダでは学会会場のウェスタンオリエント大学(University of Western Ontario)からホテルまでタクシーで移動した際、イラン人の運転手が「黒澤映画が好きで日本のことに興味を持ったんだが、なんで日本はあんなに貧富の差が集落ごとに激しいのか?」と尋ねられたことも思い出の一つである。はてさて、今回はどんな出来事が起こるのやら、楽しみである。ともあれ、今日のところは日本からやってきた共同発表者の堀江尚子さん(くさつ未来プロジェクト)とも無事合流でき、明日からの大会を滞りなく迎えられそうである。


2017年8月21日月曜日

研究発表は印刷物のクオリティーを上げて

印刷のクオリティーは可能な限り上質にした方がいい、とは立命館大学総合心理学部のサトウタツヤ先生の助言である。例えば、学位に関わる論文の紙、学会発表のポスター、それらのクオリティーを上げよう、ということだ。曰わく、研究の質を上げるのは簡単ではないが、それらのアウトプットの質は簡単に上げることができるとのことである。確かに、手触りや見栄えが読む側や見る側に与える心理的影響は小さくないだろう。

そんな助言があったから、というわけではないが、今日は明日からの学会発表で用いるポスターと配付資料の引き取りに出かけた。お店は大学構内にある自宅からバスで15分ほどのところにある。既に先週のうちにお店と連絡を取り、21日中に仕上げて引き取るためには何日の何時が締切か訊ねたところ、今朝の8時までにデータで入稿とのことであった。滞りなく入稿し、作業完了の連絡も12時27分には届いたので、閉店時間(16時!)を前に安心して取りに出かけた。

お店に着いて名前を告げると、筒に入れられたポスター(1枚)と、配付用の資料を包んだものが1束、直ぐに手渡された。なんだかとても仰々しく封がされており、その仕上がりの高さを勘ぐらずにはいられなかった。ただ、配付用資料の束の大きさが気になり、バス停でそっと封を開けてみると、A4がA3版の用紙に2in1で印刷されており、配付には裁断が必要な状態であった。あいにく印刷屋さんから大学方面のバスは本数が少なかったので、大学で裁断することにして、帰路を急いだ。

大学に着いて改めて配付用資料の束を開封してみると、白黒(BW)でと指示を出していたものの、何とも上質な紙にカラーで印刷がなされていた。恐らく、早く印刷するために、出力枚数を減らすためにA3にて作成データのまま(つまり、文字は全て黒にしたが、写真素材などは白黒変換しなかった)出力しためなのだろう。とはいえ、ポスターがA0サイズのため、それをA4にしたものでは読みづらい箇所もいくつかあったが、カラーの素材が含まれていると、雰囲気から内容を判別しやすく、思わぬ効果があった。ちなみに裁断機があるのは大学の印刷室で、クオリティーを問わなければここでもできたな、とは後の祭りである。


2017年8月20日日曜日

天気を気にするお国柄

明後日から、アイスランドに出張する。防災・災害に関する国際会議での研究発表のためである。内容は2017年2月にイオンモール草津で行った「お買いものdeぼうさい」について、その参加者の語りから、防災訓練としてどのような特徴が見られたかに焦点を当てたものだ。社会心理学の一分野、グループ・ダイナミックスを専門とするため、企画者と参加者のあいだの関係性に着目したものである。

今回はポスター発表という形式で発表する。学会発表では口頭発表、ポスター発表、ワークショップ、シンポジウム、などが発表の形式として選択される。口頭発表は15分程度の持ち時間の後で3分から5分程度の質疑応答に応えるというもの、ポスター発表は発表者ごとに用意される畳1枚分くらいのついたてに発表資料を掲出して概ね30分から1時間くらい説明要員として立ち適宜説明と質疑応答を行うというもの、そしてワークショップやシンポジウムは企画書をまとめて実行委員会などにより総合的に判断されて受け入れの可否が判断される。今回は2月の企画を当初から深めてきた「くさつ未来プロジェクト」の堀江尚子代表にも共同発表者として参加いただくので、より多くの方との対話を通して内容を深めるためにもポスター発表を選択した。

私はどちらかというと口頭発表の方が好きである。スライド作成を含めてプレゼンテーションに少しだけ自信があるためだ。しかし、シンポジウムにおけるパネルディスカッションも含めて、そもそも口頭での発表は紋切り型となりやすい。この点については東京大学の中原淳先生が以前に秀逸な類型化(尻切れトンボ、みんな違ってみんないい、オレオレ質疑、過剰プロレス、リンダ困っちゃう!?、の5つ)をされており、興味深い。

発表の素材は首尾良く段取りを整えたものの、気がかりなのが天候である。デンマークもそうだが、アイスランドは大変不安定な天候らしい。そんな心配をしていると、今日のオールボーもまた、日が差す中で大粒の雨が窓に打ち付けてきた。ということで、アイスランド行きの荷作りにあたっては、先般購入したデンマーク仕込みのレインコートを忘れずに入れることを忘れぬよう、心しておかねばなるまい。


2017年8月19日土曜日

また世界のどこかでの再会を

今日は10時の待ち合わせで、日本からお越しになった皆さんにオールボーを案内した。お越しになったのは大分・博多・佐賀の皆さんで、別府にある立命館アジア太平洋大学の先生をご縁に訪ねて来られた。もっとも、その先生とも直接お会いしたのは私が行きつけの京都の北京料理のお店で1度だけ、である。その際、オールボー大学での学外研究をすることをお伝えし、その後にFacebookなどでやりとりが重ねられた結果、こうして現地で再会する運びとなった。

まずは噴水広場(toldbod plads)の辺りから、Nytrovにある雑貨店Søstrene Greneに、その後はイエンス・バング邸をバックに記念撮影、そして繁華街をそぞろ歩いて、市庁舎前からオールボー大学へと向かった。あいにく、休日ということもあり、私のアクセスカードで入ることができる場所のみの案内となった。それでも、鍵がかかっていない講義室を含め、PBLが中軸として据えられた大学での学びの環境について知っていただくことができた。ラーニングコモンズと言ってよい、ベンチソファーのボックス席にて1時間半程度、意見交換を重ねたことと、あいにくの雨に見舞われたことで、大学図書館には立ち寄らず、13時半ごろに市内へと向かうバスに乗った。

お越しになった皆さんは翌朝が早いということもあり、ランチは軽めに、そしてディナーを早めに、というお望みであった。そのため、ランチはオールボーで行きつけのハンバーガー屋さんに、そしてディナーはビュッフェスタイルで各々に好きなものを選ぶことができるお店とした。お泊まりはAir B&Bであること、また6人でお越しということもあって、翌朝の移動にはジャンボタクシーを手配しようとお考えだったため、私が既にダウンロードしていたタクシーアプリで予約をお助けしようと思いきや、4人以上の場合には2回以上に分けて頼むか、電話で予約を、との案内がなされていた。そのため、ハンバーガー屋さんのオーナーにお願いし、電話での予約を入れていただいた。

遅めのランチに舌鼓を打った後は、再びまち歩きとなった。GEORG JENSEN(銀細工で有名なブランドだがオールボーでは布製品のみ扱う)、Normal(ドラッグストア)、C. W. Obels Plads(広場)、Aalborg Kloster(現在は高齢者施設になっている元修道院)、Budolfi Kirke(大聖堂)、Hjelmerstald(アート系のアトリエが並ぶ小径)、Tiger(雑貨店)、そして中央図書館へと向かった。その後は、Salling(百貨店)などでの買い物組と、イエンス・バング邸の地下のレストランでの休憩組に分かれた。そして17時30分からの夕食の後、世界のどこかでの再会を誓って、散会となった。



2017年8月18日金曜日

見たままの仕上がりになるはず

今日は家で缶詰となって仕事をした。来週に迫った、国際総合防災学会のポスター作成である。どちらかと言えば、ポスター発表よりも口頭発表を好んできた。しかし、逃げ切り型とでも言うべきか、12分ほどの紹介と3分ほどの質疑応答では内容を深めきることができないと、学会発表そのものに疑問を抱くことが増えてきた。その一方で、業績を重ねていくためには、そうしたアウトプットを重ねると共に、他の発表からのインプットを欠かさずにいることが求められる。

国際総合防災学会は2年前のインドでの大会に初めて参加した。研究の分野を文系と理系という2つに分けるなら、理系の研究者らが多く集う傾向にあるように思われた。もっとも文系と理系という大別はあまり効果的ではなく、物語よりも法則が求められ、事態の認識だけでなく理想的な未来を構想・設計していく姿勢が求められている、という方が適切だろう。そのため、前回の参加の発表では、気仙沼でのツリーハウス制作の事例と、そこにまつわる不便益の益といったことについて接近したものの、「unusefulness」よりも「redundancy」という言葉が妥当ではないか、といった用語の議論に留まり、復興や防災に対する深い思索には貢献できなかった気がしている。

昨年はイランで開催されたものの、ちょうど日本での災害復興学会と重なったために不参加とした。2年ぶりの参加に際しては、前回の姿勢を反省し、ポスター発表で臨むこととした。また、共同発表者と共に、その意味を掘り下げることにした。題材は2017年2月に行ったイオンモール草津での防災イベントである。

ポスターはA0サイズでの作成が指定されていた。今年の1月に人と防災未来センターで行われた「災害メモリアルアクションKOBE」にて、A0でのポスター制作が求められたため、その際の経験をもとに、文字サイズなどを工夫した。その昔、MacではWYSIWYGという、画面表示と印刷出力が一致するという理念が貫かれていたが、それも今は昔、モニタの解像度が上がり、状況は異なっている。17インチのノートパソコンがあるので作成には苦労することなく仕上げることができたものの、はてさて、実際の仕上がりが満足いくものとなるか、月曜日に予約した出力の結果に戦々恐々である。


2017年8月17日木曜日

1431年からの伝統

昨日からオールボーでは「Aalborg Festival」が始まっている。27日まで、多彩なプログラムが展開されるもようである。現代美術や最新技術を使ったゲームなどのプログラムもあるものの、音楽が大きな位置を占めているように見受けられる。実際、市内の広場には演奏用のステージがいくつか組まれていた。

そうした中、今日は妻と共に市内中心部にある古い修道院を見学しに行った。現在は高齢者施設になっている場所である。ここは夏の間だけ、毎週火曜日と木曜日の週2回、1日1回、14時から1時間半ほどのツアーがなされている。ホームページでは、今年は6月7日から8月22日まで開催日と案内されていた。

あいにく来週はアイスランドでの国際総合防災学会への参加のため不在ということもあり、今日が見学のラストチャンスだった。受付を済ませると、今日の案内はデンマーク語であると説明があった。それでも、案内いただいた方の好意で、デンマーク語の後に英語での簡単な要約を付けていただけた。ちなみに12人が参加したが、9人がデンマーク語だけの説明で理解を深めていた。

修道院は1431年に設置、その後、ルターの宗教改革などの影響を受けながら、その存在と機能を時代に応じて変えながら、現代まで残ってきた。デンマーク語がわかれば、深い理解が及んだところである。ただ、英語力の向上もまた必要である。そんなこともあって、帰宅後は以前購入して、デンマークにも持って来たNHKの語学講座のテキストとCDを引っ張り出し、耳学問での学びへの扉を今一度開くことにした。


2017年8月16日水曜日

霧のアムステルダムにより

日本からお越しになった友人夫妻、本日の午前中の便で帰国ということもあって、妻と共に朝からオールボー空港へ見送りに向かった。ところが、空港での案内を見て仰天した。アムステルダムからの便が到着できなかったため、アムステルダム行きの便が欠航となったのである。KLMの配慮もあってか、翌日便への振り替えではなく、夕方便でアムステルダムに行き深夜のインチョン便への振り替えで関空に戻ることになったため、午後の早い時間まで、オールボーを追加で観光することになった。

ある程度オールボーを回っていたこともあり、向かう先に悩んだ。それでも、私たちもまた行ったことのない、オールボータワー(Aalborg Tårnet)に上ることにした。ホームページによると、1933年に開催された博覧会のために建築されたタワーは、撤去費用に40,000クローナかかることがわかり、5,000クローナで払い下げられ、現在まで展望台として運用されているという。アムステルダムは飛行機が飛ばないほどの濃霧だったようだが、午前中のオールボーは晴れだったため、山のないデンマークにあって海抜は105mに建てられたタワーでは、レトロな雰囲気からの眺望を楽しむことができた。


オールボータワーの後はAalborg Street Food The Lighthouseへと向かった。以前も足を運んだ屋台村というか、フードコートである。秋から冬へと季節が移ることを想定してか、前回は人でごった返していた室内に椅子とテーブルが並べられ、雨風の入り込みを抑えるためのシャッターが閉められた状態となっていた。私は相も変わらずカレーを食し、4者4様でランチを楽しんだ。

その後は少し早かったが空港へと向かった。オールボーの空港は小さい上、シェンゲン協定圏内での移動であれば、パスポートコントロールを通る必要もない。おみやげエリアへと足を運んだ姿を見て、ガラス越しにお別れの挨拶をして、名残を惜しんだ。なんとなく日本を懐かしみ、夕食はお好み焼きにということになり、自宅にて遠い祖国に思いを馳せてみた。



2017年8月15日火曜日

行きは良い良い帰りは怖い

友人夫妻とのデンマーク旅、今日は古いお城へに旅をした。それぞれに昼食を終えて、オールボーのバスターミナルに集合し、バスでの旅となった。まずは北ユトランドの東岸に位置するBrønderslevのAsaa行きの長距離バス974xに乗り、Dronninglundで278のHørby行きに乗り換えた。ちなみに、こうした乗り換えの検索は「rejseplanen」というサービスを使うのが最適である。

目的地のVoergård Slotの最寄りのバス停はVinkestrækningとされていたが、バスの運転手さんが「城に行くのか?」と訊ねてくださり、城の前で停まってくれることになった。これはこれで便利だったが、このことが帰りの道のりを困難なものにさせたのである。ちなみに博物館として公開されている城の内部は写真撮影が禁止、そして自由な見学も許されず、1時間に1回のデンマーク語でのツアーに参加する以外に方法がないとされた。それでも、城の見学を目的としていたので、貸し出された英語での解説文
を手に、ルネッサンスの時代からの建造物と品々を鑑賞させていただくこととした。



そして、困ったのが帰り道である。Googleマップではバス停とされているはずの場所にバス停がなく、途方に暮れてしまったのである。以前、ドイツのベルリン郊外に行ったとき、土日はオンデマンド方式で運行されているバスがあることを体感していたが、お城に来るまでのバスは予約もしなかったし、逆向きのバスにもすれ違っていた。釈然としないところではあったが、1停留所分を歩いて、オールボー市内までのバス停に向かった。

今回歩いたのは1停留所分だったが、街中と違ってバス停とバス停のあいだが離れている。今回は3kmほどあった。しかもデンマークの不安定な天気にたたられて、40分あまりの道のりを歩み始めたところで雨にやられてしまった。ともあれ市内に戻ると、予約していたビールの醸造所によるレストランに直行し、日本人にとっては驚きのサイズの飲み物・食べ物をいただき、4人で過ごすこの旅の最期の晩餐を楽しんだ。



2017年8月14日月曜日

北端を目指して

友人夫妻とのデンマークの旅、今日は北端のスケーエンへと向かった。オールボーからはフレデリクスタウンを経由し、電車一本で辿り着くことができる。しかも、これまでは必ず乗り換える必要があったものの、8月6日からはオールボーからスケーエンまで直通電車が行き来することになった。実際、行きはフレゼリクスハウン(Frederikshavn)で乗り換えたが、帰りは直通電車で戻ってきた。

今日の目的地は北端のまちの北端、グレーネン(Grenen)であった。スケーエンからグレーネンには、は8月5日までは「サマーバス(sommerbus)」が運行されていたものの、既に夏が終わったと捉えられるのか、最早公共交通機関では行く術がない。そこでスケーエン駅の横にあるレンタサイクル店で4台借り、北端の北端を目指すことにした。ちなみに2人乗車のタンデム自転車もあったが、一人1台、ゆったりと北を目指していくことにした。



自転車を借りてすぐ、駅のロータリーに出店していたデンマーク名物のプルセボーン(Pølsevogne、いわゆるホットドッグ)で小さな腹ごしらえをし、自転車を走らせた。灯台や渡り鳥の飛来地などを横目に、20分ほどで辿りついた。そして自転車置き場からは25分ほどかけて突端へと歩いていった。すると、西からの波と東からの波がぶつかる場所へと辿り着いた。

サマーバスの運行が終わったとはいえ、デンマークの北端は多くの人で賑わっていた。自転車置き場、バイク置き場、駐車場、そしてお手洗いやお土産売場のあるエリアまでは、片道20クローナで乗車できるトラクターが牽引するワゴンで戻ることにした。そして、スケーエン派で知られるアンカー夫妻(Michael and Anna Ancher)の作品が多く展示されているスケーエン美術館や、ガラス工芸品のお店などに立ち寄って、自転車を返してオールボーへと戻った。今日の晩ご飯はそれぞれに食べることにし、また明日の旅へと備えた。


2017年8月13日日曜日

デンマークの歴史と文化に触れる日

友人夫妻とのデンマークの旅、今日はデンマーク2番目のまち、オーフスへと向かった。オールボーからオーフスまでは電車で1時間ほどである。現在、ヨーロッパ文化首都としてのキャンペーンを展開していることもあって、駅舎やまちなかには「A WORLD CULTURE YEAR OF CHANGE」や「MAKE THE MOMENT」や「LET'S RETHINK」といったバナーが掲げられていた。駅に着くなり、アルネ・ヤコブセンらが手がけたという市庁舎前からバスに乗り、Moesgaard Museumへ向かった。

モースゴー先史博物館(Moesgaard Museum)は今回の旅で、ご夫妻が最も楽しみにされていた場所である。ここにはグラウベールマン(Grauballe Man)と呼ばれる湿地死体が展示されているのだ。ミュージアムカフェで昼食をいただいてから鑑賞をしたのだが、私にとっては、文化首都の関係で制作された特別展「Journey(デンマーク語ではRejsen)」の映像にいたく感じ入った。YouTubeで公開されている1分35秒のプロモーション映像でその概要には触れることができるものの、誕生・恋愛・脅威・理性・信仰・喪失・死亡の7つの観点から死と生について取り上げられた秀逸な作品は実際に足を運んで鑑賞いただく他はなく、11月26日までという会期のあいだ、ぜひ多くの人に目に留まることを願っている。


博物館の後はバスにてマーセリスボー城(marselisborg slot)へと向かった。外観のみの見学ではあったが、現在も王室によって使われることもあるという屋敷の有り様を間近で見ることができた。そして、大聖堂などのある市内中心部を散策し、オールドタウン(Den Gamle By)と呼ばれる場所へと向かった。さしずめ岐阜県犬山市にある「明治村」のような場所で、古い建築物が移築された屋外ミュージアムであった。

歴史と文化に触れることができ、ご夫妻には大変満足いただけたようである。私にとっては、久々に持ち出したカメラのシャッターチャンスに恵まれた旅となったことで満足度が高いものとなった。夕食はオールボーに戻ってからとして、予約はしていなかったものの、ビュッフェスタイルのレストランでいただくことにした。日本から駐在している方に教えていただいた場所で、私たちもまた初めて訪ねたのだが、野菜や肉など、食べ物の選択肢が多いのが有り難く、今後またご案内する候補として位置付いたレストランである。


2017年8月12日土曜日

日本から帰るや否や

新千歳から台北に入ってから5時間あまり、日付が変わって直ぐの深夜便にて台北からアムステルダムに向かい、3時間ほどの乗り継ぎでオールボーへと向かった。ちなみにアムステルダムまでの便とアムステルダムからの便では預け荷物の規定が異なるため、詰め替えの作業が必要とされた。特にスーツケースに入れていた10kgの魚沼産コシヒカリが幅を利かせていたため、機内持ち込み荷物の方に移し替えることにした。ちなみに機内持ち込みは12kgまでのため、要件ギリギリでの搭乗となった。

オールボー空港では、既に日本から到着していた友人夫妻と共に、妻が出迎えに来てくれていた。まるで運び屋か行商人か、もしくは旅芸人か、という感じの出で立ちで到着ロビーに出て行ったため、ささやかに笑われてしまうことになった。実際、スーツケースにボストンバックにギター、そしてバックパックという出で立ちゆえ、笑われてもおかしくなかろう。空港からはバス一本で移動できる自宅へと向かい、まずは荷物からの開放を求めることにした。


そして、岩手・大船渡でいただいた酒粕入りのスポンジケーキと緑茶などで一服した後、ご夫妻をオールボー大学に案内した。共同研究室、心理学科の教職員ラウンジなどを見ていただいて、その雰囲気を感じ取っていただいた。その後、大学図書館へと向かったものの、なぜか私のアクセスカードでは解錠されず、外からの眺めに留まってしまった。そして近所のスーパーで買い出しをして、自宅へと戻った。

晩ご飯は自宅でのホームパーティー形式とした。私がオールボー大学への案内に出ているあいだ、妻が料理を準備してくれていたのであった。話に花が咲いたものの、私の長旅による反動に気遣いで、食事の後の懇談が長くならないよう配慮をいただいた。それでも明日からの旅のプランだけは確認、整理し、バス停までは見送りをさせていただいた。


2017年8月11日金曜日

温泉からの蕎麦経由でのフライト

昨晩は3日間のキャンプの疲れもそぞろに、小樽で海の幸などに舌鼓を打ち、5月にデンマークでお会いした方との再会の宴もあったので、朝に温泉を楽しませていただいた。2月にも泊まった太美温泉である。デンマークでは浴槽のない生活をしているためか、以前よりも長くお湯に浸かることができなくなった気がしている。その一方で疲れが溜まることもないのだが、休憩エリアに置かれていたコインでのマッサージ機では、思わず声が出てしまうくらい、愉悦のひとときを過ごした。

トレー一杯に小鉢やお皿が並んだ朝食をいただいて、部屋にて書類の整理を行っていると、程なく、昨日までお世話になった当別エコロジカルコミュニティーの山本さんによるお迎えの時間となった。石狩当別駅横の「ふれあい倉庫」に立ち寄っていただいたので、当別の地場もののお菓子を購入し、ご自宅にお邪魔した。そして、改めて3日間の取り組みを振り返った。すると1時間ほどで、新千歳空港までお送りいただく時間となった。


新千歳空港には栗山町を経由し、小林酒造によるお蕎麦屋さん「錦水庵」に立ち寄った。お昼前にもかかわらず既に入店を待つ方が多く、受付名簿に名前を記入した後には、お酒の試飲とあわせて記念館の見学をさせていただいて待つことにした。30分あまりで入店すると、お蕎麦は淡い「せいろ」と濃い「田舎」の2種類から選ぶことができたので、デンマークではありつけそうにない「田舎」を選ぶことにした。天ぷらとあわせていただくと、これまた何とも言えない愉悦のひとときを過ごすこととなった。

新千歳空港はお盆の入りを迎えることもあって、かなり混雑している様子だった。既に京都からお米などを空港宛に送っていたのでそれらを預かり所で受け取り、手早くチェックインをすると、空港内の郵便局へと急いだ。もろもろの出張や経費の処理のために必要なもの、また一部、手渡しができなかったお土産などを一気に発送したのである。そんな郵便局での事務作業の最中にカウンターから呼び出しがあり、何事かと急いで戻ると、「お買い物クーポン券を渡しそびれていた」とのことで、大汗を書きながら渋い表情を浮かべつつ丁重にお断りをし、大急ぎで搭乗ゲートへと向かい、アムステルダム経由でのオールボーへの旅路に就くため、まずは台北へと飛んだ。




2017年8月10日木曜日

仕込みの苦労は見せないが

当別エコロジカルコミュニティーによる「北海道高校生自然環境ミーティング」、3日目である。昨年度とは異なり、最終日までものづくりの活動を引きずらないように促していたものの、前夜もまた1時過ぎまで作業をしていることは確認していた。これらを受けて、3日目のプログラムでの力点を少し工夫せざるを得なくなった。そこで朝食の後、今日の流れについて、当別エコロジカルコミュニティーの山本さんと相談、確認することにした。

朝には昨晩のワークを受けて、先生方から講評を述べていただくことにした。残念ながら、この内容を受けて、さらにその後の動きに修正が必要であると判断した。簡単に言えば「できたこと」に対する評価ばかりが続いたためである。それぞれの先生方は2人ペアになり、同じく当別エコロジカルコミュニティーのスタッフさん1人も入って、3班に分かれ生徒さんたちと共に活動したはずである。ところが、「私たち」という一人称複数形ではなく「あなたたち」といった二人称複数形により、「先生」という三人称を主語に、達成内容についての評価が語られていったのだ。


そこで、その後の振り返りのワークでは、ことさらに振り返りという言葉を強調せず、それぞれの思いを言葉にし、他人と比べ、違いを認め合うことの意義を深めていくことにした。まずは自然環境という言葉を言語化できる水準を自己評価してもらい、その水準の高低をもとに一列に並んでもらうことにした。昨日までの出会いと関わりの中で、他者と比べたときに自分はどこまで自然環境に対して関心を持ち、理解を重ねてきているのか、ある種のピアレビューを行おうという企図であった。その後、同じ水準の3人で組をつくり、互いの認識を語り合ってもらうことにした。(ただし、3人ずつ区切ったところ、低い水準にあるとされた人が2名となったため、1番目と2番目に高い水準にあるとされた組に入ってもらい、4人組とした。)


このときに使ったのがA4版の用紙で、短冊状に2回折りたたんでもらうことにより、用紙を横使いにしたときに4つの記入欄が浮かび上がるようにした。3人組のトークの最初、一番上の欄に「自然環境とは何か」を書いてもらって、互いの認識を語り合ってもらったのである。続いて1つの円に並び直してもらった後、「私は自然環境にどう関わるか」と、1つ飛ばして「呼ばれたい名前あるいは呼んできてもらった名前」を記入してもらい、「5分のあいだにできるだけ多くの人の意見を聞き取る」というワークを行った上で、空白となっている3段目の欄に「今後、私たちは自然環境のために何をすべきか」を書き入れてもらい、今回の参加者に対する提案として発表してもらうことにした。こうして「主語を私にする」「量を大事にする」「質を大切にする」「相互承認によって合意形成をする」という工夫を重ねたのだが、ある方から「今回ほど準備をしなかった時はなかったのに、良いミーティングになった」という感想が吐露され、緻密な仕込みを重ねたつもりの身としては、どっと疲れがこみ上げてしまったというのが正直な思いである。


2017年8月9日水曜日

することとなることのあいだ

当別エコロジカルコミュニティーによる「北海道高校生自然環境ミーティング」、2日目である。私が関わらせていただいて3年目だが、この3年で最も自由度が高い時間を過ごしてもらうことにした。ただし、初日に「昨年度の宿題」を発表する時間が設けられていなかったことに気を揉んでおられた先生がいたことを受け、朝食を終えて片付けがなされた後、直ぐに生徒さんたちから発表してもらうことにした。前日に行わなかった理由としては、プロジェクターを使って、用意してきた素材が説明されることにより、その場で積み上げられてきた議論と、その雰囲気が大きく変わってしまうことを危惧したという点があったのだが、用意してきたものが披露できないことで不満が募るのもまた本望ではなく、朝一番に行うことにしたのである。

こうして即興により場が組み立てられていく中で、せっかくプロジェクターを用意したのであれば、ということで、私からミニレクチャーをさせていただくことにした。立命館大学でのサービスラーニングによる学びのスタイル、またオールボー大学における問題解決のための学びのシステム、それらを念頭に踏まえながら、地域を、社会を、地球をよりよくするとはどういうことかについて問いかけを重ねたのである。そこでは、活動の目的と目標の違いに関心が向くようにと、「する」と「なる」の語尾の違いをもとに、現状を観察し、原因を分析し、理想を構想し、当面の活動を設計する際のポイントを示した。そして、昨晩のうちに編成した3つの班により、それぞれの活動を進めてもらうことにした。


3つの班を活動の種類により大別すると、ものづくり、場づくり、リサーチの3つとなった。ものづくり班は自然環境により深く触れるための解説・案内・情報を記した看板をつくる、場づくり班は秘密基地をコンセプトに自然環境に気軽に親しむための空間を構成する、リサーチ班は新たに町内に生まれる施設が自然環境への関心を抱く拠点となるように情報収集を行いつつ行動を促すために地図に表現するという方針で活動されていった。それぞれの班には各校の先生がペアで配置され、加えて当別エコロジカルコミュニティーのスタッフが1名ずつ配置された。オールボー大学でのPBLで言えば、先生方はファシリテーターとして機能し、スタッフの皆さんはスーパーバーザーとして存在してもらえればと願っていたが、どちらかというとその役割は反対になっているようにも感じた。

もちろん、全ての班、生徒たち、先生方、スタッフがそうであるとは言えないが、現状の分析というのは自分がちが置かれた状況に対する制約条件を整理することと捉えられる傾向にあるように思われた。ところが今回は、自然環境がよりよくなるための活動を構想することが重要であり、そのために求められる現状の分析とは、今、自分たちの身の周りがどういう状況にあって、その何が問題であるかを定めることから始まると示したつもりである。ところが、いくつかのグループは「何をすれば自然環境がよくなる活動になるか」という観点で議論が進められていたようにも見受けられ、それでは人間と自然環境とを切り離した上で、人間を主体とする自然環境を対象とした活動になってしまい、人間側の事情に基づいた現在から未来への流れ(フォアキャスティグ)であって理想から紐解いた当面の活動への接近(バックキャスティング)ではない。ともあれ、一連の思考パターンに対する学びも深めて欲しいという思いから、そっと動きを見守ることにしたのだが、ある班のメンバーが途中で離脱を希望するという事態も起き、そこにはどうにも介入が必要と判断し、チームワークによる体験学習において蔑ろにしてはいけない点を指摘することにした。


2017年8月8日火曜日

大人は落としどころをつい探す

気仙沼・唐桑の「つなかん」を5時半に出て、仙台空港へと向かった。昨日の昼を斉吉商店さんでいただいてから、車内では私のiPhoneに入れていた志の輔師匠の落語が流れ続けた。「震災後、CDで志の輔師匠の『はんどたおる』を聞いたとき、涙が出るくらい笑って、笑うことって大事だと気づいた」という和枝さんのお話しを受けてのことである。唐桑から仙台空港までは2時間半あまりなので、3席は楽しむことができた。

台風が接近していたものの、仙台空港はそれほど雨風の影響を受けていないように思われた。まずは先を急ぐ方々を降ろし、ガソリンを満タンにしてレンタカーを返し、私は10時過ぎの新千歳空港行きの便を待つことしにした。西へ向かう便が軒並み欠航となる中、カウンターでは新千歳行きも天候調査中であると告げられた。目的地へと限りなく近づこうと運行を続ける鉄道と違って飛行機は天候調査により出発地に戻ろうとする、志の輔師匠の落語ではそんな落語の「まくら」があることを想い起こしながら待機していると、間の悪いことに、仙台空港上空で着陸を待機していた便が新千歳空港に引き返すこととなり、それにより乗るはずの便が欠航となってしまった。


北海道へは当別エコロジカルコミュニティーによる「北海道高校生自然環境ミーティング」をプロデュースする役割があったため、何とか移動の手立てを考える必要があった。そこで悩んだあげく、最も早く到着できること、可能な限り出費を抑えること、それらをもとにカウンターで相談すると、その時点で対応可能で確実に運行が決まっている振り替え便は羽田〜新千歳であると案内された。そこで仙台駅から東京まで新幹線に乗り、品川から京浜急行で羽田空港へ、そして新千歳に飛んでから札幌駅で石狩太美へと向かうと、夕食の後のワークには間に合うことがわかった。本来は全道から参加する午後のプログラムから参加するはずだったのだが、致し方ない。

結果としてウェルカムバーベキューの途中で合流でき、片付けの後、今年で10周年を迎えるミーティングの座談会を行い、そのコメンテーターを担うということで徐々に場に参画することにした。座談会では初年度から実行委員として参加する先生と、当別エコロジカルコミュニティーの山本さんと、2人を聞き手として、3人のOBたちが高校生だったときに何を行い、そこで何を体験し、今の暮らしにどのような影響がもたらされたのかが語られた。これを受けて、今年、偶然にも10年目に参加することになった生徒さんたちが「何をしたいか」という純粋な欲求を黒板に記することでぶつけてもらうことにした。そして、それらのアイデアの中から「自分がリーダーとなり、今回の参加者たちと共に実施したいと思うこと」がある人に立候補してもらい、参加者に対してメンバー募集のプレゼンテーションをお願いし、早々に3つの班が出来上がったのだが、若さのみなぎる生徒さんたちは日付が変わっても議論は終わらず、一方で先生方は「落としどころ」を探るという、何とも対照的な場が生み出されていた。




2017年8月7日月曜日

理想を目指す日々と現実を過ごす日々

岩手・大船渡で朝を迎えた。3月にもお邪魔したホテル福富さんの朝食は、ホテルと掲げられながらも良い意味でお宿の朝食という感じで好感を持っている。テレビでは8時の推定で中心気圧が975hPaという台風5号の接近により、四国・近畿・東海で記録的豪雨のおそれがあることが報じられていた。その後、メールをチェックすると、翌日からお伺いする「北海道高校生自然環境ミーティング」について、参加生徒たちの移動手段について案じた照会が届いていた。

前日に続き雨模様の大船渡だったが、チェックアウトの後、キャッセン大船渡の脇で三陸国際芸術祭のための作品を制作する井上信太さんを訪ねた。この9月に帰国予定というオランダから京都精華大学に1年間留学しに来たシュエッツさんの振る舞いについて、「コミュニケーションが全然できひんかったけど、こっちに来てから飯も炊けるようになったし、やっぱり現場はすごいわ」と仰っていたのが印象的だった。信太さんから「一緒に写真撮ろう」と誘っていただいたので喜んでお応えした。そして、デンマークで購入したチョコレートを2セット置き、知恵が文化を豊かにし、文化が人間関係を豊かにすると実感した現場を後にした。


そしてホテル福富にてお借りした洗濯物を引き取り、昨日お世話になった大先輩の水野さんのお宅にご挨拶に伺い、大船渡から気仙沼へと向かった。ちなみに大船渡の盛町では来年の5月の連休に天照御祖神社の五年祭が開催されるとのことであり、再訪へのお誘いをいただいた。一方で気仙沼には再訪を約束しながらなかなかお邪魔できなかったが、やっと訪れることができた。月曜日ということもあり、お休みの店がいくつかあったのが残念だったが、アンカーコーヒー・マザーポート店でランチをいただき、海の市シャークミュージアム、お魚いちば、そして唐桑半島ビジターセンター・津波体験館に立ち寄り、目的地である唐桑御殿つなかんへと向かった。

唐桑御殿つなかんは、立命館災害復興支援室により、東北ツリーハウス観光協会による4号「つなまる」をつくった場所である。お披露目されたのがちょうど2年前の8月7日、そしてその日は「あやこばあ」の初盆だったのだが、今日は「つなかん」の経営母体である盛屋水産の社長「やっさん」らの初盆だった(そして、やっさんの遺影は私が2014年8月22日にツリーハウス制作の際に学生たちと乗船体験をさせていただいたときに撮影したものであることがわかった)。底抜けに明るい女将の一代さんには、第一声になんとお声掛けすればいいのか、ささやかに戸惑いがあったのだが、ツリーハウス下のウッドデッキから、既に牡蠣剥きの道具などが取り払われて卓球台が置かれていた工場のあたりにいた一代さんに手を振ると「おかえりー」と、いつもの声で迎え入れてくれた。ツリーハウスを一緒につくった当時の災害復興支援室担当次長である廣井さんと、ツリーハウスの制作以前につなかんにお邪魔してきた森くん・西崎さんと共に訪れたが、岩手の久慈から嫁いできた一代さんが「理想の嫁」「自慢の母」になるべく人には言えない努力を重ねてこられたことに触れ、何かをするということは、よりよい未来を「目指す」ことばかりではなく、丁寧に今を「過ごす」ことも重要なのだと改めて痛感する、貴重な時間を過ごすことができた。



2017年8月6日日曜日

非日常と日常との往復の中で

福島・楢葉で朝を迎えた。今回もお世話になった「しおかぜ荘」では、少年野球の団体が泊まっているということで素泊まりでの宿泊となったが、昨晩、楢葉に新たに開店した小料理屋「結のはじまり」の閉店まで一緒に過ごした森亮太くんと偶然にも出発前に会うことになった。一緒に働いている方にくれぐれも上手く導いて欲しいとお願いし、西崎芽衣さんと合流すべく竜田駅へと向かった。そして、楢葉町役場を通して支援されている一般社団法人ならはみらいによる交流促進事業の拠点「みらいハウス」に滞在している「そよ風届け隊」の立命館大学生2名を訪ね、ここで副代表の吉村大樹くんを車に乗せ、代表の森雄一郎くんの見送りのもと、一路、岩手・大船渡へと向かった。

大船渡へと向かう間、登米の道の駅「林林館」の森の茶屋で休憩を取り、気仙沼の斉吉商店さんでお昼をいただいた。間もなく新店舗「鼎・斉吉」の開店間際だが、社長(純夫さん)と専務(和枝さん)のお二人により、いつもながら素敵なお味を堪能させていただいた(ちなみにうろ覚えながら、サンマのつみれ汁、サンマのおから和え、ナミビア産ずわい蟹のしんじょうの湯葉包み揚げ、鰹と蛸のお刺身を八木澤商店さんの醤油とポン酢で、茄子と胡瓜とミニトマトの冷製煮込み、金のさんまと土鍋ごはん、茄子と布海苔の味噌汁、わらび餅)。例によって福来旗による温かい送り出しの後、車は徳仙丈を目指し、ツリーハウスの0号、1号、そして帰りには5号を見学した。同行したメンバーのうち、災害復興支援室の久保田副室長、西崎さん、そして吉村くんはいずれのツリーハウスも全て初めて見ることとなり、それぞれに取り組んできた復興の過程では触れてこなかった種類のものと出会っていただけたと捉えている。


気仙沼から大船渡に向かう間には、陸前高田に立ち寄った。高田町の「うごく七夕」と気仙町の「けんか七夕」の前日ということもあり、まちが活気づく中、4年にわたり副市長を務めた久保田先生の案内により、4月27日に開業したばかりのショッピングモール「アバッセたかた」にお邪魔し、ササキスポーツさん、そして陸前高田市立図書館を訪れた。沿岸部でも平野部が広がる陸前高田では、嵩上げ工事が終わったこれから、まちが徐々につくられていく。図書館で行われた開館記念企画「本の福袋」など、興味深い取り組みにも目が留まり、今後の動きにもまた関心を向けていきたい。

そして陸前高田の隣、大船渡に到着すると、まずはホテル福富さんにチェックインをし、車を置いてからBRTにて盛へと向かった。ここでは今年もまた、4日から立命館大学生らが、明治大学の学生たちと共に「盛町灯ろう七夕まつり」のお手伝いにお邪魔している。途中、大船渡駅にて井上信太さんの作品(3月のマグネットアートに続いて、バードハウス100プロジェクトが展開されていた)に触れ、本部に集う立命館大学生らをねぎらった。そして大先輩の水野さん宅にてお祭りの見学と放談をさせていただいた後、3月にオープンしたショッピングモール「キャッセン大船渡」の「KAIZAN」にて、さらなる放談を重ねた。


2017年8月5日土曜日

元に戻すのではなく新たに興す

7時10分に関西空港発のpeachで仙台空港へと向かった。京都からこの飛行機に乗るためには、乗合での空港シャトルを予約するか、自家用車で行くしかない。今回の東北でのフィールドワークでは、立命館災害復興支援室でお世話になった廣井次長と途中まで同行するということもあり、空港まで送っていただくことした。仙台空港からは予約していたレンタカーにより、南へ北へと進路を取っていく。

まず訪れたのは閖上の日和山である。到着すると「震災を伝える会」というポロシャツを着た方が目に留まり、程なく山形県酒田市の皆さんがマイクロバスで、その後石川県高等学校文化連盟放送部の方々がバスで、それぞれ訪れた。すると、現地の方が語り部として案内を始められていた。何度か訪れた小学校や中学校は既に解体され、災害公営住宅が建ち並び、「緑豊かなあたたかいまち」の「早期実現」に向けて工事を進めているという大きな看板も立てられており、復興への歩みが着実に進んでいると受けとめた。


続いて、せんだいメディアテークに伺った。あいにく、甲斐賢治さん(今、せんだいメディアテークではアーティスティック・ディレクターという立場でいらっしゃる)は席を外されていたので、メッセージとお土産だけ残し、建築士の高橋親夫さんによる記録写真展「タイル・ルート・トタン:荒浜・藤塚と浪江の記録」を鑑賞させていただいた。今はハウスメーカーによる新築が大半であり、ユニットバスが全盛となった今、大工さんによる施工や、在来工法による浴室や洗面やお手洗いが格段に減る中、高橋さんは「土地への言いようのない思いによって支えられ」ることで「かつての住人の生活が感じられる」風景にある「失われていく技術」「当時の職人のこだわり」を感じ取り、「そこで暮らしていた家族の時間を思い」「くらしの証としての調査と、記録を始めた」という。加えて、2015年12月、「地域活動団体の移動研修会の帰路、常磐道をバスで走行」した際、改めて帰還困難区域の一帯の状況を目にし、その後「2016年7月頃、ラジオで浪江町が来年3月避難指示解除されることを知り」「仙台沿岸を記録した際には見ることができなかったトタン壁は、放射能の影響により隣接する建物を解体することで現れたものも多く、象徴的なものであるように思え」「建物の屋根や外壁に使用されているトタンの腐食は、これまでの長い時間を吸収しているように思え」「震災前の生活が残る浪江の町を、解体される前にできるだけ写真で記録しておこうと思い、撮影を始めた」という。

こうして、仙台において改めて沿岸部の多様な被害に触れた後、目指した先は福島県の楢葉町であった。お昼には今年度から災害復興支援室の副室長に就かれた久保田崇先生と合流し、牛タンに舌鼓を打った後、常磐道を南下し、南相馬での休憩の後、常磐富岡インターで一般道に入った。震災遺産である津波被災パトロールカー、改築中の富岡駅、3月30日に開店した複合商業施設「さくらモールとみおか」などを訪れた後、立命館大学生らによる「そよ風届け隊」が企画した「めちゃめちゃよくばりキャンプ」でお世話になった楢葉町の復興推進課や教育委員会の皆さんと、まずは好例の「一平」での宴席、そして7月29日にプレオープンしたばかりの小料理屋「結のはじまり」にて二次会へと流れ、避難指示解除から2年を迎えようとする中での楢葉町の今に触れた。


2017年8月4日金曜日

濃厚な京都での一日

朝から立命館大学の衣笠キャンパスでサービスラーニングセンターによる公開研究会に参加した。今回はメイン会場が大阪いばらきキャンパスということで、本来はそちらに伺う予定だったが、その後の予定もあって、テレビ会議システムを通じ、別のスタッフと共にサブ会場からの参加を認めていただいた。テーマは「地域参加学習入門」という、英語での科目名ではサービスラーニング入門(Introduction to Service Learning)という位置づけの授業の運営についてであった。2012年に、旧科目「地域参加活動入門」(衣笠)および「近江草津論」(びわこ・くさつキャンパス)の内容を統合し、恒常科目として開講するにあたり設定した到達目標と授業構成を定め、全てのクラスで統一シラバスを用いることにしてきたものの、キャンパスごとの文化や教員の専門性などを反映する可能性、またゲストスピーカー招聘の意義を高めるための工夫などについて検討することとした。

研究会の後には、衣笠キャンパスの同じ場所で、グローバル教養学部設置準備事務室の皆さんからのお声掛けにより「研究成果報告会」を催していただいた。オールボー大学でのPBLについて、問題解決活動と教育実践との相互の関連について教授法としてどのような特徴が見られるかについて示させていただいた。その間にデンマークからのお土産を分けると共に、出国する新千歳空港の一時預かりカウンターにデンマークへと戻るにあたって日本から持っていくものを「空港ゆうパック」というサービスにて送ることにした。あわせて、郵便局では3月まで契約していた駐車場の自動引き落としサービスの解除など、オンラインではできない手続きも行うことにした。


その後は京都駅前運転免許更新センターに向かい、国際免許証の交付手続きに行った。後で知ったのだが、国際免許証とは日本国内の運転免許証の翻訳書という位置づけのようで、住民票が記載された住所地に置かれていなくても、現在有効な免許証に記載された住所地において定められた窓口に申請することにより交付が可能とのことであった。そのため、昨日、慌てて住民票を戻したものの、改めて海外転出の手続きをしに区役所へと向かった。そしてその足で、出国前に予約していた歯科医に向かい、検診をしてもらったところ、親不知歯に微妙な虫歯が見られたようで、デンマークで歯科にかかる難儀さを思い、早速治療をしていただいた。

治療で事なきを得たので、早めの夕食を取り、夜の約束に備えることにした。夕食にはこの間、Facebookで知った、鶏のポタージュスープのようなラーメンを選んだ。2011年に開店したというが初めて味わう濃厚さが口の中に残りつつ、四条河原町のコーヒー屋さんで、待ち人の身体が空くのを待った。そして、学生時代からの盟友の一人、深尾昌峰さんと共に、昨年、立命館大学サービスラーニング科目「シチズンシップ・スタディーズII」における学生企画でお世話になった京都・坊主BAR、羽田高秀さんのもとを訪ね、美味しいお酒と穏やかな雰囲気のもと、過去を掘り起こす話と未来を切り拓く話を重ねた。


2017年8月3日木曜日

体内時計の調整と気温への適応と

朝9時頃、予定時刻よりも少々早く、成田空港に到着した。もっぱら移動の際には、目的地の現地時間が朝であれば機内ではひたすら寝る、目的地の現地時間が夕方であれば機内ではひたすら起きる、そんな工夫をするようにしている。また、乗った瞬間に腕時計やパソコンやスマートフォンなどの時計を到着地の時刻に合わせ、今が何時であるかの認識をずらしていくことも工夫の一つである。今回もその工夫により、到着時からバリバリと動くことができた。

成田空港からは陸上移動で羽田空港に行く必要があった。この移動も最近は慣れっこになっているが、今回は帰国前にSNSでやりとりをし、大学コンソーシアム京都で働き始めた頃、面倒を見た後輩と東京駅付近でランチを食べようという約束をしていた。そのため、普段ならバスで移動するところを、初めて成田エクスプレスを使った。東京駅に着くと、まずは東京中央郵便局から急ぎの郵便物を出し、そこから程近い和食のお店で、出汁の浸みた鯛のあら炊きを堪能して、丸の内のおしゃれなカフェに立ち寄って、浜松町からモノレールで空港へと向かった。


羽田空港では搭乗手続きこそスムーズに行ったものの、滑走路の混雑などの影響を受けて、伊丹空港の到着が若干遅くなった。ちなみに今回は伊丹空港から京都まで定額タクシーを予約していた。今回の一時帰国に際して、国際免許証の交付をしようと考えていたため、急いで区役所に行って転入手続きをするためだった。もう少し早く気づいていれば、デンマークにて日本の免許証の書き換え手続きを行うことができたのだが、その段取りを知ったときには一定の期日が経っていたため、逆に日本で国際免許証を交付してもらう方が妥当だと判断したのである。

タクシードライバーの方の機転により、飛行機の遅れがありながらも何とか今日のうちに手続きを終えることができた。明日は明日で既に予定が詰まっており、区役所に行った上で運転免許更新センターに行く余裕がないため、大変助かった。そして一旦、自宅に戻って荷物を置いたものの、うだるような暑さの反動で大汗をかいてしまった故に着替えをし、ひと・まち交流館での一般社団法人てこらぼの会議に参加した。会議の後はイタリアンでの懇親会となり、真夏の夜に旧交を温める好機となった。



2017年8月2日水曜日

オールボーにある知恵・ない物品

一時帰国の始まりを迎えた。今、住んでいるのはオールボーの南のエリアである。市内中心部には最寄りのバス停から10分あまりという位置にある。そして、次に最寄りのバス停からは空港を通るルートのバスが停車するため、なかなか便利である。

朝6時台のバスで空港に向かうと、乗車した時点では貸切状態だった。決して空港バスではなく、空港を通るバスということもあり、徐々に人が増え、それぞれの場所で降りて行った。結果として空港では数人が降りた。そして空港の先へと向かう人が、まだ数人、バスの中には残っていた。


オールボー空港では、ある看板が自動車乗り降り場に据えられていることが気に入っている。そこには「Kiss and goodbye:No Kisses abobe 3 mins.!」とある。直訳すれば「お別れのキスをどうぞ、ただし3分以内で」となるのだが、要は「長時間の路上駐車はお断り」と言いたいのだろう。禁止の表現を使わずに行動を促す秀逸な知恵だと捉えている。

オールボーの出発こそ朝8時台なのだが、その後、コペンハーゲンから成田への便は15時45分の搭乗である。そのため、一旦空港を出て、空港から近いオアスタッド駅から歩いて10分あまりの所にあるIrma(イヤマ)へと向かった。そこはコペンハーゲン周辺にしかないスーパーのチェーンで、どうやら日本の北欧雑貨店などでIrmaのキャラクター(イヤマちゃん?)のグッズが人気なのだそうだ。学外研究中、事務処理等でお世話になっている立命館大学サービスラーニングセンターのスタッフにお土産のリクエストを尋ねたところ、イヤマちゃんグッズの指定があったので、オールボーでは調達できないものを買い求め、再び空港に戻り、日本へと旅立った。